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ジャンル:遍路修行日記
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2016/07/19のBlog
[ 19:40 ] [ 遍路修行日記 ]
7月17日(日)。

大阪楽心会主催のお四国参りの

“番外編”としまして、

西日本最高峰「石鎚山」登拝をさせていただき、

おかげさまで全員無事で

終えることが出来ました(ー人ー)☆

(※標高1300メートル付近までは

ロープウェーで行けます)



個人的に、昨年七夕に既に石鎚山の頂上(弥山)までは

お参り済みなのですが、

更にそれより少し高い天狗岳

(標高1982メートル。弥山から天狗岳の往復約30分)の

登拝に今年こそチャレンジすべく、

弥山から私一人で雨上がりの濃霧の中、

ほぼ誰もチャレンジする人がいない中、

両サイド崖の間を歩き・・・

途中二度程「無理!行けない!」

「死ぬ!」と認識しつつも、歩み続け、

天狗岳に行くことが出来、

とにかく大満足でした~っ(^0^)☆



天狗岳では、

この石鎚山や奈良の大峯山を開創した“役行者”の如く、

しばし「天空の住人」になっていますと、

40代の登山家スタイルのおにいさんが来られたので、

天狗岳に行った証拠写真を撮って頂きました。



その後、もたもたしながらも、

弥山までの来た道を戻っておりますと、

写真を撮って下さったおにいさんが追い付いて来ましたので、

どのように下ればいいのか分かりにくい箇所を

おにいさんに質問しました。



すると、

「うーん。ここはこうこうすれば、下りれますよ。」と、

まずはおにいさん自身が見本を見せて下さり・・・

長年の経験から培われたということが

すぐに分かる知恵で冷静沈着、

かつ的確に教えていただき、

無事その危険個所をクリアー出来ました。


ほんと、めちゃくちゃ久しぶりに

「この人(男性)ステキ~・・・(*^^*)(ハートマーク)」

と見とれてしまいました。

また、私にも女子らしさが残っていたことに気づき、

ほっとした瞬間でもありました(笑)。



しばらくすると、

向こうから同じく登山家スタイル&

40代のおにいさんが2人やって来たのですが、

「こ・・・こわい~、死ぬ!」と感情丸出し状態で、

私に「これどうやって、渡るんですかぁ!?」って

悲壮感満載で聞いて来られましたので、

「これは、岩にはいつくばるのではなく、

岩の上に平均台のように立って、

タッタッタ~って一気に渡るんですよ。」と

淡々と教えて差し上げました。



すると「ぼ・・・僕は立てない!」って

ますますムンクの叫び状態になりながら、

はいつくばってゆっくりと

そこの岩場をクリアーされました。

ほんと、こんな根性(=即ち【肚】)ナシの・・・

(登山家の)格好だけイッチョ前な

「見せかけオトコ(人間)」は、

この娑婆に蔓延っております(呆)。



にしましても、

このような生死がかかっている大苦難「ここぞ」という時に、

【人間の本性】が包み隠さずあぶり出て来るということが、

天狗岳で出会ったこの3人の登山家の方々によって、

確固たる証明が成された・核心を得た次第です(ー人ー)。



そして私自身、どんなことがあっても、

平常心と「新しい自分」に向かってチャレンジし続ける

情熱を持って生きてゆきたいと改めて思いました。

(そのような人間になることが、

感情に流されない・見せかけの世界や妄想・幻想、

そして誰かの黒い思惑に騙されない

人格形成並びに魂の生成をするのだと考えます)



