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よしこちゃんの部屋
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ジャンル:遍路修行日記
Blog数:432件
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2016/03/19のBlog
[ 18:43 ] [ 遍路修行日記 ]
大阪・神戸→淡路島→四国・徳島へ入り、

国道55号線をマイカーでひたすら南下しておりますと

歩きお遍路さんがたくさん歩いていました。



どのお遍路さんも、汚れていない・すり減っていない、

初々しい・・・綺麗な遍路服(白衣)をまとっておられました。



顔の表情や歩き方などを観察いたしますと、

遍路道に“挑戦”している “戦っている”・・・

耐えて、耐えて、耐えまくり、

ひたすら我慢&忍耐という感じでした。



はい。

私もかつて35歳の時に、

この道を歩いている時(真夏でしたーー;)、

みなさんと同じ気持ちで歩いていました(笑)。



基本的に、お遍路さんは1番のお寺から

88番のお寺に向けてお参りされています。

これを「順打ち」と言います。



今年はうるう年で、「逆打ち」(88→1と逆方向にお参りする)すると

御利益が3倍あると言われている年回りですので、

今年は逆打ちのお遍路さんが多いです。



順打ちのお遍路さんにとって

この徳島は「最初の道場」なんですよね。

とにかく、訳ワカランまんま、必死で歩いている。



『頑張っている』。“頑”なに“張”っている。



裏を返せば『柔軟性がない』。

もう少し頑張れば、切れてしまう弦のようです。



各種自分の精神的な弱さや体力・実力の無さと葛藤し、負けそうになりながら、

「負けるものか、止めないぞ。最後まで歩き抜く・結願するねんや!」と

弱い自分・今の自分戦うから負ける・負けそうになる。

負けそうになるから戦う。

常に、永久に『対立』しかない、この娑婆世界の有り様を

この界隈を歩いておられるお遍路さんは体現されておられる感じがいたします。




しかしながらだんだんと

「道(遍路道・即身成仏への修行の道)を歩ゆませて頂ける」という

謙遜並びに感謝の念がわいて来ると、

人はやがて『対立』を捨て、もう一人の弱い自分・今の自分を理解し、和解され、

「ありのままの自分」を受け入れられるようになります。

すると対立状態がなくなり、合一し、自分の心の中に存在していた

2人の人間が強力な1人になります。



自分自身と戦うことを捨てることにより、

その他の人、現象、境遇全てをも合一・調和し、

道(=お大師さん・天の教え)と一体化していくこと(真理)を道で学び取り、実践し、

それを自らの日常(人生)において具現化し、

自分のものにしてゆく。

これぞ仏(真理真実)への道のシンプルな方策だと思います。



私の場合、1番(徳島)からずーっと歩いて、高知、愛媛まで来て、

愛媛の松山→今治へ向かう、今治街道のところで、

上記の「2人の自分が合一した瞬間」を体験いたしました。



愛媛~香川という最終ラウンドに入ったお遍路さんは

お遍路の白衣はしわしわで汚れてきます。

だんだん貫禄が出てくるのです。

そして四国遍路道と一体化し、四国の風景と調和し、

頑張らずに、淡々と、そして朗らかに、マイペースで歩いておられます。

その有り様を例えるならば、美しい音色を奏でる、

ギターの弦でしょうか。。。?

