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ジャンル:遍路修行日記
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2018/09/26のBlog
[ 20:50 ] [ 遍路修行日記 ]
お四国参りをマイカーで行うことの楽しみは、

自分のペース・想いで

自由に動けるということです(^^)♪



私が暮らす大阪・本州と四国の間に淡路島があり、

そこでゆっくりすることも、

お遍路における醍醐味の一つです。



行きは、淡路島の北端にある淡路サービスエリアで、

美しい太陽を礼拝します。

これから始まる遍路行(四国での時間)が、

よいものになるように願かけを行い、

ご加護を祈ります。

「今回はどんなこと・もの・人に出会うんやろう?」と

希望に満ちあふれた時を過ごします。



帰りは、美しい夕日や夜景を観たりして

感謝の気持ちで行を終えます。

私の場合、行の始まりと終わりは

この淡路島にて“式”を取ります。



また、お気に入りの日帰り温泉施設

「松帆の湯 http://matsuho.com/hotspring/」で、

夕食や明石海峡大橋が見える露天風呂を満喫し、

行の汚れを取り、また明日からの生活の英気を養って、

一息ついてから娑婆・大阪に帰ります。



松帆の湯の駐車場で、

今回もぼけーっと明石海峡大橋を眺めていました。

「ああ、またあの娑婆に帰るのか~・・・」と

憂鬱になる瞬間があります(笑)。



こっち(淡路島)が彼岸<仏様・悟りの世界>、

あっち(本州)が此岸(しがん、人間の世界)。

明石海峡大橋はそれをつなぐ橋。

明石海峡は三途の川に観得ます。



今日も生まれ行く命、還り逝く命、、、

いろいろあるんやなーって眺めております。

生も死も一つの流れ、自然現象ですからね。



夜は美しく見える都会も、

太陽が上っている間はその明りによりありのままが観え、

汚れ穢れているのがよく分かります。

個人差・地域差はありますが、

過去から積み重なった人間の

各種想念がうずまいております。



人間は【無明の動物】で、

美しいネオンのみに心囚われて、真実を観ず、

それが光であり宝であると勘違いしており、

口では「幸せになりたい」と言いながら、

全くの正反対に堕ちている・不幸になっている人は

多いような気がしております。



きっと、何のために生きているのか?

分っておられないし、

分かろうともされていないのでしょうね。。。

(ー人ー)南無南無



私は美しいものが好きであります。

だから、私は純粋にこの此岸があまり好きではありません。

美しいものもありますが、

“みにくいもの”、観たくないものもたくさんあるからです。



だけど、ご縁あって私は今、この此岸におります。

きっと、お得意の使命感を持って、自ら立候補し、

何らかの使命役割を担って、

この橋を渡って来たんやと認識しております(笑)。



だからこの此岸人生をステキに謳歌しなければと、

この風景を眺める為に思うのです。



此岸の中に在っても、天は私に善き信仰(=道しるべ)と

善き師・仲間を与えて下さっています。

ですので、少々迷うことはあっても、

露頭に迷うことはありません。



私は、人間の口々に違って出てくる

【まやかしの真実】は信じません。

なぜなら、真実は一つだからです。



人によって言うことが違うものは、

真実ではなく、まやかし・虚実です。

人間の心にこびりつく恐怖心や罪穢れ、

各種悪想念が、真実を捏造していくのです。



それが積もり積もって、地域や国家、地球全体が穢され、

その自浄作用でいろんな難が起こって来るのです。

従って嫌がる・嘆く・恐怖に怯える・忌み嫌う前に

やるべきことがあります。



だけど、時にその真実が、

誰かの口を使って私に伝わって来る時があります。

それは信じます。

その時の人間の口には、神々しさ【ヒカリ】があり、

真実か虚実か瞬時で判別出来ます。

(真実にはヒカリがあり、虚実にはヒカリはありません)