・・・さいごに、弥山から天狗岳との往復、

そして下界から石鎚山への往復の道のりは、

人が一旦死んであの世に行き、

そこに「でん」をついて、

生まれ変わって現世(娑婆)に

舞い戻って来るという感じがし、何とも不思議で、

そして爽やか&清らかな・・・

神恩報賽の気持ちを持って帰らせていただきました。

ありがとうございました。(^人^)☆

大阪に帰って来て、

ミョ~に鮮烈な冴え具合が継続しております・・・

ヤバイ(笑)♪

この冴えっぷりの原因は、

やっぱり石鎚山・天狗岳での出来事(気づき)です。



既に私上記のブログにあれこれと記載しておりますが、

石鎚山の最も高い場所は「天狗岳」です。

石鎚神社のお社がある「弥山」には、

17日の午後1時頃には数百人はおりましたが、

濃霧並びに時々強風が吹いていた為に、

天狗岳まで行こうとする人は殆どおられませんでした。

それだけ危険なのです。



全ての条件を満たし、そして神(蔵王権現様)から

選ばれた縁者でしか行けない聖域の中の聖域

のような感じがいたしました。



私は今回、登拝する前から「雨天&強風でない限り、

天狗岳にチャレンジする」と

肚を決めてから登って参りました。



ですので、「崖から落ちたら怖い」という感情は常にあっても、

ゆっくりでも足を前に進めて参りました。

途中で引き返すという考えは一切ありませんでした。



なぜそう思うのか?

それは、そこに行けば【私が全身全霊で求める何かがある】

という確信(根拠の無い自信)が在ったからに他なりません。



みんながいる弥山から天狗岳までは

500メートル程かと思いますが、

精神的にかなり長く感じました。



本当に怖い・足がすくむ時は、

「南無神変大菩薩」と何度も唱え、

石鎚山の開祖である役行者の

【御陰様の力】をお借りしました。



私という人間の力だけでは絶対に

天狗岳に到達出来ないと、途中で気づきました。



「人間とは何と無力な存在だ」ということを実感し、

日々の生活でどれだけこの絶大なる【御陰様の力】を

頂いているのか・・・?

その霧の奥にその真理が観得た気がし、

深い感銘を覚えました。



途中家族連れ4名とすれ違った以外、

誰にも会わず、天狗岳に到着しました。

そこで5分程、一人で天狗岳にいました。



そこは、この世であってこの世でないと

感じる不思議な空間でした。

みんながいる弥山は濃霧&風の為、

全然見えず、声・・・気配すら感じませんでした。



霧というか、雲がどんどんと矢継ぎ早にやって来て、

私に当たり、そして白い闇へと消えて行く・・・

人生というものは、この雲のようなものかと、

人生の現実をまざまざと見せつけられ、

一種の儚さを感じました。



儚き一瞬の夢の中で、私たちは今、もがき苦しみながら、

“雲のような幸福”を一つでも多く掴もうと

切磋琢磨しているのです。



私たち人間がどんな主観的感情で捉えたとしても、

人生の現実(客観的事実)これなんだと思いました。



だけど一方で、儚い・・・

未来永劫続かない命を今、

この手に持っているとからこそ、

一日一日、一秒一秒を大切に

生きなければならないと感じました。



その為には【絶対的感謝】つまり、

どんなことが起こっても有難いと感じる

感謝の念を持つこと)が大事なんだと思います。



なぜ人間は生まれ死ぬのか?

この人生で私は一体何を成すべきなのか?




私たち人間には分からない・・・

いや、分からないように出来ていて、

正にこの白い霧の中、

この崖を歩くような感じでいろんな恐怖や不安を

常に抱えながら切磋琢磨して

人生を歩むことを通して掴むもの一つ一つが、

その人その人の【人生の真理そのもの】であり、

そこに人生の根本的意味が存在するのだと感じました。



(補足:人は分からないから必死で努力するのです。

全て分かっていれば、手抜きしたり何もしないのです。

それだけ人間は傲慢で浅はかな存在なのです。

だから分かる必要がない。

目の前に来たこと・ご縁を必死でこなしているだけで、

自ずと道は拓けて来るのであり、

過去を悔い未来を憂えるのはなく、今、今、今!を

一点集中して生きるべきなのです)