適度な緊張感と、適度な弛緩(朗らかさ)が調和した状態です。



「人生のあるべき姿、ここにあり!」と

多種多様の困難を乗り越え、ゴールに近づく

お遍路さんを見て感じ、深い感動を覚えます。





・・・こんな感じで、

我が国で1200年以上継承され続けている、この四国遍路道は、

時代を超えた普遍的な絶対的真理が存在し、

それを求め、歩み続ける人には必ず、それが与えられるのです。



分かる人には分かる(歩む人だけが分かる)・・・

分からない人には、全く持って無意味・無価値な、

以上のような私の実感(体験)でありますが、

よくよく考えてみれば、日常生活自体が、

四国遍路道と同じなんですよね。



ただ違うのは、お四国の方が

「場所(お大師さんの信仰)の力」を借りて、絶対的真理に早く近づきやすい、

そして、お四国はお遍路さんにとっては非日常空間ですので、

少々失敗しても、日常生活には一切差し支えがないので、

思い切って大胆に、いろんなことに挑戦出来るという

ところかと思います。


[ 18:21 ] [ 遍路修行日記 ]
3月19日(土)三連休初日の朝。

ある程度予想しており一時間早く出ていたのですが、

お四国に行くまでの間(武庫川→生田川界隈)が、

朝8時の時点で、既に15キロ程の渋滞。

ひたすら時速0~20キロの運転が続きました。



私も含め、渋滞に巻き込まれている人全員が思っている感情、そ

れは『イライラする(不快)』とか『時間の無駄・・・渋滞は時間泥棒』

だというものかと思います。



だけど、目の前で起こっているこの渋滞という現象は、

私にはどうすることも出来ません。



散々イライラしまくったり、嘆き悲しんだりしたら、

「モーゼの十戒状態」で、渋滞が一気に解消されるのであれば、

私はナンボでもイライラ&嘆き悲しみます(笑)。



だから、ひたすら耐える・・・っていうか、

耐える・我慢するとストレス(心に毒ガス)が溜まるので、

各種のマイナス感情は、車の窓から

空(そら)へとポイッ!と捨てて、

ただ淡々と、前の車が進んだら、

ブレーキを外してアクセルを踏み続けました。



こんな感じで、自分の意思ではどうしようも出来ない、

社会的外部要因が発端として起った問題(苦難)は、

マイナス感情を意識的に外す・捨てるというやり方でしか、

克服出来ないんだと思っています。



人生において1分も曇らせてはならないのは、己の心であります。



ちょっとでも曇ると、清く正しく美しい判断が出来なくなり、

自他の心身を攻撃するので、良いことは何一つありません。



渋滞に巻き込まれる直前、

お四国での最初の到着時刻は10:03分とカーナビに表示されており、

生田川で状態を抜けた後には10:32分と表示されていました。

「渋滞15キロ」って仰天の数字ですが、

意外とロスした時間は少ないものだと分かりました。

「数字」というものは、私たち人間の感情とは全く異次元の、

客観的事実を冷静に教えてくれます。



すったもんだで、結局目的地手前10キロのところで、9時45分でした。



そこにあったお店で買い物などをゆっくりして、

待ち合わせ時間(11時))よりも20分も早く到着しました。



やっぱり、「ヤバイ」と思ったら、

出来る限り早く行動を起こすことが大事なんですよね。。。



時間のゆとりが心のゆとりであり、

双方は相関関係にあるようですね。


2016/02/10のBlog
[ 00:10 ] [ 遍路修行日記 ]


2月6日・7日と

またまた、四国遍路に行って来ましたぁ~






今回は、個人的(一人)ではなくって、

私が最近「公認先達」としてお世話役をさせて頂いております

「大阪楽心会」というお遍路の講(コミュニティ)の皆様方と

一緒に行って参りました。



また今回は、「極寒 歩く遍路」ということで、

極寒の季節の中、出来る限り歩くという主旨を持った

お遍路でしたので、毎日10~15キロ程、

歩かせていただきました。

(時間の都合で時々、大阪から乗って来た車でスキップ)



山道から国道沿い、旧街道沿いまで・・・

今回もいろんな遍路道を皆様と共に

体験させていただきました(^人^)☆



なお、今回のルートは、愛媛県今治市~西条市界隈で、

54番延命寺→64番前神寺までお参りさせていただきました。

(60番横峰寺は、雪の関係で次回夏の極暑歩く遍路の際、お参りします)





