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ジャンル:遍路修行日記
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2015/10/23のBlog
[ 07:44 ] [ 遍路修行日記 ]
2番・極楽寺の宿坊で

たまたまご一緒させて頂きました、

神奈川からお越しの歩き遍路のおばさんが

一足先に宿坊を出て行かれました。



お見送りの後、写真をパチリ☆

そのおばさんに、お遍路をされている全てのみなさんに、

この地球上のみなさんに・・・(^人^)~☆



それでは私もボチボチ宿坊を出ていきます。



2015/10/22のBlog
明石海峡大橋を渡るとテンション急上昇っ↑

鳴門大橋を渡るとテンションがしなやかに上昇っ↑

そして1番・霊山寺(徳島県鳴門市)に到着すると、

一気に気が引き締まる。



「ああ、また始まるのか。。。」

「一周ちゃんと無事回れるのか? 

今回はどんな出合い・気づきがあるんやろ?」と万感の想い。



ここに立つ度に何とも言えない想いが込み上げて来ます。



“5周目”は、お遍路の講「大阪楽心会」の方々との

『公認先達としてのサポーターお遍路』です。

(この5周目は1番から順番に打てて(回れて)おらず、

ちょっと「乱れ打ち状態」で、まだ途中です)



で、今日から自分一人だけでのマイカー遍路は

“6周目”となります。

公認先達になってから、こんな感じで「公認先達として」と、

「個人的に一人で」と2つの回り方を

同時進行で行うことにいたしました。



自分一人でお参りに回る時は、

必ず1番から88番まで順番に行きます(順打ち)。

その方が、「お遍路してるなぁ~」という実感があり、

88番大窪寺【ゴール】に着いた時の

達成感がグン!と上がるからです。



それに過去4周、ずっと順打ちでお参りしておりましたので、

その時々に思っていたことや、

自分自身のレベル(成長っぷり)が思い出され、

結構イイカンジです~(^^)♪




今度この霊山寺の前に立つ時の、

『更に新しい自分』の姿を楽しみにしながら、

また一周がんばって、修行して参ります



【写真説明】

①②1番・霊山寺の山門&いつも私を歓迎してくれる、

ちょっと不思議な「お遍路マネキン」

(写真加工し『ようおこし』と入れてみました。笑)♪

③霊山寺本堂の天井(一部)。

なんだか『魂の荘厳』さがあります。。。



③3番・金泉寺の山門。

とっても清らかで清々しい風が山門に

向かって流れてきていました(^^)♪



④5番・地蔵寺境内。大きなイチョウの木が凄い。

ここで出会ったのが、横浜の男子中学生達。

歩き遍路の体験ツアー

(時々大型バスでスキップするそうです)なんだそうです。

まだまだニッポン男児も捨てたもんじゃーないですねっ(^0^)☆


2015/07/21のBlog
『大阪楽心会』主催の「歩く遍路」を終え、

昨晩大阪に戻りました。



梅雨の合間の曇り空

(時々雨で、カッパの中が蒸し暑い)の中、

時々車でスキップしながら、

愛媛県宇和島市にある41番・龍光寺から

久万高原町を抜け、

松山市に入るところ(46番・浄瑠璃寺)まで

歩かせていただきました。



四国八十八ヵ所霊場会の

『公認先達』として、

曲がりなりにも今回始めて、

ご本尊並びにお大師堂の前等での

読経の「先導役」をさせて頂きました。



また、歩いてお参りする区間は、

みなさんの最後尾

(もしくは最後の方の一つ前)を歩き、

みなさんが滞り無くまた無事に

お参りが出来ますように、

心を配らせていただきました。



このような感じで、

お参りをされている方々と一緒に楽しみながら、

みなさんを陰に陽にサポートさせて頂くという

『先達修行』もまた、

今後も同時進行でコツコツと積んで行って、

“お大師さんの御心(=真の幸福)”に、

自らを近づけて参りたいと思います。



ありがとうございました。




1枚目写真:41番・龍光寺(宇和島市)にて

2枚目写真:42番・佛木寺(宇和島市)

3枚目写真:愛媛・卯之町の町並保存地区を通る遍路道の風景

4枚目写真:43番・明石寺(山門からご本尊を望む)