その意味は人から与えられるものではなく、

自分自身で築き上げ、導き出してゆくもの

なんだということに気づきました。

なぜならそれは他の誰の人生でもない、

私自身のたった一つのかけがえのない人生【命】だからです。



また、その場所は静かで激しい、

恐怖であふれまた鮮烈な清らかが拡がる・・・

相反する要素が共存する不思議な空間でした。



きっと陰陽対立の娑婆世界を超越した、

この世とあの世が入り混じった場所・全てが

統一された絶対的宇宙を成す・・・

この世とあの世を繋ぐ出入り口であり、

また人間世界と宇宙(幽なる大自然の世界)と

繋ぐ道でもあると感じました。



人間の身体にはツボとかチャクラという場所

(気の出入り口)が存在しますが、

この地球も人間と同じ生き物であり、

地球が浮かぶ宇宙との

「特に強い気の行き来を行う“出入り口”」というものが

いくつかこの地球上に存在し、そ

の一つがここ・霊峰【石鎚山】なんだと感じました。



私自身、もっともっとこの娑婆での行を積み、

命を練磨し、そして魂が覚醒して来たならば、

わざわざ石鎚や大峯のような場所に行かなくても・・・

常に自らが求めれば、

この天狗岳にいるような感じで、

この世とあの世の間(双方の要素が存在する位置)に

自らの魂(心)を置き、全て(真理真実)が

ありのままに観得て来るのだと感じました。



ほんと、何の因果か、独身女子の私が

40歳手前でこのようなことがちょっとずつですが、

観得て参りました。



石鎚山も含め「修験道」って、

底なしの凄さ【宇宙】がありそうな感じです。。。

ヤバイ、ヤバイ (笑)♪


2016/06/19のBlog
[ 13:03 ] [ 遍路修行日記 ]
今回の四国旅で感じたことがありました。



私がこの四国遍路にご縁頂いたのが、

29歳の終わりで、29歳の夏頃に、

「30代以降の自分の為に、四国遍路行をする」と

決意いたしました。

自らの決意にて敢えて、『茨の道』を選んだ次第です。



その大きな決断、

そしてこの過去10年間の実践・修行が、

今の私を陰で支え続けてくれています。



私の人生において、

四国遍路等の霊峰・霊場での修行は

【人生の財産】になっています。

最初は茨の道だと思った道が、

実は幸福へのまっすぐの道だったのだと、

今になって分かりました。

ほんと、これら日本古来の修行の道は

【日本人の智慧の結晶】だと思います。



あの決断の日から丸10年が経とうとしています・・・

「10年ひと昔」。

来年の3月に40歳を迎えるにあたり、

「40歳以降の自分の為に」と何かをしたいと

じわー・・・と感じて来ました。



体力は20代に比べれば、

ゆるやかに落ちていることは感じています。

老いというものは人間の力ではどうしようも出来ません。



だけど「氣」は今が一番充実しています。

この「氣」というものは、

私がこの娑婆を去る瞬間が

最も充実していたいと思い、

そのために、各種修行をし続けたいと思っています。


また、「氣」を充実させることによって、

「ぶれない」そして「しなやか」な・・・

風が吹いてもポキッ!と折れず、

風を受けてぶらぶらなびく『竹』のような

人間になって来たように感じています。

決して不信でも過信でもない【自信】と

いうものを爽やかに今、感じています。





・・・10年前の私であれば、

出かけようとして雨が降って来たら、

「ああ、自分は何てツイてないんや」とか

「自分の日々の行いの何が悪いねんや」と

嘆いて悲しんだり、責めたり怒っていましたが、

今は、そこに自らの感情は挟まずに淡々と・・・

「あ。雨が降って来たな。

じゃー、傘を差して出かけよう。」と

家を出るという自分がそこにおります。

これは天の気だけではなく、

他人様とのやり取りでも同じです。



他人様の感情や意志、

また天気のような【天の気・意志】は

自分自身の力では変えることは出来ません。

だけど、自分の感情や意志、そして行動は、

自分の手によって柔軟に変えることが出来ます。



たとえば、相手の人間が、

こちら側は一切非がないにも関わらず、

自分にひどい言葉や行動をして来たとしても、

その罪を償うべきなのは相手であるので、

自分がいつまでも悲しんだり怒る必要はなく、

自分が直接相手に手(制裁)を下さなくても、

時間差はあっても、

相手は必ずその罪を清算しなければならず、

そのことに気づかず罪を作り続けている人間は、

誰かに潰されるか自滅し、

あの世に往ったら、

この娑婆よりもケタ違いの地獄を観るのです。

そんな絶対的法則も観得て参りました。





・・・とにもかくにも私は、自分の感情や意志に、

