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よしこちゃんの部屋
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ジャンル:遍路修行日記
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2015/12/31のBlog
「蓮の花」



46番浄瑠璃寺(愛媛県松山市)の

蓮の池はとっても綺麗です。

が、冬の間は写真のように、

枯れ果てて、骸骨が散乱した感じです。



このような一見汚い場所であっても、

時期が来れば、泥の中から蓮が現れ、

美しい花を咲かせます。

泥のついた、汚れた花は一つもありません。



蓮の花は、この娑婆に生きる私達の

あるべき姿を具現化したものであります。



【右写真は夏の浄瑠璃寺の蓮の花です】



そう思えば、私達って、

泥のついて汚れた蓮の花なんだと感じました。




この娑婆を生きる上で、モノカネは絶対いる。



だけど、それに心囚われてはならない。

奴隷・支配されてはならない。

利用するのである。活かすのである。

決して、利用されてはならない。



そのようなことを、静かに、そして力強く教えてくれるのが

蓮の花なんだと感じました。


「これぞ、ホンマモンの僧侶(>0<)☆」




今回マイカー遍路していた際、

3日連続でお会いしたバス(団体)遍路の方々がおられます。

先に行ったり行かれたり・・・

だけどペースが同じで、ご縁があって嬉しかったです(^^)。

団体さんの名前は『智山専修学校院』。

真言宗「智山派』のお坊さんの卵ちゃんたちです。

研修か、修学旅行かで、

バス遍路で四国遍路されておられました。



バスから降りられて、そしてバスに戻るまで一切私語はなく、

駆足で各種作法を済ませた後、本堂と大師堂でじっくりと読経。

私達素人?のお遍路さんとは

お経の内容がかなり違っていました。



そしてお経の唱え方がものすごいんです☆

30人程の若き僧侶(の卵ちゃんたち)の声が

綺麗に揃っていて、

一人の大きな声のように境内をこだましていました。

その声がまた美しき清らかな声なんです!

こんなに初々しく美しく清らかな読経は初めて聞き、

惚れ惚れいたしました・・・



正に【言魂】。



その場所にいる人や、場所自体が清められて、

清々しい風が吹く。。。

その様はあたかも『五月雨(さみだれ)』が、

庭の岩に付着した瞬間の初々しさ ・・・

これから益々深め高めてゆく信仰・救いの道。

清々しい若者に出会い、私も清々しくなりました。



あんなお経を唱えられたら・・・

いろんな人を、本当に救えそうな感じです。

きっと純粋無垢な仏心豊かな若者たちなんでしょうね。

いろんな厳しい授業(修行)を乗り越えて来た若者たち

だからこそ、あんなに清々しいお経を唱えられるのだと感じました。



ほんと、自分の読経の仕方を根本的に恥じた瞬間でもあり、

また、目指すべき方向がまた一つ明確になった瞬間でもありました。


「おへんろの駅 こくぶ」



【写真:以前、歩き遍路の時に寄った時に頂いた

折り紙で作られた、お地蔵さんのお守り。

今でも大切に栞に挟んでおります ^人^ 】



80番国分寺の山門側にあります、

精神障がい者の方々が運営する

作業所(喫茶店&お食事処)に寄って来ました。



2年ほど前、

歩き遍路の時にたまたま立ち寄ったこの場所。



その時の出会いや気づきが忘れられず、

今回、お伺いさせていただきました。



ここでは障がい者の方々が

接客をし、お料理を作ってくださいます。

確かに、接客のやり取りに滞りがあったり、

お料理(今回はコーヒー)が来るのが遅かったりします。

だけど、何故か心地よいのです。

建物は古いですよ。

だけど、何か落ち着く。。。居場所があるって感じ。



そして深く、深く考えさせられます。

所謂健常者である私たちが日々追求する

【幸せ】とは一体何だろうか?と、

真っ正面から思い入ってしまう。。。
そりゃー、みなさん人間ですから、

いろいろ悩みや苦労があるかと思います。

思うように話せなかったり、身体が動かせなかったり、

就職出来なかったり・・・。



だけど、ここにおりますと、

果たして、所謂障がい者の方々って、

=(イコール)全員不幸なのでしょうか?



逆の言い方をしますと、

健常者=全員幸せなのでしょうか?!



私は、見方によれば、

障がい者の方々の方が、幸福感で満たされているように感じます。



一所懸命朝から晩まで働き、心身を動かしまくり、

お金も稼いで自立している健常者たち。

だけど、私達健常者たちって、幸福感で満たされているのでしょうか?