5枚目写真:46番・浄瑠璃寺(松山市)の池の蓮


今回の四国遍路修行についての感想(個人的雑感)を

徒然なるままに記してみたいと思います(^^)♪



以前もさらっと書かせて頂いたかと思いますが、

私が思う真の四国遍路修行スタイルとは、

『一人で遍路をすること(その究極は「歩き遍路」)』が

本来のスタイルだという価値観を持っています。

(※人それぞれ条件や価値観がありますので、正解は人それぞれ違います)

ですので、過去1~3周目の四国八十八ヵ所のお遍路修行は

全て一人でお参りをしていますし、今後も一人でお参りを続けます。



それがなぜかと申しますと、私にとって修行とは、

自らの意志により、率先垂範して荒行に投身し、

正に自らの命をかけ、命がけで

自分対自分の真剣勝負をするというものだからです。



人様が一緒にいると、身の危険が無くなり

安全になって、心身がだれて来ます。

これは、日常の生活と全く同じであります。

同じだから、わざわざ四国まで行く意味がなくなります。



そして人様がいることにより、自らの『気(意識)』が散り、

自分対自分・・・ではなく、

自分対人様との修行になり、

自分自身の心の奥深い部分にある、真理(現在と過去(※ご先祖様含む)の徳と罪)を

心の表面へとえぐり出し、昇華(成仏)させることが難しくなるからです。

これも日常生活・娑婆の世界と同じであります。



人里離れた霊峰(修行場)で、

『一人』という誰にも頼れないという恐怖に対して、

戦いを挑んだり、喜んで受け入れて

「死ぬ時も、こうであろう。人は一人で死んで逝くのだから」と

生きながらにして死んでみるという

そのような生死を彷徨う荒行の、その奥の奥に、

「生」という名の「真理」が存在し、

それを掴むことがし得るのだと私は観ております。



そう思う一方で昨年、

フランスの映像作家・エミリベルトさんと出会い、

彼女の歩き遍路のドキュメンタリー映画の制作の

サポーターとして、彼女や彼女の知人縁者の方々と

4周目を一緒にお参りをし、

そこで出会った私の恩師(お遍路の師匠)であります

引田大先達に公認先達になるよう勧められ

ほぼ全ての手配をして下さり、なるご縁を頂き、

そしてこの度の5周目は、四国八十八ヶ所霊場会の『公認先達』として

何らかの理由並びに価値観で一人でお遍路出来ない・したくない方々の

サポート役や案内役としての新たなジャンルの

お四国修行の項目が加わった次第です。



この一連の修行の流れは、私にとって正に神業のように

自然の流れであり、それが絶妙で恐ろしいくらいです。

この世(顕界)とあの世(幽界)の境目に立たれ、

行き来(橋渡し)されている“お大師さん”が、

「この子には公認先達になってもらって、更に修行して貰おう~♪」と

さらっと決められたような感じです(笑)。



私のようなマイペースが大好きで、一人&自由を愛し、

一人でいろんなことをやってしまう・出来てしまう人間にとって

数日間、誰かと一緒に何かをする・人に合わせるという修行は

一人で山篭り修行するよりもある種ハイレベルな荒行であり、

正直、苦痛・苦行であります(爆)★



しかしながら、この苦行に

自らの意志により飛び込むことによって、

観得てくる境地もあり・・・

そんなみんなと一緒に歩くという修行が

だんだん苦痛でなくなって来ますと、

娑婆の世界(日常生活)でも、

みんなであれこれすることに対して苦痛でなくなって来ます。



人と何かを一緒にする『コツ』として、

『自分を捨てること』ということが観得て来ました。



山を歩く時は、自分の歩くペース(スピード)を捨てる、

お参りをする時は、

自分の読経の順番やスピード、抑揚(リズム)を捨てる・・・

要は自分自身の思考や環境、クセ、価値観・・・全部を捨てて、

周りの人達に合わせ切るということです。



イメージとしましては、

自分の家の(電気の)ブレーカーを自分の意志で喜んで

一旦落とすという感じです。

ブレーカーが落ち、電気(自分の意志や感情)が

全部消えたところで(一旦、心を『無の境地』にする)、

周りにいる人たちの意志や感情に

自分の心&言動を合わせて行くという(ここで『空の境地』になる)感じです。

そうすると、バラバラに点在していたその周りの人たちの家々の明かりが、

まるで一つの大きなマンションの全室が

一斉にパッと電気がついて明るくなった感じになり、

みんなが一つとなって、『和』が描かれて行きます(=大和)。



自らの意志や感情を捨て切って、誰か(みんな)と言動と心が一致しますと、

1+1=2 ではなく、1+1=∞(無限大)になってゆく訳です。

一人の人間の力だけでは、大したことは出来ませんが、

こんな感じで、みんなが自分(小我)を捨て、