周りを合わせて貰おうとする「我儘な心」は捨てて、

あるとあらゆる自分自身以外の

他者(大自然)の流れに合わせる・・・

調和させる生き方をこれからもますます体得していくことが、

結局は自らの幸福にまっすぐ繋がるのだということが分かりました。



この私の肉体的年齢で、このことが分かって来たことが、

私の人生において最たる

【ギフト(幸福)】なのではと感じています。



十五にして学に志す

三十にして立つ

四十にして惑わず

五十にして天命を知る

六十にして耳順う

七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず




・・・という孔子の言葉がありますが、

なるほどなぁ・・・って感じています。



これからも、そんな生き方を淡々と

歩んで参りたいと思います(ー人ー)。



[ 11:25 ] [ 遍路修行日記 ]
昨晩、おかげさまで無事八尾に戻って来ました♪

とりいそぎ、旅のご報告を。。。



----------------------------



6月17日(金)。

朝5時半から善通寺の「朝のお勤め」に参加するなど、

善通寺を思い存分お参りさせて頂きました。

善通寺は弘法大師空海がお生まれになられた、

由緒ある場所です。



その後「善通寺駅」まで歩いて移動し、

一気に愛媛県伊予西条市「石鎚山駅」

まで行きました(^^)。

途中、「アンパンマン列車」とすれ違いルンルンでした♪

http://www.jr-eki.com/aptrain/



そこからまた歩いて、64番・前神寺まで行き、

そこに勤めておられる知人のお坊さんと

あれこれお話しさせて頂いた後、

四国八十八ヶ所霊場会・公認先達の「昇補」の

申請申込書を提出させて頂きました。

(私はこの前神寺さんの推薦を受け、

先達にならせて頂きました。そのお礼も含めまして今年3月、

この前神寺さんの大師堂に燈明台<ろうそく立て>を

修繕奉納させていただきました)



ちなみに、この前神寺は江戸時代までは、

石鎚神社と一心同体だったのですが、

明治政府による廃仏毀釈により、

分離されてしまったお寺です。

ということでこの前神寺は、石鎚修験道の総本山で、

役行者開創の石鎚信仰の中心的存在であり・・・

私が最強MAXで好きな大峰修験道と

兄弟分のような感じなんだそうで、

私がこの前神寺で先達の推薦を頂いたご縁を、

強烈に感じております。。。南無神変大菩薩(ー人ー)☆



公認先達には階級があり今は、

一番ヒラの先達ですが、ある一定の条件を満たすと、

階級が一つ一つ上がって行きます。

そのことをお四国のコミュニティでは

「昇補(しょうほ)」と呼ぶようです。



私は自分自身の思うところ・・・ある信念があり、

昇補し続けるという道を選びました。

言わずもがな、先達の階級が上=人間的にも上

という訳では決してございません(笑)。

個人的には、「なんちゃって」という名前の

先達の階級並びにワッペンが欲しいと思ってます(更に、笑)。



ほんと、40歳にも満たない独身女子が先達

(先に達する)なーんて、

チャンチャラおかしな話ですワ~(^^;)。

私自身がその可笑しさを一番理解しています。



だけど、これも全て・・・

私たち人間の思惟を超えたところにある

【ご縁】あってのことであります。

自分の器やレベルがどうであれ、

何であっても、ご縁があるものは、

喜んで受け切らなければなりません。

ほんと人生って、何とも言えない可笑しさや侘しさがあり、

訳もなく泣けて来て・・・そして笑けてきます。



ほんと、どうして今私はこの【人生 ~お四国の道~】を

歩み続けているのでしょうか?

その道の先・・・ゴールには一体何が待っているのでしょうか。

分かりません。



だけど、分からないからこそ、人間は努力し、

精進し続けるのではないでしょうか。

何月何日何時何分何秒にあなたはこうなります、

ああなります・・・って最初から分かっていれば、

人は一所懸命努力することを

捨ててしまうのではないでしょうか。



だから敢えて「常に分からない」という

選択をしたいと考えています。

観得る幸せ、そして観得る不幸・・・

陰陽両方の面があり、だけどどっちも表裏一体なのが、

この娑婆の有り様のようです。



・・・前神寺からも、ダーダーと汗をかきながら

どんどん歩き遍路をし、

今は伊予西条駅近くの「ジョイフル」で昼食&

休憩&仕事しました。



「ジョイフル」は、お四国参りしていれば、

【ご用達】になるほどに四国各地にあり、重宝しています♪



ダーダー汗をかいておりますので、

ドリンクバーのモトは十二分に取れます(ニヤリ。)