・・・ほんと、今回の「歩く遍路」も



『THE 修行』



ということで、みっちり修行させて頂きました(ー人ー)☆



先日のブログにも書かせていただきましたが、

私は物心ついた時から既に団体行動は苦手(嫌い)であります。

私は『群れるという欲求~社会的所属欲求~』が

極端に少ない人間であります。

これは日本人には結構少ないのではないでしょうか。



日本人の群れる・過ぎる欲求にチョット、ヘキヘキしております。

群れるのが過度に好きな方々は、私の言動が理解出来ないようです。

(群れるのが好き・・・っていうか、「群れておかないと怖い」という

恐怖感が蔓延っているような気がしてなりません。

潜在的動機がマイナス&萎縮思考なのが、私は好きではありません。)



その為、私は団体行動を避けて生きてきましたし、

団体行動をしなくても生きてゆけるように、

自分なりに一所懸命努力して生きて参りました(継続中です)。



人間は一人では生きていけない社会的動物である・・・

ということは私も、承知いたしております。



しかしながら、どうも日本人の良くも悪くも・・・

群れ過ぎる・・・価値観や生き様が均一化し過ぎるような気がしてなりません。



平時(平和な時代・安定した時代)であれば、

その方が人間関係や社会全体に荒波が立たなくて

いいのかも知れません。



しかしながら今は平時ではないのです。

もう陰では戦争の時代・または別次元へと進化すべき

時代に突入しているのです。



普通が普通で無くなっている、この今の時代

群れすぎるということが、いかに危険であるか?

私は警戒を強めておりますので、

余計「群れない」という選択をせざるを得ない状態です。






・・・“ご縁”ありまして、

四国八十八ヶ所霊場会『公認先達』にならせて頂いてから、

何らかの事情で、一人でお遍路に行けない・行きたくない方の為に

その方々のお世話役となり、自分なりに気を使い、

皆様のお遍路をよりよいものにしようと、自分の知識経験智慧全部を使い、

試行錯誤し続けており、それがとっても疲れました(笑)。



それに、一人でお遍路に行きますと、

自分自身と仏様(=もうひとりの自分)との対話時間ばかりですので、

自分自身を深く見つめる時間がたくさんあるのですが、

誰かと一緒にお遍路に行きますと、そんな時間は皆無です。

自分対他人様です。

例えこうしてブログをゆっくり書きたくても、団体行動がそれを許しません。

全部会、(組織)で時間管理されています。



ほんと・・・

一人で、自分のペースで、誰に気を使うことなく、

お遍路が出来る・生きていける程、幸せなことはない!と

今、そんな喜びをかみしめております(笑)。



ということで来月は、ある事情もあって四国に参りますので、

一人でマイペースでお遍路したい!という欲求に

今、かられまくっておりますので、

それを実践すべく、現在、あれこれ調整&努力をしております。




・・・ま、私の場合、

上記理由(個人的価値観・人生観)によって群れていない選択をしているのと、

やっぱり私自身【わがまま】でありますので、

その【わがまま】を少しでも削ぐ為に、“お大師さん”の命により、

人のお世話役(公認先達)という御役目を与えられているのだと感じます。




ですので、どれだけ感情的に嫌であっても、

何としてもこの与えられた修業を満行し、

精進しなければならないと、肚は決めております。



ほんと、私の場合・・・一人でお遍路している方が、

体力的にも自分のペースで歩けるのでラクですし、

継続的に気を使うべき人間がいないので、精神的にも(気が散らないので)ラクです。



お一人でお遍路しない・出来ない人の多くが、

精神的に一人じゃ寂しい・心細い・・・そして、「怖い」から

団体遍路をするのだとおっしゃっております。

(あと体力的に不安だからということで、比較的体力のある方と

一緒にお参りしているという方もおられます。

そして一人で行ける方法・知識・経験を持っていない人が

そのスキル・技術を持っている人と一緒に行くという方もおられます。

ということで、一人でタフに遍路や人生を歩める人の絶対的条件として、

精神的・体力的・技術的な条件3つが必要のようですね)