大我(和)に生きれば、一つの大きな力が生まれ、

世の中って一気によく変わってゆくのだと感じました。



-----------------------



更に別のことを思いました。



この世界とは、空と空に浮かぶ雲のようなんだ・・・と

見上げたお四国の空を観て感じました。



雲は「顕界」つまりこの娑婆の世界(この世)であり、

空は「幽界」つまりあの世のことであります。



雲は流れ、コロコロ形を変えてゆきます。

私たち人間の心のようにコロコロ変わり、

同じであり続ける雲はありません。

また私たちの身体のように、また周りの物質のように、

どんどん老いては消えて行き、

また新たな雲(人・物)が生まれて来ます。



こんな感じで、雲はコロコロ変わって来て、

諸行無常であります。



しかしながら、よくよく観察してみますと、

「空(そら)」は一切変わっていません。

コロコロ変わっているように見えるのは、

雲(天気・気候・季節)と太陽のせいであります。

変わっているように見えていたのは、

自分の思い込み(感情)であり、無知な思考であります。

以上のような真理は、

恥ずかしながら、今回のお四国修行で気づいた次第です。




ほんと、見せかけの雲や太陽の光の有無で

空までもコロコロ変わっていると思い込んでました。

我ながら、自分の感情や思い込み、無知さのせいで、

真実がどれだけ歪められ、見えて、

間違った判断や行動をし続けているのか?

今日(こんにち)までの自分自身を大いに恥じた・・・と言いますか、

懺悔(さんげ)に近い感覚を覚えました。





・・・世の中は易不易であり、

雲のように変わることが「易」

空にように変わらないものが「不易」となります。



この空という「不易」というものの存在を

常に把握し、掴んでおかないと、

人生において中心軸(あるべき姿、真理)を見失い、

彷徨ってしまいます。




私自身、生まれた瞬間に既に頂いた「不易」に、

自分自身の長いようで短い人生において

自己努力(修行)によって手に入れた「不易」を足して、

真の幸福とは何か?真実とは何かを見極め

ぶれずに真っ直ぐ(実直)に、歩んで、そして逝きたいと

改めて感じた、お四国の空でありました。



目指せ☆『空(くう)』の境地です(笑)♪




写真1:「御自由にお休み下さい」 久万高原町の街角にて
(お遍路道沿いには、町の方々お手製のステキな休憩所が至るところにあります♪)

写真2:「揺るがない 心が決める 大師の教え」 八丁坂越えの遍路道にて♪

写真3:三坂峠→46番・浄瑠璃寺までの遍路道。里山風景が美しい♪

写真4:徳島県の吉野川サービエスエリアにて。
徳島ラーメン食券番号「88」が、お遍路さんとして、かなり嬉しい~(*^^*)☆

写真5:同サービエスエリアにて。
「節約の時代です。遺ったお料理をお持ち帰りください」
ステキです~(*^^*)☆


2015/07/18のBlog
[ 11:50 ] [ 遍路修行日記 ]
7月18日(土)~20日(月)まで、

大阪楽心会というお遍路の講(コミュニティ)

主催の『歩く遍路』

(出来る限り歩いてお参りしようというスタイル)

に参加しています。



今回は41番龍光寺(愛媛県宇和島市)~

46番浄瑠璃寺(松山市)の手前までお参りします。



朝7時に難波に集合して、

今車で龍光寺に向かっているのですが、

台風11号の影響で、

電車や高速道路がとんでもないことになってまして。。。(>0<)!



大阪環状線をはじめとするJR線が

ほぼ運休する中、

私が愛用するJR大和路線だけが

奇跡的に全区間で通常ダイヤで運転していて、

おかげさまで予定通りに集合場所の難波に着くことが出来ました。



私はそこで「神」を見、「天」を仰いだ瞬間でした。。。

このような正に神がかりなことが

「信仰」というものの根本だと感じました。



で、難波でみなさんと合流した後、

あらゆる場所が通行止めや大渋滞で・・・

とくに神戸市内はとんでもないことになっていましたが、

ドライバーの井上さんが

あれこれがんばってくださったおかげで、

予定より2時間程度の遅れで淡路島まで行くことが出来ました。



今は徳島道でひたすら西へ・・・宇和島に向かっています。

さてさて。

今回のお遍路行はどんなこと・気づきが待っているのでしょうか。

めちゃくちゃ楽しみです(^0^)♪



写真上:淡路島・淡路ハイウェイオアシス(SA)

写真下:朝7時時点での、JR線の運転状況


2015/06/01のBlog
5月23日(土)~24日(日)と

四国遍路に行って来ました。

遅くなりましたが、その報告をさせていただきます。

(更に、その前後に気づいたことも

一気にブログ更新させて頂きました!)