役行者・修験道で言うべきところの【験力

(大自然・大宇宙の中心軸を成している絶対的一の存在=

真実と自らが一体化し、その絶対的存在と一体化した動きを取り、

時に森羅万象をも動かす・変化させる力)】の

底なしの凄さを最近、実感し始めております(ー人ー)☆



なかなか、この境地・次元のことを言語化し、

的確にに伝えるのは難しいですが、

もうぼちぼち、

これをやり始めなければなりません。。。(難)★



人生は、必要なもの(縁)は全て与えて下さっている・

不必要なものは絶対に与えられないと、確信を得ております。



不信でも過信でもない、自信。。。



私は常にその【唯一無二の真実】を手探りに、

曲がりなりにもこの此岸で生き抜き、

やがてまた彼岸に還って逝きたいなと思っています。



死ぬその瞬間を「縁起でもない」などと、

死ぬ寸前まで一切考えない人間は次元が真に低く、

時代遅れであります。



「自分はいつか必ず死ぬという真実」を

ド真剣に考える程、

今ここに生きていることを真剣に考えるのと同一の意味が在り、

自分が今持っている命というものが益々輝いて来るのです。



今後も、この地域・国家・世界・地球で起こることに対して、

憂することも絶望することもなく、

今まで通りに各種祈りを捧げながら、

自分に出来ることを精一杯行い(真実の探求&実践)、

そして今生の人生をステキに謳歌して参りたいと、

この美しい明石海峡大橋の風景に誓い、

この橋を渡って、この娑婆に帰って来ました(^人^)☆


2018/09/18のBlog
お遍路仲間の方より「花へんろ」という、

1980年代にやっていた早坂暁氏

(昨年末亡くなられました)作の

NHKテレビドラマを紹介して頂き、

先日BSプレミアムで放送されていた“総集編”を観、

更に先日新たに制作・放送された

「花へんろ特別編 『春子の人形』

~脚本家・早坂暁がうつくしむ人~」を観・・・

これまた感動、感動でした。。。(T0T)☆




【花へんろ特別編 『春子の人形』 ストーリー】

お遍路道に沿った商家の軒下に人形と一緒に

赤ん坊が置き去りにされていた。

この女の子は春子と名づけられ、少年・良介の

3歳違いの妹として育てられた。

やがて戦争が始まり、良介は海軍兵学校に入学。

兄にほのかな恋心を抱いていた春子は

兄に会うため広島の方へと向かうが、

翌8月6日、原子爆弾がさく裂する。

(早坂暁氏の実体験を元に制作されたものだそうです)



・・・という感じなんですが、何といいますか、

戦争の悲惨な描写では、人間とは

何と穢れた罪深き存在なんや!と嘆き悲しみ、

一種の絶望感を感じるのですが、その一方で、

良介と花子の純愛を通して、人間とは何と美しい、

愛に満ち満ちた【うつくしむ人】なんや!と、

その“振り幅”がハンパなく凄くて感動、感動でした。。。



過酷な境遇を一所懸命生きる・・・

弱い立場にあるけど勁き人達を“うつくしむ”