・・・最近、おかげさまで、

精神的&霊的に益々強靭になって参りまして、

一人でお四国巡りしていても、人生生きておりましても、

『恐怖感』というマイナス感情に囚われる機会がぐっと減りました。



そもそも私は【行者】的思考形態並びに価値&人生観を持つ人間ですので、

一人霊峰に分け入って、死と隣り合わせな環境の中で

真理真実をちょっとずつ探り当てながら、

また娑婆に帰って来るのが、私自身の修行方法の王道だと認識しており、

その修業スタイルがたまらなく好きなのですが、

これからも団体行動という名前の下に、決められた箱にバッチリ入って、

みっちり修行させて頂き、そんな角度・境遇からも、

今、与えられている、この幸せをかみしめて、

感謝しながら生きて参りたいと思っております。





・・・ほんと、あれこれと出来ていないからこそ、

『伸びしろ』がある、修行のやり甲斐のある

よしこちゃんの、この人生であります(^人^)☆



2016/02/06のBlog
[ 20:16 ] [ 遍路修行日記 ]
大阪楽心会主催の「歩く遍路」

(出来る限り歩きながらも、時々スキップ♪)初日。



時間の関係で、途中車でワープしながらも、

今朝大阪を出て、54番・延命寺(愛媛県今治市)→

58番・仙遊寺まで(10キロ程)

歩き終えましたぁ~(^人^)☆



今は仏遊寺の宿坊(お風呂は温泉で

歩き遍路さんには特に嬉しい♪)でまったり中。



ここまでの道中で、車の後部座席に乗っていた

小学生の子供たちが私たちに向けて

「がんばって~(^0^)!」って大声で応援しながら、

前に去って行ったのが、とっても嬉しく、

ヘタってた気持ちがシャン!としました。



ダイレクトに応援されて、素直に嬉しかったです~(^人^)☆



写真:仙遊寺、最後のキツイ登り

[ 08:27 ] [ 遍路修行日記 ]
またまた『お遍路』に行ってます♪

今回は2月6~7日、

四国お遍路の講『大阪楽心会』主催の

「歩く遍路」ということで、

愛媛県今治市界隈をちょくちょく歩きます。

参加者は6名程度でしょうか?

(歩く遍路の場合は少なくなります)



少々眠いですが(笑)、

テンションMAXです(^^)♪



お遍路で大阪の町を歩いておりますと、

見方が変わり、新鮮さがあります。

改めて、大阪という町の賑わい(よさ)、

また汚さ(わるいところ)を

客観的に観ることが出来ます。




何かにトリツカレタように?お遍路クルクルしまくつ私を

私の母親は「理解不能な【宇宙人】や!」と罵り(?)、

更に「他にすること(結婚と出産)あるやろ~!」と

日々歎いてはります(^^;笑)。



だけど両親は

「ま…。別に悪いコトしてへんし、

自分のお金でやってる(趣味的?)からなぁ…」って、

ほったらかしにしてくれています。。。(^人^)☆



更に知人のおばちゃんからは

「お遍路ばかり行って、

どんだけ【懺悔】することあんねん!

んもーすっかり年寄りやん~!」と

呆れられております(笑)。



アハハ☆確かにそうですよね~(^0^)!

