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CEP不登校親子サポートセンター
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2010/03/16のBlog
ゆれ動く思春期への援助と援助者のあり方を問い返す!その3

母親があまりにも献身的でありすぎ「自分は世界の中心である」と
信じて育った男の子が大人になった場合
相手をいたわったり、かばったりする心情からは程遠い
男性になるでしょうし、一方的に求めて見返りを与えない関係では
破綻が早いでしょう
「I LOVE YOU」ではなく「DO YOU LOVE ME?」の
関係ばかりを求めるとなると育児にも支障が生じる
「手間暇かけるのはイヤだ」という母親が輩出してくる可能性も大きいようです
「生きることの意義と喜び」を子どもに教えるのが
親の責任の中でもとくに大きな地位を占めると思います

赤ん坊の時に自分のニーズを充足してもらえ
そのため自分に対しても自分の世話をしてくれる人に対しても
基本的な信頼感を持つことができるできるようになったラッキーな人といえるでしょう
8歳ごろに決めた立場はそれ以降の反応を決定します
「自分も他人もOK」と決めた人はその線にそって「証拠集め」をします
したがって彼(彼女)の立場はますます「OK」なものになっていくわけです


・・・・・幼い頃からの親子関係が子どもに与える影響の重さを
あらためて再確認しますね・・・・・・・


<ウツギが春の山に咲く頃です>

2010/03/14のBlog
ゆれ動く思春期への援助と援助者のあり方を問い返す!その2

「重要であるな」は親が自身の生活に追われて
子どもの世話をないがしろにしている場合や
子沢山で「丈夫で手のかからない子」としていつも放置された子どもが
そうした親の態度から受け取るメッセージです

「どうせ子どもは親から離れていくのだから
私も女性として自立するために何かしたい」という母親の相談に
子どもの年齢を聞くと「1歳半」という答えが返ったことがありました

たしかに親が自立する権利も大切ですが
子どもの「養育してもらう権利」は赤ん坊がそれを主張できないだけに
一方的に否定されてしまう危険がありはしないでしょうか

親自身が劣等感が強かったり不安が強いと
子どもの自己主張に耐えられなかったり
子どもが「目立つこと」元気よく活発なことに規制を加えがちになります

「でしゃばるな」「他の人に譲りなさい」「我慢しなさい」といわれ続けたり
そうした態度で常に接していられると、子どもは
「自分は重要な人間なんだ。自分はこの世に一人しかいないという意味で
みんなと同等に重要なのだ」という自信がもてません


・・・・・・・親の権利と子どもの権利がぶつかる時、弱い立場の子どもの権利
最善の利益が優先されなければならないんですね・・・・・・

<土手にタンポポが咲いてました>
2010/03/11のBlog
ゆれ動く思春期への援助と援助者のあり方を問いかえす!その1
学事出版より

「自分から特に何もしなくても無条件に受け入れられ
庇護し愛してもらえる」というのは赤ん坊だけの特権です
自分の存在そのものを愛してくれる人がいる、ということが
基本的な信頼関係のもっとも深いところにあるとすれば
この時期に親から拒否されることが心身の健康な発達を
どのくらい阻害するか計り知れないものがあります

「するな」はその年頃の子どもたちなら当然誰でもするような遊びなどを
いっさい禁じる親が与えるメッセージです
「危ないから」「まだ小さいのだから」という態度は
一見子どものためを思っているようですが
実は親自身の不安や罪悪感の裏返しが少なくなく
子どもに対する怒りの反動のこともあります
自分の子どもに「何ができるのか」「何を身に付けさせるべきなのか」を
把握せず「危ない、危ない」を連発することは
子どもの自発性の芽をつみとるだけでなく、判断力を養う機会を奪ってしまいます
子どもはいつになっても自信が持てずエネルギーの発散の場もありません
「親の言いつけを何でもハイときくよい子」がある日突然親に反抗したりするのは
こうした抑えつけられたエネルギーの爆発であるということもできます

・・・・・・・・赤ん坊の頃から自己肯定感がはぐくまれるのですね・・・・・・

<黄梅の花はあまり見ませんね>
2010/03/09のBlog
「前向き」と「後ろ向き」より

最近ある大学生から「自分はいろいろ悩んでしまって
ぐだぐだと考え込んでしまう
どうやったら前向きに生きられるようになりますか?」という質問を受けた
この手の質問は本当によく受ける
特に若者からだ。そのたびに私は思う
「どうして『前向き』に生きなきゃいけないと思うんですか?」