涼しいジョイフルを出て、またしばらく歩いて、

私を先達の世界に導いて下さった、引田大先達とお会いし、

お四国参りに関する、いろいろな情報を頂いておりますと、

引田大先達の知人のおじさま(これまた凄いお遍路さん!)が現れ

そのおじさまにもあれこれ教えて頂いた後、

偶然、私がその後向かう新居浜在住の方でしたので、

おじさまの車で新居浜まで移動しました(ー人ー)☆



17日夜は、新居浜別子倫理のおねえさん・しのぶさんと

ワイワイ楽しく夕食させていただきました(^0^)☆

こんな感じで四国各地に知人友人がおり・・・

本当に有難い・嬉しいなぁ・・・とかみしめております。



翌日・18日(土)は再び電車で善通寺まで戻り、

私が入っております「巡礼遍路研究会」の総会&研究発表会に

参加させていただきました。



この会は、名前の通り、お四国を中心とした、全国各地の霊場が好きで、

研究肌の方が多い会です。

当然、お坊さんや仏教系のことが専門の大学の先生も多いですが、

私たちのような一般人も多く、その一般の方々が好きで、

あれこれ研究をされており、この会の活動媒体を通して、

その研究発表をされていました。

で、せっかく善通寺で・・・ということですので、

善通寺の管長さまの講演もありました。

(内容は、四国遍路のマニアック過ぎる内容ですので割愛します・笑)



四国遍路は、ひたずら歩き続ける・札所を周り続ける・・・

という実践主体の修行の場ですが、

実践をしておりますと、あれこれ疑問に思うことがあり、

その解決方法の一つとして、諸先輩方の研究発表(知識)を

得るということは善いことだと感じました。

最近は、インターネットという便利なツールがありますので、

各種研究発表を気軽に閲覧出来ますので、

これからも、実践(修行)を重ねながら、

いろんな人にいろんなことを教えて頂き、

自らの実践のレベルを磨き上げて参りたいと思います。



で、この巡礼遍路研究会は、大阪の知人の方々も何人か入っており、

帰りは、その方の車に便乗させて頂き、大阪まで戻って来ました。



・・・このような感じで、商工会議所青年部の「うどん例会」から、

18日の「巡礼遍路研究会」まで、

多種多様な方々と時間を共有し、

おかげさまでまた見聞が広まったように感じました。

ありがとうございました(ー人ー)☆


2016/05/02のBlog
[ 21:07 ] [ 遍路修行日記 ]
明日・3日~5日まで、「大阪楽心会」主催の

お四国参りに行って参ります。

今回は30代(私)から80代の

お四国ベテランのおばあさま方まで総勢17名での、

比較的多い参加者でのお参りとなります。

このご時世ですので、神仏信仰をされる方は

増加傾向にあるようですね。



にしましてもやっぱり、お四国参りとなると、

テンション上がりますヮ~(^0^)↑↑↑



一昨年にご縁あって四国八十八ヶ所霊場会の

公認先達になって以降、

個人的なお気楽遍路と同時進行で、

先達として皆様のお四国参りのサポート役を

させて頂くという【修行】をし・・・

自分の自由や意思(=わがまま)が一切きかない

この種類のお四国参りが、

これまたいい気づきを与え、

自分自身を鍛えてくれているのだと感じています。



今回は、長年この会のサポート役をされている

井上さんがご欠席の為、

その分を他の慣れないスタッフが担う為、

かなりの不安を抱えたお遍路ですが、

参加者の方々のお参りが

最大限によいものになるように・・・

一所懸命お役に徹して参ります。



写真の納札は、その井上さんが、

熊本の復興のために、手づくりしてくださったものです。

納札は、各お寺をお参りした時に、その証拠として、

私達がお寺に残していくものです。



自分たちの個人的な願いに加え、

熊本をはじめとする多くの天災人災の被災地並びに

被災者の方々の真の復興を、

今回もシッカリ☆お祈りさせて頂きます(^人^)☆


2016/03/25のBlog
[ 20:39 ] [ 遍路修行日記 ]