早坂暁氏の愛のドラマ・・・この年になって分かる、

奥深き世界だと感じております。



ドラマのネタバレ状態なのですが、

ドラマの最後に良介は母と一緒に、

春子を始めとする戦争で亡くなった人達の

供養のためにお遍路に出ます

(※戦後当時は歩き遍路しか方法はありません)。

「お遍路は死者に会える」春子にもう一度会いたいがために

良介はお遍路に出るのです。



5年程前、私の伯母が亡き伯父の供養の為に、

バスツアーで四国遍路に行ったそうです。

そのバスでは「88ヶ寺どこかのご本尊様が、

必ず供養したい・亡き人の顔をしている」

と言われてたそうです。



ですので伯母は一ヶ寺ずつ丹念にご本尊様を

観て行ったそうで、松山のあるお寺のご本尊さんのお顔が

伯父そっくりで「本当に会えたようで、嬉しかった!」と、

満面の笑みで私に報告してくれました。



ドラマの最後のシーンの砂浜で良介は

「春子はいつもここ(僕の胸・心の中)にいる)」

と分かったとのこと。。。

まさに春子との【同行二人】ですよね。。。



母は・・・

「逢いたいと思う人がいるということは素晴らしい。

その気持ちがあれば日本は大丈夫。

その気持ちが、人をたて直し、生きる力となり、心をよみがえらせる。」



この母の言葉が、現代の遍路道を歩む、

人生を歩む私たちにも相通ずるものがあり、

深い感銘を受けました。



現代でも四国遍路が多くの人達に愛されている理由が

とても良く分かりました。

時代は変わっても、生きる力・おかげさまの力を与え、

心を人生を新しく蘇らせるのが

四国遍路の根幹的役割なんだと思います。




帰らざる 人も歩けや 花へんろ




※この「花へんろ特別編 『春子の人形』」が

再放送されるそうです(^^)♪

是非ごらんください~



2018年10月6日(土)午後3時5分~ NHK総合テレビ

※広島県・新潟県・香川県は午後4時~

https://www.nhk.or.jp/dsp/hanahenrosp/



2018/06/17のBlog
なんやかんやで更新が遅れました(^^;汗)☆



せっかくいろんなものを観て参りましたので、

さらっとご報告させていただきます~



“何かにつまずいたら

一歩先を

見るとよい

いつまでも

そこにいると

その苦しみから

ぬけだせない”