その前日・5月22日(金)朝6時より、

奈良県飛鳥倫理法人会の

「経営者モーニングセミナー」に参加させて頂きました。

一週間ほど前に、飛鳥倫理の小堀会長から

お誘いを受けました!



講師は、松岡賢法人アドバイザー。

(香川県倫理法人会の元会長です)

松岡さんは株式会社マツオカという会社を

香川県・多度津にて経営されておられます。

ありとあらゆるお遍路グッズの製造販売をされており、

「お遍路繋がり」ということで、松岡さんとは

過去数回、丸亀市倫理法人会等でお会いさせて頂き、

会社見学もさせて頂きました(^^)♪



・・・その松岡さんから22日、

『納経帳』を頂戴いたしましたぁ~(^0^)!!!



当然のことながら、株式会社マツオカ製で、

他の納経帳と同じ値段にもかかわらず、

ご朱印の墨などがすぐに染みこんで乾燥し、

あっちこっちにつかない工夫がなされています。

各お寺の鉛筆画もステキです♪



「お客様に心地よくお参りをして頂きたい」

というお客様キモチ主体の経営を貫き通されているそのお姿に、

朝から深く感動いたしました。



あと、松岡さんの先輩のお言葉・・・

「“営業”とは、断られた時から始まる」が、

とっても印象に残りました。



この“営業”を

倫理法人会風に言えば“普及”にしてみたり、

“恋愛”という言葉に変えてみますと・・・



「“恋愛”とは、フラれた時から始まる」

というように・・・と、いろんなこと(逆境)に応用可能で、

本当に素晴らしい多くのお言葉や気づきを頂きました。



ほんと、お遍路に行く前日に、

松岡さんと再会すること出来、

摩訶不思議なご縁を感じましたぁ~(*^^*)☆


<66番雲辺寺行きのロープウェーのりばにて。

アイスクリン、ほうばっております・笑>



5月23日(土)朝。大阪・難波に集合して、

10人乗りの大きな車と、5人乗りの乗用車とで、

四国遍路に行きました。



大阪府倫理法人会の仲間であります、

還暦を迎えられたおじさま・田渕さんのお父様が

およそ50年前に創設されました

「大阪楽心会」という四国遍路の『講』に

参加者の一人として参加させていただきました。



この「大阪楽心会」の乗り物遍路は・・・

①田渕さんのお父様の時代から長年参加され続けている

おばあさま方

②田渕さんの知人で、一人で遍路が出来ない・したくない方、

また、いつか一人で遍路をしてみたくて、

その前段階として参加されてはる方



大きく分けて以上2パターンの方がおられました。



先日のこのブログにて書かせて頂きましたが、

私は乗り物(車)遍路で且つ団体遍路は好きではなく、

ずっと避けて来ました。

その理由は、

①私は誰に頼らなくても、

一人でお遍路が出来る境遇にあり、その術も持っている。

②私の場合、『自己の内観』が主たるお遍路の目的なので、

誰かと行くと気が散って、その目的が達成出来ない。

③そもそも論として、団体行動がニガテな性格。

④長時間一人で行動しても、怖くも不安もない性分。



しかしながら、摩訶不思議なご縁がありまして、

四国八十八ヶ所霊場界の「公認先達」に

なることになりましたので、

知人の方々が主宰されているお遍路の講に

参加させて頂こうと決意をいたしました。



ということで、

今までのお気楽&マイペース、

そして優雅な『おひとりさま遍路』とは

全く違うお参り方法に、最初は大いに戸惑いました。

だけど、みなさん和気藹々と一つの輪となって調和し、

和を描く有様(ありよう)に

「こんな遍路のジャンルもアリやな」という確信を得ました。



お遍路のしんどさ、そして素晴らしさを

今という時代(中今)を一緒に生き、

一緒に行っているみんなで共有する。

そんな人々の想い(念)が今共鳴し合って、

供養(先祖供養から自分供養(癒やし)まで)を

一気に加速させ、そして成し遂げてゆく訳です。



一人でお経を唱えているよりも、

みんなが発するお経(心)が一つになった時、

その供養のパワーは、ケタ違いに高まるように感じました。



従って、先達という、お遍路さんの案内をする御役目の人は、

みなさんが一つの大きな和(大和)を描くように、

アノ手コノ手を使って、一般のお遍路さんよりもかなり