巡り往く


季節を歩く


へんろみち


すべてが終わり


また春が来る




・・・今回のお遍路旅も多くの方々に

お世話になりました。





ありがとうございました(ー人ー)☆




「人生即遍路」で今後も精進して参ります。


[ 20:23 ] [ 遍路修行日記 ]
孔子の御言葉・・・


十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順がう。

七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。




・・・「四十にて惑わず」の前、、、

私は今39歳。未だあれこれ迷ってマス((^^;)笑)。

だけど、29歳や19歳の時に比べたら、

随分己自身の精神が安定して来て、

他者・外部環境に影響を受けにくくなり、

また内部環境に関しても自律出来るようになり、

迷わなくなりました♪



おかげさまで日々、

“あるがまま&なすがまま”に暮らせております(^人^)☆





【縁なき修業(=人生)はない】



縁があるからこそ、私は“お四国”に呼ばれる。

呼ばれるから、私は参る。



ただ、それだけのことです。



「何回も行ってどんなメリットがあるの?」

「他にすることがあるのでは?」

「若いのにまだ早い」

「今すべきことをほっといて“信仰”に逃げているのでは?」

とまぁー、一回もお四国に行ったことのないごく一部の方々に、

いろいろと言われ続けております(笑)。



確かに一理あるかとも思いますが、

本筋として今の私には当てはまりません。



何故かと申しますと

【人間の思惟を越えた“縁”というものがなければ

“お四国”は行けないようになっている】からです。




この娑婆は『多』の次元で、多種多様なものが

対立するように出来ていますので、

存在する人間の数だけ価値観・物事の捉え方 ・判断基準があり、

そして【人生そのもの】があります。



自らの選択や人生そのものが、いいのか悪いのか ・・・

他の人が判断するのではなく、

その人自らが選択し決め、実践実行するものであり、

所謂“あの世”の『一』の存在・・・

つまり神仏に例えられる【絶対的存在】が

善か悪かの判断を下すのであります。



自らが下したその判断並びに言動が正しければ

【一の存在】の支援を“陰”に受けて、

その人の周りの境遇や環境、

人間がその人を助けるために動き、

追い風となってスムーズに物事が運んで行く。



間違っていれば【苦難】という形で、

更にハイレベルな様々なトラブルが起こって来て、

その人の間違いを正しにかかる。



ただそれだけのことですので、実は

我々の生きるこの娑婆は意外とシンプルに出来ているようです。



以上のように実際は至ってシンプルに出来ているにもかかわらず、

難しく難題にしているのは我々人間自身のようです。



我々が持つ煩悩~我が儘~のせいです。

大概の人間はその事実すら気づかず、

煩悩に溺れ自滅しながら死んで逝き、

地獄行き・・・死んでから更なる苦しみが待っているようです。



人間は騙せますし勝手&我が儘なことも

ある程度は許してくれますが、

【一の存在】は全てお見通しで、

一切の妥協がなく、徹底的にやられます。



一方、少しマシなパターン(人生)は、

そのことを分かりつつも煩悩(我が儘な心)を手放すことが出来ず、

神仏と煩悩まみれの人間との間を魂がフラフラと行き来し、

常に【葛藤】という種類の苦しみを味わいながら死んで逝くパターンです。



これもまた煩悩により人生を不幸にし、

自滅するパターンのようです。






・・・私は「お四国参りをし続けるという【娑婆修業】を通して、

自らの人生のあるべき姿を着実に掴んで行き、

より実りある人生を実践する」と決意し、

自ら稼いだお金を使い、自らの時間をやりくりをしてお参りしています。



自らのお参りし続けたいと思う気持ち【念】と

お四国“お大師さん”の【念】が合致しているからこそ、

私はいつも予定通り、スムーズにお参りすることが出来ています。



【一の存在(お大師さん)】から「もうお参りはやめなさい」と

お四国からはじき飛ばされるまで私は、

自らのペースでお参りをやり続けると決めました。



その今の39歳の私の決意の証として

私は自らの【公認先達】のご推薦を頂いた、

64番前神寺に燈明台を3月20日・春分の日に寄進し、

自らの氏名と先達というお大師さんから

与えられた肩書きを刻むことに致しました。





・・・「肚を決める」「心を定める」ということの

重要性を今、ひしひしと感じています。



自らを決める・定めると、 目的地・ゴールが明確に分かり、

どこにどのように歩むくべきか?今何もをすべきなのか?など、

各種苦難の中、暗中模索しながらもだんだんと、

自らの進むべき道が観得て来る。。。



苦難は自らの肚、決意 心の試練であり、

【試されている】のであります。




やるか?やらないか?