・・・ステキなお言葉ですよねぇ(^人^)♪



苦しみ等の“マイナスの観念”の中にいると、

私たちはそこに立ち止まってしまい、

ずっとその観念から抜け出せない・・・



結局のところ、

他者ではなく自分自身が

増産してしまっている観念に囚われて、

自分自身の手によって不幸に堕ちている

という事実があろうかと思われます。



マイナスの観念に囚われている時も、

自分自身の【ありのまま】をちょっと離れたところから

冷静・客観的、そして大局的に覩、

ずっと先・・・までは観る必要はないかも知れませんが、

このお言葉のように、一歩先を観ようとする努力する方が、

解決の糸口や突破口を見つけれる可能性も高くなるし、

苦しい中ででも、そこに幸福や意義を

見出せる可能性が高まって来ると感じています。



人生って、この【有の世界】にいる限り、

あらゆる苦難や問題、課題が次々と起こって参りますが、

それは「新しい自分」への進化の兆し(種)ですので、

喜怒哀楽全てを【ありのまま】で覩、どんな時でも、

前向きに生きていきたいなぁと思っています(^^)♪



今、ここに生きているからこそ、感じられる喜怒哀楽。

【無の世界】に還ると、何も無いし、何も出来ないし、

そして何も感じられませんからね。。。



(ー人ー)南無大師遍照金剛☆




高野山・奥之院の中に、

大きく「河内大師」と書かれた石碑を見つけました。



よくよく見ますとその横に、

私が暮らす大阪府八尾市の

戦没者の大きな慰霊塔が建っており、

「八尾市戦死者 英霊塔」

と刻まれていました。



八尾にゆかりのある、大石順教尼さん

のお墓の後ろに建っていました。



八尾市・上之島にある「河内大師」

というお寺が建てたようです(詳細は分かりません)。



いち八尾市民として、

このような素晴らしいことをちゃんとして

下さっていることに、

深く・・・深く感動いたしました。



“ご供養”といものは、

過去の過ぎ去ったことですし、

目に観えないことです・・・が、

【池に映る自分の姿】のように、

自分たちを映す鏡であり、

自分についてまわる表裏一体&

自他一如のものであります。




私たちの八尾市の健全なる発展と

八尾市民の幸せを、

聖地・高野山から見護って下さっていることに、

ただただ感謝・・・

報恩感謝の念を感じております(ー人ー)☆



高野山の報告はこれで終わりです(^^)♪

高野山大師教会・授戒堂にて、

授戒体験をさせていただきました。

http://www.koyasan.or.jp/experience/



想像を遥かに超える、感動体験でした。。。

時間は30分程度なんですが、

ほぼ真っ暗な授戒堂の中の、

何とも言えない・・・

お大師さんが生きておられた

1200年前と何ら変わらないであろう、

幻想的で荘厳さハンパない儀式でした。



その儀式を言語化するのはほぼ不可能ですが、

敢えて表現するならば

「宇宙【無の】空間の再現」という感じでしょうか。。。

スペースシャトルの人が宇宙服を来て、

宇宙の無重力空間で浮遊されていますが、

この状態に近い心境だと感じました。



意識が現実からぐんと離れ、

自分が何者なのか?

地球を遠く離れた場所から観ている感じです。



自分が死んで宇宙の塵になったのか?

それともこれから地球に生まれて来るのか・・・?

とにもかくにも摩訶不思議な空間でした。



ステキに居眠りをされていた方もおられましたが(笑)、

私は初めての体験でしたので、

バッチリ目を開けて・・・

と言ってもほぼ真っ暗なので、

何も見えないのですが

感性を研ぎ澄まして、そこに座っておりました。



儀式が始まりしばらくすると悲しくないのに、

涙がポロポロ。。。

四国遍路の時も、

こんな不思議体験を数回経験したことがあります。



自分の涙のようで、

そうじゃない感じもして・・・

まるで天から降る慈雨って感じ。



そして、降りて来た言葉・・・

【 赦(ゆる) す 】。



ああ、信仰(=時代や人種を超越した、

真の幸福への道「あるべき姿」)の根本って、

「赦すこと」なんやーって、

直感的に観得た瞬間で、

真っ暗なお堂に鮮烈なヒカリが

降りて来た感じがしました。



赦すものは、やっぱり

【自分自身】なんだと思います。

自分自身の「ありのまま」を認める。

えぇところも、アカンところも

全部ひっくるめて赦す。

と同時進行で&輪をかけて

相手(自分以外の万象)も赦す。



そうすると自ずと全てが拓けて来る。

真の進化が叶って来る。

人生、起こること全てが必然であり、【善】である。

そこに善悪や高低をつけるのは、

人間の我儘・・・【罪】なんだと思います。



授戒体験が終わり、お堂を出ると、

とってもヒカリが眩しくて清々しい☆

思わず「おぎゃ~☆」と、

生まれたての赤ちゃんのような心境(笑)♪



こんな感じで、

人生の中で大切なことや必要なことを一つずつ、

大切に拾っていってるステキな毎日でございます。

お大師さん、ご縁頂きました三和会のみなさま、

ありがとうございました(^人^)☆


2018/06/12のBlog
今回高野山に行った日の午前中、

いつもお借りしている畑の

「一斉草刈り日」ということで、

私の母と一緒に畑仲間のおじさま方と

せっせと草刈りをしていました。



私が掃き掃除をしていると、

ちょっと離れた所で母と仲間のおじさまが

話していました。



おじさん「よしこちゃん、これから高野山へお参りに行くそうやね~」

母「そうなんですよ! 若いのに、四国とか、お参りばっかり行ってて、、、

 ほんまにも~、年寄りじゃーあるまいし、

 他にせなアカンことあるやろうっていつも思てますねん!(呆)」

おじさん「まぁ、よろしいですやん。

 えぇことしてはりますやん(なだめる感じ・笑)」

母「えぇことなんですけどね・・・(嘆&笑)。
 
 私も主人も(神社仏閣には)全然興味ないんですけど・・・

 ま、我が家では【隔世遺伝】やて言うてますねん。

 あの子の父親の母親(=私の祖母)が

 熱心にお参りに行ってましたから~」



・・・ってな訳で、大橋家では私のこと、

意味不明&摩訶不思議な宇宙人的存在として

扱われ続けております(^^;凹)。



私は昔から、縛りの緩~いステキな両親の下で、

しかも兄妹の真ん中で自由奔放

(いい意味で自分を持っていて、わるい意味で団体行動がニガテ^^;)