精進しなければならないということにも、

気づかせて頂きました。



一方、今回の団体遍路中、『フェイスブック』を通して、

かなりライブで(生中継的に)『今、こんな遍路しています』という

情報発信(広報&情報発信)をしていました。

これも私の「先達」としての実践、修行であります。

四国遍路の素晴らしさをライブでお届け出来る・・・

本当にいい時代になりました(^^)。



すると、「私もお遍路に行きたい。次は誘って欲しい」という

お声が出て参りました。

こんな感じで、ささやかではありますが、

1200年以上続く、四国遍路道を

より生成発展させるために、時代の礎になり、

次の時代に繋げて参りたいと思っています。



というような感じで、

今の私にとって団体遍路とは、

『先達見習い機会』のようなものであり、

「今後、お遍路の講のリーダーになった場合、

どこをどのようにすればいいのか?」ということを

かなりの時間、考えており、情報収集しておりました。



そんな中、2日目・24日(日)の朝、

昨年私を先達に導いてくださった、

引田大先達(お一人でお参り中)と、

バッタリ☆68番・69番のお寺でお会いしたのは

強烈過ぎましたぁ~(>0<)!!!!!



ほんと、打ち合わせなしの人生神劇で

物凄い鮮烈な稲妻が走った気分でした!!!



で、おまけで?70番のお寺でもお会いしたので、

引田大先達もご自身で四国遍路をお参りする講をお持ちですので、

講を率いる先達として、あれこれと教えを乞いました(笑)。



そして私は確信をした次第です・・・



「人生とは、出会うべき時に、

出会うべき人(こと)に出会うようになっている」と。

それは『天と人との意志の合一』により成って来るというものです。



宿命と運命のクロスポイントに、

縁というものは立っている・・・ということなんだと思います。



いくら、自己努力したとしても、

それが『天の意志』に背いていれば、

結実成就することはありません。



「やれば出来る」の前提は、

あくまで、天の意志に沿っているというという

ことでなければなりません。



娑婆の世界には、己が持つ真実や天の意志に目を向けずに、

自らの煩悩により派生した、自分だけしか幸福にならない意志(事柄)を

天の意志でであるとあるように錯覚をし、

念ずれば花開く・・・と無駄な努力をし続けている人は多いです。



人間は宇宙・大自然の一部であり、

大自然という大きな宿命(絶対的宿命)の中に生きております。



つまり太陽の周りを公転している地球と同じ存在であり、

地球だけ、火星や土星と反対方向に回ることは出来ないのです。



従って大自然の法則(宿命)を的確に把握し・・・

それから、自らの使命役割りに気づき、

その上で、自らの運命をよりよくすべく、精進すべきだと

私は日々感じております(^^)。


今回・・・5月23日~24日と、

ある種の『成り行き』でたまたま行きました、

今回の団体&乗り物遍路行ですが、

詳しくは記しませんが・・・

私は、今回の行で

『私は一生、四国遍路をし続ける宿命に在る』

ということに、ようやく気がつきました・・・

といいますか、悟りました。





私がいくら嫌だ・面倒くさい、しんどい!と

感情で思ってはみても、既に『そうなっている』ので、

私個人がどうあがいても、どうしようもありません。

これも『“お大師さん”のお導き』つまり『天命』・・・

私は今、肚をくくり、覚悟を決めました。



ほんと、『くるくると回されている』という

ある種の自らの思惟を越えるところで、

何か“大きな存在”から、突き動かされているという感じが

めちゃくちゃしております。



四国遍路に縁の無い人は、

四国遍路(それに関わる方々等)から必要とされないし、

四国遍路に行くために必要な全ての条件

(①行きたいと願う心(願力)、

②行けるだけの体力、③資金力、そして④時間)が

揃うことは永遠にないようです。



私は必要とされているし、行ける条件が全て揃っています。

つまり逆に『行かない(行けない)理由』が無いのです。



しかもまたフツフツ・・・と

『一人でまた歩き遍路がしたい』と

真剣に思い始めてます(苦笑)。



正直困りました・・・(^^;)