私自身が一番、自分は宇宙人的で訳ワカランって

歎いておりマス(^^;)☆



確かに、何等かの重い問題【業~ごう~】を背負い、

それを解決する為の何等かの【願掛け】をして

お四国をお参りされておられる方は多いです。



だけど私の場合は違います。



まず私は一般的な『願掛け』はしておりません。

【真理真実~人としてあるべき姿の真髄~

を少しでも多く体得し、

それを自他の人生に広く及ぼしたい】と

常に祈願・意識しながら遍路をしております。

そのような意味では私は

根っからの「行者(修験者)」であります。



更に“偶然的必然”により私は一昨年、

お四国霊場の【先達】にならせて頂きましたので、

お四国を通して精進されたい方々の

案内役&サポーターとして、

お遍路さんをお導きする為に行っております。



正直なところ私は、

自由とマイペースをこよなく愛する人間ですので、

モノゴコロついた瞬間からこの世で一番嫌いなのは

【団体行動】でありますので(笑)、

なるべくそれを避けた人生を歩んで来た訳なのですが、

“お大師さん”の命により

「貴女は【団体行動】の中で、

己(我)を殺すべく、精進しなさい」と言われたが如く、

先達になってからは年4回必ず団体遍路の

お世話役としての修業をしにお四国に行っております。



最後に、

「よしこちゃんは何故四国遍路に行き続けるのですか?」

という質問に対して、

私は上記の【行者】並びに【先達】としての理由・意義と、

以下の個人的な理由をお答えしております。

それは「供養と感謝」です。誰(何)に対して

「供養と感謝」をするかと申しますと

【御蔭様~おかげさま~】という存在に対してです。



「御」は「お」で、尊敬の意を表す言葉。

「様」「さま」も尊敬の意を表す言葉であります。



で、間にあります「蔭(かげ)」とは、

【目には見えないけど、確実に存在するもの。

見えないけれど、私の人生~地球宇宙に莫大な

影響力をもたらしているエネルギー体】

という感じでしょうか。。。?



狭い意味では私の肉体上の直系の先祖の人たちを差し、

広義になって来ると、

我が国の礎を築き上げて下さった日本の人たち全員、

今生きている人たちでも何等かの理由で会えなかったり、

病気等の苦難に耐えている人・・・

そして益々広義になって来ると、

森羅万象全てになります。



森羅万象全てに感謝し、

共に供養の念を捧げ続けることが、

真の信仰であり、

自らの幸福にもダイレクトに

繋がっているのだと感じております。



何故なら森羅万象の一部が人間であり、

この私だからです。



私は常に以上のような想い(念)を抱き、

曲がりなりにもそれを高め深めそして広げながら、

“お大師さん”と【同行二人】で

歩み続けております(^人^)☆



1200年程前に死んだ人間と

共に歩んでいる・・・と

意味不明なことを言うよしこちゃんを

哀れな38歳独身女子と捉えるか、

30代にして【同行二人】を体得した

幸福女子と捉えるかは、

個人個人の価値観に委ねたいと思います

(おそらく、「どっちも」でしょうネ・笑♪)。

2016/01/02のBlog
[ 12:49 ] [ 遍路修行日記 ]
新年あけまして、おめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いいたします(ー人ー)☆



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年末のマイカー遍路での、日記(気づき・出会い)です。



渋滞中の松山市内を西方向に走っておりますと

「たごり大明神」という変わった名前の

神様が祭られている祠を見つけました。



この祠、旅人・よしこちゃんから見ましても、

「地元の方々に深く愛されているなぁ」とすぐに分かる

感じでしたので、「たごり大明神 松山」とメモをし、

その場を去りました。



で、そのメモが今日見つかりましたので、

早速インターネットで調べてみました↓

(ほんと、便利な世の中になりましたねぇ^^♪)



http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-1591.html



「たごり」とは地元・伊予弁で「咳をする」という意味とのことで、

喘息止めにご利益がある神様のようです。

(詳細は上記のブログをご覧ください)



・・・ほんと、旅をしておりますと、こんな小さな祠一つにとっても、

私達日本人の素晴らしさや価値観、歴史風土が観得て来て、

ちょっとステキ&感動もんですよねぇ。。。(*^^*)☆



嗚呼、日本人として生まれて良かった・・・

と感謝の念が深まります(^人^)♪





2015/12/31のBlog
12月31日、大晦日の夜8時。

紅白歌合戦も後半戦に入って来て、

もうすぐ2016年デスガ、

今年の日記は今年のうちにアップしておきたいので、

今年12月に4泊5日で行きましたマイカー遍路の報告や

そこで気づいたことを、必死のパッチ状態で、

メモ書き程度で書いていたお遍路日記を清書し、

一気にアップさせていただきます!