迷っている間は何も観得て来ません。

常に闇や霧の中にいるようなものです。

自らの決断力のなさが、

自らの心に闇や霧を生じさせて、

自らを迷わせているのです。



決して社会や時代、他人のせいで見えなくなっている訳ではなく・・・

自分以外の他者のせいにすればする程に、

自らが観得なくなり、人生の路頭に迷わせているのです。



やると決めた瞬間・・・

つまり、やらないという選択を捨てた時、

『どうすれば目的地に達するのか?』のみを問い、

追い求めるようになる。



後はゴール(結実成就)するまで、

その道をひたすら真っ直ぐ歩き続けるのみであります。



となると物事はやはり、やるかorやらないか・・・

【自らの心の定め方、肚の決め具合】によって、

別れ道が出来て全てが決まって来るようです。





・・・ということで、のこり1年弱で、

40代の『惑わずの境地』を、得たいと思います(^0^)☆

[ 20:13 ] [ 遍路修行日記 ]
各種悩み・・・

(葛藤、イライラや嘆き悲しみ等のマイナス感情)の根源

(もと。根本的原因)は相手や周りの環境にあるのではなく、

自分自身の心のどこかにあるという【事実】に

まず気づかなければならないと思います。



同じ苦難的現象が起こったとしても、

その人その人の心の受け取り方によって、

自暴自棄になり自殺や他殺したり、

この大苦難を糧(バネ)にして、

結果的にケタ違いに人生や経営を大飛躍させる人もおられます。



・・・いくら“お大師さん(他人や神仏的絶対的存在)”に

救済(助けやサポート)を求めても、

「私自身には非がない、悪いのは相手だ!」と

その人の心が認識していたらそれは【事実】に反しますので、

その問題は永久に解決いたしません。



「自分自身は正しい、相手が間違っている、

時代が社会が悪い」と心が認識している状態は例えるならば、

【心のコップ】が反対を向いていて、

いくら上から綺麗な水(事実、真理)を注いだとしても、

水はコップに入ることはなく、周りに流れ落ちてしまいます。



人間は絶対的存在ではありませんので、

『常に100%自分が正しい』ということはありえません。

必ずどこか自分が悪いところ・間違ったところがあります。

その悪い間違ったところを、外部(他人、環境、境遇)から、

その悪い心を【苦難という現象】として

日常生活上に見えるカタチで“あぶり出す”のだと思います。



つまり私たちの悪い心を正すため・・・

また心がよりよくなるために起こっている現象が

【苦難】の本質のようです。



ただ、その人自身の悪い心ではなく・・・

その人が属する家系や何等かの組織に積み重なる

【罪(悪い心から発した悪い言動の蓄積)】を

被っているという場合もあるようです。



家系や組織の最大かつ最強の罪を一気に消す方法は

【絶家】【倒産】のように、

その家系・組織がこの世から

完全に抹消されてしまうことのようです。



ここに至るまでには数々の『黄色信号』という、

小さな苦難、そこそこの苦難がやって来て、

その人その組織の罪を消すチャンスを

天から何回かは与えられているのですが、

反省懺悔せずに、そのまま各種煩悩を捨てようと努力せずに

我儘し放題のままだと、

やがて天からの最終警告『赤信号』が来て、

そしてドンッ!と来て終わりです。



今の地球は、進化するスピード、

そして終わるスピードがとても早くなっているので、

生成発展するのもまた消えて無くなるのも早いので、

より精度の高い判断や行動が、

常に求められているように感じます。



そんな意味ではつい20~30年前に比べて、

めちゃくちゃ窮屈で忙しない生き方しか選べなくなりましたが、

こんな地球的規模の苦難もまた、

人間の思惟を越えた絶対的真理に基づき、意

味や意図があって今、起こっているのだと思いますので、

いち人間として謙虚にまた朗らかに受け切って、

この娑婆修業をこなし続けなければならないと

私は考えています(^_^)♪


[ 20:02 ] [ 遍路修行日記 ]
3月21日は、高知県西部・土佐市の

高台にある国民宿舎から、