あれだけコリたはずやのに・・・

時間もお金も体力もめちゃくちゃかかるのに・・。

とにかくステキに困りました(笑)。





孔子の言葉に・・・



子曰く、吾十有五にして学に志す、

三十にして立つ、

四十にして惑わず、

五十にして天命を知る、

六十にして耳順う、

七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず



・・・というものがありますが、

私は早く「四十にして惑わず」の境地を得、

そして五十まで・なるべく早く「天命」を知り、

そこに一点集中したいと真剣に願っています。



私はせっかちですので、50歳まで待てません(笑)。

早く天命を知りたい・・・

つまり、天寿を全うするその『目的』を早く知って、

残りの人生をそっちに没頭したいです。

ですので、四国遍路のような荒行に投身したり、

この世に数名おられる我が人生の師匠に

心身を寄せて、真剣に相談させて頂いたりしております。



ほんと今の私の心って(人様に比べればまだ大きめですが・笑)

小さな箱に閉じ込められている・・・窮屈な感じがしています。

ま、結局自分の手で小さな箱に入っている訳ですが。。。





ご縁ありまして四国遍路と出合い、

その行等によって、この8年もの間

いろいろなものを得、そして捨てて来ました。

それは物質であったり、感情であったり、境遇であったりします。

最も捨てることを意識したのは、「執着(こだわり)」でしょうか。



その究極は「命(生)への執着」でしょうか?



人間にとって、最も重要なものは、

お金(物質)でも、他者(人間関係)でも

ありとあらゆる出来事(境遇)でもありません。



己自身の『命』であります。



命がある・生きているからこそ、

お金が使えるのであり、いろんな人と出会えるのであり、

いろんな出来事を体験することが出来るのです。

命がなければ、全て無意味・・・「無」であります。



私は、この四国での歩き遍路で

数回、死にかけました。



正に、『一度死に逝く』という

白装束(いつでも葬式が出来る衣装)に

込められた境地(覚悟)であります。



その体験のおかげさまにより、

「死」というものを始めて心の底から意識し、

『命』というものは、実は儚いもので、

この娑婆の世界に産み落とされた人間(生物)は必ず

我がこの命を天に還す・・・つまり死ぬんやということに気づいた・・・

その境地が、うっすらと観得たのです。



命があることが、当たり前・・・

特に私たち若者は、今ここで生きている

生かされていることに、どっぷり漬かり過ぎ

「当たり前だ。命は永遠に続く」という錯覚・幻想に陥り、

更に、目の前の取った・取られた、多い・少ない・・・

はたまた儚い快楽(目先の利益・幸福)に執着しすぎです。

その執着により結局、自分自身を不幸へと陥れているということに

全くもって気づいていないのです。なんと哀れなのでしょう!