【写真】60番横峰近くから見下ろす雲海

仙人になった気分(笑)♪



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「人間は生と死を繰り返し生きている」



夜が明けると、太陽の光と共に、

そこにあるものが見えてくる。

足元や周り、そしてゆく先が見えない・

暗いだから怖いということが無くなって来る。



しかしながら、朝になっても

先が見えない、全てにおいて見えないから

不安だ不満だという人は多い。



所謂“神”という存在が

我ら人間に光を与え賜う。

ゆく先々を一筋の光で導き賜う。



しかしながらそれに気付いていないのは、

愚かである、我々人間自身である。



この娑婆の世界は

物質のような目に見えるものと、

心や空気、電波のような見えないけど、

確実に存在するものがある。

人間の感情や価値観(物事の判断基準)もそうだ。

目に見えるものではない。

だから、人それぞれの価値観【色眼鏡、我】によって

見え方・捉え方が変わって来る。

それが対立・揉め事の火種となっている場合は

とても多い。



目に見えないもので且つ存在するものは、

目という五感では感じることは出来ないけれど、

別次元の感覚を用いて感じることが出来る。



この別次元の感覚とは、五感を越えたものだ。

この感覚を「第六感」と言っている人も多い。

実は五感全てを陰に支配し、全てを陰で支えているのが、

この別次元の感覚である。



このような感じで、この娑婆世界は全て

陰~見えないもの~で支配されている。



物質、カネで支配されているのではなく、

モノカネを操る人間の感情、心によって支配されている。



これは個人でも組織、国家、全てにおいて一致する法則である。



従ってモノカネの流れだけを見ても、片手落ちであり、

物事の本質を見間違い失敗する。

モノカネのその奥にある感情【本質】を見抜・

見極める能力が必要不可欠であり、

その能力が五感という目に見える能力(レベル)とは別次元へと

出入する為の感覚【鍵】である。



この別次元へと出入(アクセス)したい人の方法として、

まず、そんな世界・レベルがあることを知る、

その存在を信じ切ることがファーストステップのようです。



次に、手っ取り早い方法は、

古の先人たちが築き上げてきた霊峰(霊場)に身を置いて、

先輩・師匠に教えを乞いながら、

その道へと繋がれるよう、信仰を磨き高めることである。



娑婆(日常生活)でも、可能ではあるが、

娑婆世界は、煩悩(邪気・病気などの陰気)が蔓延っており、

そのような別次元へのアクセスを妨げる要素が多い。



ただ、気をつけなければいけないことは、

霊峰・霊場、そして先輩・師匠はピンキリであり、

場所や人間を見極める必要がある。

霊の世界も、偽物は多い。


「徳島自動車道」にて 

~人は知らず知らずのうちに罪を作り続けている~




【写真】71番弥谷寺・弘法大師像



徳島自動車道は、1車線ずつしかない。

前に遅い車がいると、どんどん車がつっかえて来る。


このような車を運転している人間は、

フロントミラーを見て

「ああ、車がつまって来たから、

スピード上げなければ~」という意識が無い。

流れを読む・空気を読む能力が欠如しています。



私はこの手の能力が欠如している人間は

出来る限り付き合わないし、仲間に入れません。

何故かと申しますと、

社会的生活を営む上で、そのような能力が欠如していると、

知らず知らずのうちに組織や社会の輪が乱れるからです。



時々、追い越し車線があるので、

そこで遅い車を追い越します。

その際、必ず

「遅い車は、どのような人が運転しているのか?」

観察しています。

以下の4つのパターンがあると私は観ております。



パターン①:お年寄り

(身体能力&知能の低下・老化による流れを読む能力の欠如)



パターン②:主婦

(普段運転しない、または運転能力の低い女性。

また普段ごく限られた狭いコミュニティの中でしか生きていない為に、

各種様々なコニュニティ・状況に対応出来る能力に乏しい)