に過ごして来たので、誰が何と言おうとも、

反社会的行動ではない限り、

自分のお金・時間・気力(エネルギー)を使って

自己責任でやっているので、

やりたいこと・やるべきことはやるという

意思を貫いている次第です。



だけどやっぱり、身近にこの手の価値観を

理解・共有しあえる人がいないのが、

ちょっと悲しいなぁ~と思う時があります(^^;)。



そんな時、この【隔世遺伝】という言葉に

私はいつも救われています。



だから今でも

「おばあちゃんがもしも今も生きてくれていたら、

孫の私のこと、心から褒めてくれるやろうーなー・・・」

って思い、ちょっと切なくなります。。。



が、生きていようが死んでいようが、

喜んでくれていることには間違いがないという

確信を得ています。

これは理屈ではなく、真心からそう感じています。



私のおばあちゃん・・・

四国などにお参りに行く時に、

あっちこっちにあるお地蔵さんの赤い前掛けが

ボロボロになっていたら、取り替えていたそうで、

晩年裁縫がだんだん出来なくなって来たら、

裁縫が得意な母に前掛けを縫って欲しいと、

赤い布を母に持って来ていたそうです。



そんな優しい徳の高いおばあちゃんに、

こんな感じで今も、

私の人生を陰で応援して貰っていることに、

ただただ感謝・・・万感の想いがこみ上げて来ます。




だからおばあちゃんは私にとって

【筆頭ご先祖様】であり、

この手のお参りに行く時は、

おばあちゃんに貰った御守りを必ず持っていきます。



おばあちゃんがこの世を去って四半世紀が経ちますが、

いつも一緒・・・っていうか、

一心同体の【一の存在】・・・

まさに【同行二人】という確信を、私は既に得ております。



当然のことながら【今】の私自身の“現世利益”も

非常に重要なことなんですが、

全ては“因果応報”ですので、

この【今】というものと同時に【過去】にも

常に意識を向けたいと思っています。



家(家系)って、

生きていようが死んでいようが関係なしに、

【血という名の糸】で繋がった一つのチームですので、

今後もステキに先祖供養に励み、

私たち子孫全員の繁栄のための

「根(もと)」としたいと思っています(*^^*)♪




【写真】高野山「三鈷の松」前にて、

おばあちゃんの御守り、等

(最後の写真、左写真:一番左側、

右写真:右側の女性が私のおばあちゃん・大橋キクヱです)


2018/06/10のBlog
[ 18:04 ] [ 遍路修行日記 ]
四国88の師匠・引田大先達

(最初の写真・左から3人目の方)より

お誘いいただき、

この土日(23・24日)高野山に行って来ました。

引田大先達率いる四国88参りの講「三和会」へは

4回目の参加となります。



みなさん一泊二日で愛媛・東予地区から

京都の東寺にお参りした後、

高野山に来られ(午後高野山で合流)、

そして愛媛に向かって帰って行かれました。

めっちゃハードスケジュール・・・

おつかれさまでございます(^^;)。



おかげさまで今回も内容の濃い・・・

気づきや学び、感動深い行(時間)となりました。

詳細は後ほどアップさせていただきますが、

まずは高野山の美しい風景【氣】を

おすそ分けさせていただきます~(^人^)♪



所謂“行場”から帰った時は、

持って行ったもの(特にマイカー)を

綺麗に拭くなどして掃除をしてから元の場所に戻します。

私の命(身体)を運び、

護ってくれたマイカーに感謝の気持ちで綺麗にすると同時に、

行場には“良からぬもの”も浮遊しており、

それがくっついて来ている可能性があるので、

それを自宅に持ち込まないという2つの意味があります。



準備・徹底、そして後始末。

雨が降って来ようが、車を綺麗にします。

あくまで【氣】のもの・・・

ジコマンゾクでございます(笑)☆



三和会のみなさま、ありがとうございました(^人^)☆



【写真】高野山・霊宝館前にて三和会のみなさまと♪

その他、高野山の風景いろいろ・・・そしてマイカー。



高野山真言宗 総本山金剛峯寺(高野山)