そして、いざ死ぬ時になると、心の覚悟が出来ていない為に、

悲惨な死に様で、死んで逝くのです。






信じる・信じないかは人それぞれで、

読者の方々に判断を委ねますが、

死んで身体が無くなっても、

自らの魂と、その魂の中にある「念」は遺ります。



その「念」というものの中に、

死んだ瞬間の自分の感情と罪&徳が遺ってしまうのです。

死ぬ瞬間に誰かに対する恨みや懺悔、心配・・・

何かに対する後悔・・・いいこともわるいことも全て遺ってしまいます。



例えば、何かの辛苦に逃れたいからといって自殺したとしても、

その辛苦を魂の中に持って、あの世に行かなければならないのです。

その人は、あの世に行っても永遠にそんな辛苦の念に苦しみ続ける・・・

死んでもその辛苦から逃れられないのです。

まさに地獄・・・

生身の身体で持って、人生修行を通して

自分の手でその辛苦を超尅するしかないのです。



しかも死んでしまうと、身体を持っていないので、

修行をして徳積みや消罪が出来ません。



従って、生きている人(子孫・縁者)に『供養』という形で求めて来て、

子孫の健全な生成発展の足を引っ張ったり、

子孫に頼れない場合は、同じような辛苦を抱える生きている人や

所謂「霊媒体質」の人に憑いたりして、助けや同情を求めて来るようです。



ですので、「自殺」というのは、生物界において、

人間だけが起こす、もっとも哀れで、そして最大の罪のようです。






私は、人生最期にその人その人の

『生き様全て』が出てくると観ています。



実際、人様のお葬式の時や臨終の時を

何回か体験させて頂きましたが、

全くその通りだと確信いたしました。





「終わりよければ全てよし」



そんな諺がありますが、私もそう思っています。

人生最期の時になって、

「苦しい、苦しい、死にたくない!」と

人間の力ではどうしようもない天の力に抗ってもがき苦しんだり、

「あれをやっておけば良かった、

あんなこと、やらなければ良かった!」と

後悔や懺悔の念を持って逝きたくないです。



私は、いつ終焉を迎えるかは分かりませんが、

自分が与えられた天寿を全うし、

そして死期が来れば、「我が人生に悔いなし」と

その死期を一番幸せだと感じ、潔く笑顔で逝きたいです。

つまり、死ぬ瞬間が最も幸福だという境地です。



私はまだまだそんな境地には達することが出来ません。

死ぬことは怖いですし、

正直、死にたくありません。

早く、死ぬことを「自然の流れだ」とありのままの心で

歓迎出来る境地に達したいです。

だけど、「いつかは死ぬのだ」ということは

常に意識しております。




『朝には紅顔ありて、夕(ゆう)には白骨となれる身なり』

です。





この死(即ち、生)に対するお手本は、

現時点ではこの世(身近)では見つけておりません。



そこで私は、お手本に出来そうな人を

歴史的人物(過去に生きていた人)に見出すことにいたしました。



そこで見つけたのが、

「広瀬武夫(1868~1904)」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%AD%A6%E5%A4%AB

日露戦争時、海軍で活躍された方であります。



来月、我が師匠の一人に会うべく、

熊本・阿蘇に参りますので、

その通り道に、広瀬武夫の出身地・大分県竹田市がありますので、

広瀬武夫氏についてあれこれ調べ、そして感じて

見聞を深めて参りたいと意気込んでおります。








・・・おかげさまで、ここ数年で随分と身辺整理をし、

あらゆる不必要なもの(物、感情、人間、時間)を

捨てて参りましたが、

とにかく、40歳になるまでの残り2年弱で、

更なるスリム化を成し遂げたいと決めております。



40歳以降は

『選択と集中を凡人徹底&終始一貫にやり続け、天寿を全うする』

という、更に悪い無駄(不必要な余計な回り道)なき

人生を歩んで参りたいと考えております。



その為には己自身の心身を更に錬磨し、

ぶれない強い自分(貫き通す力)を確立させなければならず、

と同時にどんな人や境遇とも自分の心と調和出来る、

しやなかな心(すなおな心。許し切る心)を持ち続けなければなりません。

今の自分の有様と、

上記の40歳以降の自分の理想の(あるべき)姿との雲泥の差に、

かなり愕然としておりますが(涙)、

この残り2年弱の時間の中で、曲がりなりにも一所懸命精進し、

その「あるべき自分・なりたい自分」に

少しでも近づいて参りたいと思っています。



ということで、また時間を作って、

ちょこちょこと四国遍路に参りたいと思いま~す(^^)♪




追記・・・

司馬遼太郎さんの『空海の風景』。

3回目の読書中です。

これを買った9年前は、さっぱり意味不明でしたが(笑)、

だんだんと司馬ワールドの凄さ、面白さが観えて参りました。。。(ー人ー)☆


2015/04/24のBlog
4月23日~24日。

マイカーで片道65キロ南下し、

高野山に行って帰ってきました(^0^)♪



私を先達に導いて下さった引田さん&

その仲間の方々と合流し午後、

金剛峯寺金堂にて霊場会寺院のご住職さまや公認先達・・・

数百人程が集結し執り行われた

「高野山開創1200年記念法会」などに参加させて頂きました。



なんとも凄い迫力で、しかも荘厳!そして清々しい法会でした。

ほんとテンションMAXで、ひたすら感動、感動で、

このような場所にご縁を頂いて、感謝、感謝でした。。。(ー人ー)☆


この高野山での先達大会・・・



今年高野山が開創1200年という記念の年ということで、

今年だけ高野山で開催なんだそうで

(毎年いつも霊場会会長がおられる四国四県のどこかで開催)、

この先達大会もそれに関連した記念行事が結構あり、

例年の先達大会の内容とはかなり違うそうです。



昨年は四国遍路開創1200年、

そして今年、高野山が1200年・・・

そのような節目の年に『公認先達』という物凄いご縁を頂き、

改めてご縁というものに、深い感謝の念を感じました。



あと、この2日間ご一緒させて頂きました、

愛媛県在住の大先達・引田さん(私を先達に導いた方)に、

ご自身のお知り合いの方をたくさんご紹介いただきました!