パターン③:意識が一つに囚われている人間

何か大きな悩み事や、今考えないといけないことを考えているために、

運転が疎かになっている



パターン④:意識が散漫している人間

助手的にくどき落としたい女性がおり、その人との会話に熱中している男性や、

携帯電話で会話している人など、運転に対する意識が散漫している。



これは運転中ではなくって、

世間一般に言えることだと思われます。

私は常に、多くのサンプル&事例を集め、客観的に分析をし、

上記のようなカテゴリー化を行い、

自らの人間関係の構築や円滑化、人生に活かしております。



ただ単に、「前の遅い車、ムカつく~~~!」って

苛立って終わりにしたらもったいないと思ってます(笑)。



このパターン①~④の人たちに共通することは、

本人たちは、別に

後ろにいる人達のイライラさせたり、

時間(命)を奪ったり(遅い車が1台いるだけで、

その後ろ車に乗っている人全員が

目的地に到達する時間【命】を奪っているんです。

そのような意識が、遅い車のドライバーには存在しておりません)

・・・意図的に悪意を持って

やっている訳ではないんですよね。



だけど、ここでポイントなのが、

悪気があって作為があってやってなくても、

【罪】は【罪】なんですよね。



私は思いますに、私の人生の中においても、

悪意や作為があって意図的に自分が認識して

やっている【罪】よりも、

こんな感じで、自分だけが知らずのうちに

どんどん作り続けている【罪】の方が

圧倒的に多いのではないか。。。?ということです。



なんでも、『万象我師』であり、

人のフリ見て我がフリ直せです。

肝に銘じたいと思います。


「蓮の花」



46番浄瑠璃寺(愛媛県松山市)の

蓮の池はとっても綺麗です。

が、冬の間は写真のように、

枯れ果てて、骸骨が散乱した感じです。



このような一見汚い場所であっても、

時期が来れば、泥の中から蓮が現れ、

美しい花を咲かせます。

泥のついた、汚れた花は一つもありません。



蓮の花は、この娑婆に生きる私達の

あるべき姿を具現化したものであります。



【右写真は夏の浄瑠璃寺の蓮の花です】



そう思えば、私達って、

泥のついて汚れた蓮の花なんだと感じました。




この娑婆を生きる上で、モノカネは絶対いる。



だけど、それに心囚われてはならない。

奴隷・支配されてはならない。

利用するのである。活かすのである。

決して、利用されてはならない。



そのようなことを、静かに、そして力強く教えてくれるのが

蓮の花なんだと感じました。


「これぞ、ホンマモンの僧侶(>0<)☆」




今回マイカー遍路していた際、

3日連続でお会いしたバス(団体)遍路の方々がおられます。

先に行ったり行かれたり・・・

だけどペースが同じで、ご縁があって嬉しかったです(^^)。

団体さんの名前は『智山専修学校院』。

真言宗「智山派』のお坊さんの卵ちゃんたちです。

研修か、修学旅行かで、

バス遍路で四国遍路されておられました。



バスから降りられて、そしてバスに戻るまで一切私語はなく、

駆足で各種作法を済ませた後、本堂と大師堂でじっくりと読経。

私達素人?のお遍路さんとは

お経の内容がかなり違っていました。



そしてお経の唱え方がものすごいんです☆

30人程の若き僧侶(の卵ちゃんたち)の声が

綺麗に揃っていて、

一人の大きな声のように境内をこだましていました。

その声がまた美しき清らかな声なんです!

こんなに初々しく美しく清らかな読経は初めて聞き、

惚れ惚れいたしました・・・



正に【言魂】。



その場所にいる人や、場所自体が清められて、

清々しい風が吹く。。。

その様はあたかも『五月雨(さみだれ)』が、

庭の岩に付着した瞬間の初々しさ ・・・

これから益々深め高めてゆく信仰・救いの道。

清々しい若者に出会い、私も清々しくなりました。



あんなお経を唱えられたら・・・

いろんな人を、本当に救えそうな感じです。

きっと純粋無垢な仏心豊かな若者たちなんでしょうね。

いろんな厳しい授業(修行)を乗り越えて来た若者たち

だからこそ、あんなに清々しいお経を唱えられるのだと感じました。



ほんと、自分の読経の仕方を根本的に恥じた瞬間でもあり、

また、目指すべき方向がまた一つ明確になった瞬間でもありました。


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