波穏やかな太平洋に月光が映し出されるという、

美しい風景を見ながらのんびり過ごしました。



昼間、日光をあびると、身体の傷が熱くなり・・・

夜、月光をあびると、心の傷があぶり出される。



昼間、日光をあびると、未来の糧となるアイデアが出てきて、

夜、月光をあびると、過去の記憶がよみがえる。。。



昼は未来に進化し、夜は過去に深化する。



日(太陽)は肉体を再生・活性化させて蘇らせ・・・

そして月は心・魂(過去の記憶)を蘇らせる。



・・・そして翌日・22日は朝から夕方までずっと、

右手に水平線まで見える雄大な太平洋の風景を眺めながら、

東に向かってひたすらお寺をお参りしていました。



高知・室戸岬にある、24番・最御崎寺に着いて、

ふっと空を見上げると、黒い大きな海鳥が、

風をうまく捉えて空高く悠々と飛んでいました。



こんなに雄大な太平洋の風景の中に身を置いていますと、

自分自身の悩みや感情全般、そして我が身すら、

めちゃくちゃちっぽけやなぁ・・・って、

地球的視野で自分自身を客観的に眺めることが出来ました。



坂本龍馬(幕末の志士たち)のように、

いつも心に“太平洋”を想い描きながら、

デッカイ夢【大志】をどんっ!と持ち、ド真剣に命懸けながら

着実に結実成就させて行き、そして逝きたいなぁって思いました。



ってことで、23日午後、明日大阪に帰って来ました。

嗚呼・・・また娑婆修行、がんばります(笑)。


[ 19:06 ] [ 遍路修行日記 ]
おかげさまで、今回も予定通り無事に

お遍路し終えました(^人^)☆



・・・もしもこの世に「神」や「仏」という絶対的存在が、

どこかにいるのならば・・・それは「どこか」ではなく、

この世全てに、その存在が、

いっぱい満たされているのではないか?

ふっと、そんな風に感じました。



地球という箱の中いっぱいに満たされているという感じです。



そのあり様は、例えるならば「空気」のようで・・・

見えていないけど確実に存在している

(空気・酸素があるから、

今私たちは呼吸出来て生きていられるのです)という感じです。



美しい花(植物)や仏像(物)から、

納経所の前で人間に一切警戒せずに爆睡している

動物のネコちゃん(笑)、

そして人間である私自身にも、

その存在がいっぱい満たされているから、

今こうしてこの世で生きている・・・

【生かされている】のだと感じました。



そこまで思い至りますと、

人間も生物もみんな『神&仏の子』であり、

兄弟になりますよね。

「人類みな兄弟」という言葉の意味が、

ストン☆と心に落ちました。



・・・三連休の間も、

“お大師さん”の御加護(お蔭の力)を得たいと、

何かの願をかけて必死でお四国を

お参りされている方々を多く見かけました。



手を合わせる、一つの手はお大師さん(神仏。絶対的存在)で、

そしてもう一つは自分の手であると思います。



自分の手から、

お大師さんの手に合わせにかからないと・・・

つまり、自分の煩悩

【わがままな心・自己中心的な心】を捨て、

そして自分の真心から、

『信仰(即ち「悟り」)』をいうものへと覚醒し、

絶対的な帰依(オマカセの境地)しないと、

“お大師さん(絶対的真理や願い事の達成)”とは

永遠に出会えないように感じました。



煩悩をガッツリと抱えたままの人が

「お大師さんと出会えた」と言っておられましたが、

「大師まがい」というニセモノが存在するようです(笑)。

清浄な場所や人の心には、“神”が降臨して来て、

不浄なところには、“まがい者”しか居座らないようです。



88番から1番まで逆回りすれば、

お大師さんに絶対会えると言われていますが、

お大師さんは、自力本願(清く正しく美しい自己努力)を

一所懸命している人にしか現れてくれないと感じました。



ほんとお四国には、日ごろお会い出来ないタイプの方々がとても多く、

とてもいい勉強(多種多様なものの観察の場)になっております。



私自身、肝に銘じたいと思いました(^人^)☆


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