コロナ渦の時、旅行代金最大50%OFFの“Go To トラベルキャンペーン”を使って行くはずが、何度目かの緊急事態宣言が出て、このキャンペーンが使えなくなり、泣く泣くキャンセル・・・
3年ぶりのリベンジで、4月15日~17日まで、鹿児島県にある種子島に行って来ましたぁ~(^0^)!
今回の旅のお供も、司馬遼太郎先生の紀行文集『街道をゆく』。
司馬先生御一行様と共に、歴史探訪/タイムトラベル~^^♪
ほんの~りだけですが遺っている薩摩藩の残り香(古い薩摩の士族の風)と、鉄砲伝来の地の面影、そして未来に向けての“宇宙旅行”、種子島宇宙センターへの旅路です。
本州は人の往来が激しい為、町の風景や人々の生活習慣が均一化されやすいですが、【島】という一種の隔離された空間は、古き良き歴史が時代を超え、“冷凍保存”されている部分がありますので、私は「島旅」というものを意識的に行っています。
数年前までは、大阪伊丹空港から種子島空港「コスモポート種子島」への直行便があったのですが、今は鹿児島経由(鹿児島~種子島間はJALのみ)で行きました。
今年8月と年末年始は、伊丹~種子島の直行便が復活するそうです^^♪
(鹿児島港から高速船で種子島に行くことも可能です)
種子島は一市二町。北から西之表市、中種子町、そして種子島宇宙センターのある南種子町があります。
江戸時代までこの地を治めていた種子島家(途中から島津家の家来)は、北側の西之表にかつての拠点があり、鹿児島港からの高速船やフェリーも、この西之表に着きます。
西之表港の沖合いには馬毛(まげ)島という小さくてほぼフラットな無人島があり現在、そこに航空自衛隊の基地を作るための工事が行われています。
司馬先生が旅をされた時代の少し前までは、増えすぎた馬毛島の鹿が、食べ物を求め大挙し、泳いで西之表までやってくるという、チョット凄い自然の営みがあったようですが、今は、鹿がのんびり生息出来る雰囲気じゃなく、基地の関係者がワンサカ押しかけ、一種の“バブル”のようになっており、、、
西之表ではお宿が取れず(空きがあっても高価すぎ)、お昼12時半にスーパーへ行っても、お弁当やお惣菜がほぼ売り切れ状態で、西之表の町のキャパオーバー的に人が溢れていて、それで儲けている人、困っている人、いろいろでした^^;★
能登半島沖地震の復興や大阪・関西万博などで、あっちこっちで土木建築に従事する現場作業員が必要となっており、所謂僻地である、馬毛にはあまり作業員は集まらないらしく、基地の完成はズルズル伸びて、5年後になるそうです。。。^^;
オイオイ、5年後やったら、所謂「台湾有事」等の世界情勢の混迷期は終わり、世界復興へ向かっているやん^^;☆
滑走路など、緊急度の高い施設は早めに作るとのことでした。
種子島は、宇宙センターがあるので「宇宙に一番近い町」として観光にも力を入れているようですが、今は観光で来る人よりも、馬毛島基地建設と宇宙センターの関係者(三菱の人など)が大半でした。
種子島は側には屋久島があり、南西諸島らしく南国の雰囲気もあり、実なりのいい島でしかもお米が年に二回も採れる・二毛作の出来る島のため、薩摩藩から強制的にサトウキビを作らされるなどの、完全なる奴隷搾取状態ではなく、差別の度合いはマシだったそうです。
なお、現在の米農家さんは二毛作はぼぼされておらず、本土よりも早めに苗を植えて、台風シーズンの前に収穫して、出荷や消費をされているそうです。(田んぼには既に水が張られ、20センチくらいの稲が植わっていました)
日本列島は南北に長いので、同じ田園風景であっても、時期や雰囲気が違って、とても面白いです^^♪
●種子島 観光総合情報サイト
●「馬毛島基地」について