ちょっと意地悪な答えかもしれない
だけどこの悩みの背景ににあるのは世間にはびこる「もっと前向きに生きろ」
「常に120パーセントの前向きでなければならない」という圧力だと思うのだ
これには私も散々苦しめられてきた
前向きにポジティブに生きられない自分とそんな自分への劣等感
だけど気がつけばいつからか『前向き』なんて言葉すら忘れていた

なぜだろう。
おそらく『前向き』の背後にある裏メッセージみたいなものに気づいたからだ
常に前向きでポジティブで行動的で生産性が高く短期間でより多くの価値を
生み出すような役に立つ人間であれ、というようなメッセージ
別に悪いことじゃないけどそれは企業みたいな価値観だ
そんなのに合わせる必要はまったく感じないし24時間365日
『前向きに生きてます!』なんて人に会ったこともない
もしそんな人がいたらなんかギラギラしていて目なんかブッ飛んでて
不必要に汗だくでやたらと声がデカくて相当にうっとうしいだろう
少なくとも私は友達にはなりたくない

もちろん『前向き』に生きることは別に結構なことだし『前向き』ゆえの快感も
わかるが、それは人に強要されたりする種類のものではない
私は思いきり『後ろ向き』な人間だがこの『後ろ向き』の時間から
多くのものを得たと思っている

一番大きなものは「書く」という仕事だろう
ものを書く、というのは当然自分と向き合う時間が不可欠で
それははたから見たらただぼーっとしてる光景だ
だけど私はそんな時間を「前向き」な時間よりずっと大切にしている
だいたい「前向き度100パーセント」みたいな時って完全にその状態に
依存しているっていうか
なにかものすごく重大な問題を先送りしてる気がするのだ

それに生きるにあたっての方向が「前」と「後ろ」だけなんてつまらない
「横」もあれば「斜め」もあるだろうし、そこに「上下」「左右」とか
いろんな尺度を引っ張ってきてもいいはずだ
ということで、これから「前向きに生きられない」なんて相談には
「じゃあ横向きでは?」と答えることにしようかと思っている


・・・・・依存してるって視点鋭いなぁと思いました・・・・・・

<こんなに寒いのに雲南桜草が咲きました>
2010/03/08のBlog
[ 12:06 ] [ 最近読んだ本より ]
自閉症の僕が生きていく風景 第1回 東田直樹より

自分が悪い子だと初めて知った幼稚園

僕がどんなに人と違うのか
ということに気づいたのは幼稚園時代です
幼稚園という場所は姉が通っていたこともあり
僕にとっては時々行く遊園地のようなイメージでした

しかし想像とは違い幼稚園はただ自由に遊べばいい場所ではなかったのです
奇声を上げたり自分勝手に動いたりするたび
先生や友達が僕を怒ります
僕はなぜ自分が怒られるのかまるでわかりません
気がつくと僕はクラスの問題児でみんなを困らせる存在になっていました

僕は悲しくて悲しくて心の中は張り裂けそうな毎日でした
話せなかったので謝りたくても「ごめんなさい」も言えず
ただへらへらしている僕を見てあきれているみんなの顔を見るのが嫌でした
この頃自分が悪い子だということを始めて知ったのです
(どうしたらみんなのようになれるのだろう)

僕はいい子になりたくて仕方ありませんでした
けれどもみんなが当たり前にしていることさえ僕には宙返りをして
と言われるくらい難しいことなのです

たとえば、前を向いてと指示されても前の人が横を向くとどこが前だか混乱します
お遊戯の時間も先生のまねなどとてもできません
自分の手足がどうなっているのかも自分ではわからないからです

僕は孤独でした
人はいつも突然現れて、何かをしろと命令するし僕の気持ちをわかってくれません
友達は毎日がとても楽しそうでテレビの話や戦いごっこをしています
それは僕にとってはつまらない遊びでした

とにかく疲れ果てていました
ひとりでいることだけが自分を守るために小さな僕にできることでした
ひとりでいれさえすれば安心できたのです
そんな僕の心をなぐさめてくれたのが自然です


・・・・・・新連載です・・・・・・・


<ヒヤシンスは春になるとかたいつぼみを開きます>


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