公式ホームページ https://www.koyasan.or.jp/


2018/05/27のBlog
5月18日から22日まで、

お一人様マイカー遍路をさせて頂き、

いろんな素敵な出会い・気づきがありましたので、

忘れないうちに、一気に更新させて頂きます~^^♪



2日目に泊まった26番金剛頂寺の宿坊で

同じマイカー遍路をされていた、

中先達のおばさま・竹下さんとお会いし、

夕食が同じテーブルになりました。



もう一人、歩き遍路のおにいさんもおられ、

3人共に歩き&マイカー遍路の経験がある

リピーターでしたので、お遍路ネタで大いに盛り上がり、

楽しい夕食時間を過ごさせて頂きました。

私からお願いをし、竹下さんとFB友達にもなって頂きました。

今後もいろいろとご教示頂けそうで嬉しい限りです~(*^^*)♪



歩き遍路のおにいさんとは、

お遍路のスピードが違うので、

その宿坊以降会うことはありませんでしたが、

竹下さんとはその後、29番国分寺、

飛んで39番延光寺、40番観自在寺、

そして42番佛木寺と合計5ヶ寺でお会いしました。



竹下さんはマイカー&歩きと20周以上も

お参りされておられるので、

私よりももっと早くて要領よくお参りされており、

私はゆっくりな上、途中高知市内で

お買物したりしていましたので、

29番さんでお会いするのが最後だと思っていました。



が、私は訳あって、30番善楽寺と、

足摺岬にある38番金剛福寺のお参りは済んでおり、

これら2つを飛ばして今回お参りをしたので、

偶然39番延光寺でお参りするペースがまた合いだしました。



40番観自在寺で出会った理由は、

竹下さんが仲良しな方と会うために、

本堂前でじーっと待っておられたからです。



そして私のカーナビは、40番から41番に向かうはずが、

何を勘違いしたのか、42番佛木寺の近くで

「到着しました~」と案内を終えてしまい(涙)、

しぶしぶ、その道の先にある42番をお参りしてから、

近くにある41番龍光寺に戻ろうとし、

そしたらその42番さんで竹下さんとお会いしたのです。



竹下さんとはお会いする度に

【ほんと、ご縁ですね~(^0^)!】と満面の笑みで再会♪

ほんと、ここまでガチっ☆とお参りのタイミングが合った人は初めて、

何だかとても感動しました。



以上長々と記しましたが、

私は竹下さんとのご縁と通して、【よっぽどの縁】というものが、

やっぱり存在するのだということを確信しました。

同じ時にお遍路をしていても、

一瞬の差で出会わない人もいるし、

出会ってもお互い知らないので「こんにちは」と

言い合って終わったりします。



私の大阪での日常生活で出会う、

両親兄妹・親族を始め、

毎日のように出会う・時々出会う方々との

【よっぽどの縁】の素晴らしさ・・・当たり前だと思うことなく、

大切にしなくてはいけないなぁ。。。と

反省と感謝の気持ちが、

この初夏の陽気みたいに爽やかに湧いてきました(^人^)☆



ほんと人生って、出会うべく人に出会うやなぁ。。。

一瞬早くもなく、遅くもなく。。。



【写真】29番国分寺・大師堂にて(後姿のお遍路さんが、竹下さんです)