先達の世界も、凄い方は底なしに凄い・・・。

きっと、どんな業界の方も、真(マコト)を

極めた方は凄いんだと思います。



その中のお一人、福井県の大先達・高山さん(写真の方)は

異彩を放つ凄さがありました☆



普段は、はんこを彫る職人さんなんだそうですが、

北陸方面のはんこ業界では知る人ぞ知るという方で・・・

しかも真言宗醍醐派のお坊さんの免許も持っておられ・・・

更に法螺貝も強烈にハイレベル

(法螺貝においては、引田大先達の先生なんだそうです)

・・・私の法螺貝を代わりに立てて(吹いて)下さりましたが、

「えっ!??私の法螺貝ってこんなに美しい・強烈な音が出るの~っ!?」って、

しびれまくり&感動しっぱなしの音色を聴かせて頂き・・・

そして、他にもいろんなことを知っておられ&

いろんなものが『観得て』はって・・・。



いやはや。

正直、弟子入りしたいと真剣に思ってます。

福井、通おっかな(笑)♪



こんなにも超右脳&超左脳が、

正しくフル回転しっぱなしの方って、本当に凄いです。

日常生活ではチョット存在いたしません。



超ハイレベルなところで精神が調和をされ、

心身ががっちり安定されておられます。

そして中心(芯)にはいつも『愛』がある。。。

きゃーステキ~(*^0^*)☆



・・・大峰山の法螺の音色に、何とも言えない感動を感じ、

「私も法螺貝を立てれる(吹ける)ようになりたい!」



そう願ったら、

引田大先達がナント☆法螺貝を15個くらい持ってはって、

お一つ頂き・・・

「身近なところで法螺貝の先生が欲しい!」と願ったら、

大峰山系で修行をされておられるお坊さんと出会い・・・

しかもそのお坊さん、法螺貝を入れる袋(網)をご自身で編むことが出来、

破格の価格で譲って頂き・・・

そしてまた今度は高山さんと出会い・・・

ほんと、自分自身「こんな行者になりたい!」という、

まさに『いくつかの必要なタイプの先生』が

絶妙なタイミングで私の元に現れ、

私のつたない修行をお導き頂いている・・・

何とも言いようもない、深い感謝の念を感じています。



ほんと、自分がこうしたいと肚を決め真剣に願いますと、

自然と人のご縁だけでなく、

天気ですらそうなって来るから不思議で、

チョット怖いくらいです。。。(^^;)。

ほんと、日々のそして人里離れた霊峰での荒行の賜物でございます。




これからも曲りなりにですが、

人生の多くの先生方に教えを請いながら、

真剣に修行に励んで行くゾ!と、

改めて決意をさせて頂いた先達大会となりました。



ありがとうございました(ー人ー)☆


2015/04/08のBlog
[ 20:24 ] [ 遍路修行日記 ]
以前私のフェイスブック&ブログにて、

随時情報発信をさせて頂いておりましたが、

昨年2月~4月までの二ヶ月間、

フランスの映像作家エミリ・ベルトさんが、

四国八十八ヶ所の

歩き遍路ドキュメンタリー映画を

撮影されるということで、

ご縁あって私はマイカーと一緒にエミリさんの

『サポーター』として、お参りをさせていただきました。



多くの方々の多大なるご協力を賜り、

エミリさんは無事全ての撮影を終え、パリに戻られました。



あれから一年。。。



最初はパリにて映画を完成させる為の

『編集費用』を調達しようと奔走されましたが、

全て失敗に終わってしまい万策尽きて止む終えず・・・

また日本の方々に「クラウドファンディング」という、

インターターネット上で寄付を募る方法にて今、

映画を編集する為の資金を集めておられます。



完成する映画はフランス語と英語の字幕が入り、

欧米向けに制作されます

(もちろん日本でも上映会を開催されるとのことです)。



欧米諸国を中心に世界各国に『お遍路』の

素晴らしさを発信したい!というのがエミリさんの熱い想いです。



どうしてそのように想っておられるかと言いますと、

エミリさんは以前3年程、

日本(多くは愛媛・松山)に住んでおられ、

そのご縁で一度歩き遍路を体験されました。

その体験を通して、四国遍路の日本文化の素晴らしさを

世界に発信したいと思われました。



まだ少し資金が足らないとのことですので、

もしもよろしければ、

浄財・ご寄付をどうぞよろしくお願いいたします(^^)☆



【クラウドファンディング 公式ホームページ】
https://motion-gallery.net/projects/PROJET88




写真:エミリさんと高野山・奥之院にて

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