四国遍路をしておりますと、いろんなお寺があります。

人がやって来て去って行くと、

どんどん境内が汚れていきます。

それは目に見えるもの、目に観得ないもの両方です。



ちゃんとされているお寺は、常にその両方が綺麗に保たれています。

29番国分寺は行く度に綺麗な霊気が漂うお寺だと感じています。

清浄な場所でないと真の神仏はそこに存在出来ないので、

あらゆる面で綺麗に保つということが管理者には求められているようです。



今回お参りした時、腰がステキに曲がった

小柄なおばあちゃんが、

一所懸命&精魂込めて掃き掃除をされていました。

私が境内にいる間、ずーっと掃いておられ、

なぜいつも国分寺さんが綺麗なのかが良く分かりました(^^)☆



そんなに腰が曲がってご高齢なおばあちゃん。。。

わざわざ朝っぱらから、お寺にお掃除しに来ないで、

若モノに任せて、ゆっくりお家で過ごして欲しいと

思ったりもしましたが、そのおばあちゃんは、

とても活き活きとそして慣れた感じで

無駄無く掃き掃除をされていて、

「ああ、ここがおばあちゃんの居場所であり、

おばあちゃんの天職(天から与えられたお仕事)なんやなぁ。。。」

と感じました。



朝の清々しい木漏れ日が、そのおばあちゃんに

健やかに生きるヒカリを与え続けておられるんやなぁと

その美しいお姿に、しばらく見惚れていました。



このような感じで、この四国88の遍路道も、

多くの地元の方々の御尽力により、維持管理されています。

そんな皆様方のご多幸をご祈念申し上げております(^人^)☆


自分がかつて歩き遍路をしていた時を中心に、

四国のみなさまからたくさん【お接待】を頂きました。



徳島→高知を進み、愛媛・南予地区に入って、

左手の風景が太平洋から瀬戸内海に変わって

国道56号線を北上するところでも

お接待を頂いた時があります。



それはとても寒い日でした。せっせと歩き、

国道56号線を宇和島に向けて北上していました。



そこに一台の乗用車が止まり、助手席の窓が開き、

運転席にいたおにいさんが「お接待です。

寒いのにご苦労さまです。」と

あったかいペットボトルのお茶を私に手渡されると

颯爽と進行方向に去って行かれました。

その間15秒くらいでしょうか。

この国道56号線は交通量が多いので、

駐停車しづらい道路なんです。



その方はスキンヘッドでしたが、

怖い感じではなくお坊さんのようでしたが、

普通の服を来ておられました。



そのお接待を自然にさらっとされ、颯爽と去って行かれるって、

なかなか出来ない・行けない境地であります。

生き仏様とは、あのような御方なんだと、

今でも鮮明に覚えています。



あったかいお茶に込められた

おにいさんの御心に感涙しながら、

てくてく歩いていたことを、ここを通る度に思い出します。



今回の車遍路の際、しんどそうに歩いておられる

お遍路さんを二人見たのですが、

アクセル踏んで抜かして行きました。



かつて私が歩き遍路しててしんどい時、

地元の人とかが私に声をかけ、数回乗せて頂き、

とても助かりました。

自分が何回もして頂いたにも拘らず、

いざ自分が出来る立場になっても、

それが出来ないということに、

自分の至らなさを痛感して帰って来ました。



「急いでいるから」とか「引き返すのが面倒くさい」とか

「(お接待を)断られたらどうしよう」とか

「ヘンな人やったらどうしよう」とか、

そんな正当っぽいことを思いつつも、

やっぱり自分の良心は痛む訳です。



ですので次回車遍路をする時は、

更に時間のゆとりを持って、

困っているお遍路さんがいれば、

お声がけしたいと思っています。



人間は自分のことが一番良く観得ませんが、

こんな感じで、客観的に観得てくるのもまた

四国遍路の魅力だと感じています。




【写真】愛媛・南予地区の海の風景と、

かつてお接待で頂いたあったかいお茶(2012年2月28日)

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