障がい者の方々は、

作業所での活動やボランティア、お遍路さんへのお接待を通して、

少しでも社会に貢献出来ることが嬉しい、幸せ!と思っておられるようです。

私からすれば、量的に少しであります。



仕事しているのが当たり前

就職しているのが当たり前

自由に早く動く肉体が当たり前

自由に言葉を操りコミュニケーション出来るのが当たり前

ボランティアするのが当たり前

お接待するのが当たり前

お遍路するのが当たり前



・・・という『当たり前』という名前の心の病に

私達健常者はかかり、

その病が深ければ深い程、

真の幸福感【人生の歓喜】からは遠ざかってしまいます。



次々とカーナビにお寺の位置を入れ、

次々とマッハでお遍路して行く自分が情けなくなりました。

なんでこんなに私は急いでるんやろう。。。?

もちろん、日常生活でも『何か』に追われるように

急いでいる訳です。



この場所にいる方々は、私達よりも社会的困難が多く・・・

そして天性や後天的感性によって、

もう既に真理を掴んでいるように感じました。

だから、私のようにわざわざ厳しいお遍路修行をしなくてもいいし、

娑婆であれこれ苦労する必要も無いのかも知れないと感じました。

(実際はどうかは分かりませんが、、、)



私たちよりもケタ違いの苦難や差別を受け、息を潜め生きておられる。

だけどそんな中でも一生懸命生きている・・・

私なんか散々恵まれているのに、もっともっとと急いで回っている。



ほんと我ながら、まだまだやな。。。と実感。



一見古い建物で、接客もどうしてもスローな感じですが、

だけど、ずっといたくなる場所・・・

その理由は、そこにおられる『人』なんだと分かりました。



純粋むくな方々と同じ空間にいるだけで私は慈愛に包まれ、

神のご加護に私は感動の涙を流す。

まさに癒し。幸福への近道。



「このような人たち(心境)になりなさいよ」と

静かに言われているように感じました。



私は確実に導かれている、このお遍路の道に。。。


「人生とは・・・」



人生とは、

人生かけて一つの仏像を作るようなもの。

要らない部分を削り、よい部分を足してゆく。



人生とはクリエイティブなもので、

芸術・・・つまり美、そのものなんだ。



【写真】64番前神寺・不動明王像


「たくさんの方々にお経を聴いて頂く?」



いよいよ本格的な雨と霧の風景になった、

山寺(82番根香寺)。午後4時半。。。



薄暗い境内にいる参拝者は私のみ。

本堂で一人お経唱えていますと、

ふっ・・・と“誰か”が静かに聞いているという【気配】を感じた。


その気配は明らかに“一人”ではない・・・



たくさん・・・

ざっと千人?とにかくたくさん。

っていうか、明らかに“人間”ではない。

だって、人影が無い。

だけど薄っすらとだけど確実に【気配】だけして

・・・だけど、姿形は無い。



みなさん最初は私のお経をじーっと静かに聞いていたのですが、

だんだん「呟き声」のようなものが聞えてきまして・・・



「ええなー」

「うれしいなー」

「その通りやー」とニコニコと

相槌を打ってるいる感じですので、

こちら側(私)もだんだんテンションが上がって来まして

エ~~~声出してで読経っ(笑)。

気分は観衆にノセられて益々ハリ切る大道芸人です(更に、笑)。



そうか・・・☆

肉体の無い魂は口が無いから、

お経を読みたくても読めないねんな。

お線香の香りが好きでも、

手がないから燈せないねんな。


そのような言葉【念】が耳(五感)ではなく、

別の感覚器官から、

しんみりと聞こえて来た感じがしました

・・・いやはや。

イヨイヨよしこちゃんもオカシクなって参りました(笑)。




夜に向かうお寺に一人いるのは、

あまりいい感じがしません(^^;)。

お化けとか出て来る感じがします。



だけど、その場所や集まる足の無い人たち?(魂)を避けたり、

「怖い」と逃げると追っかけて来たり、

悲しまれるようです。

“彼ら”も私たち人間と同じ魂を持つ存在であり、

私たち人間との違いは、

肉体があるかないかだけのようで、

本質は同じのようで、

好きな音や香りを楽しんで、満たされたいようです。



だから人間と同じ扱いで

『先手の挨拶(先に心を開ける)』をすると、

どんな場所であっても、

どんな魂であっても仲良く出来るようです。



生身の人間も、魂だけの存在もみんな

【念】というものを常に抱いており、

ある条件が揃い、

自らの感覚・意識のチャンネルの次元転換すると、

肉体の無い魂の【念(想い)】や、

森羅万象の【念】が観得来るようです。



以上が、私が山寺で感じたウサンクサ~イ体験です(^_^;)笑♪


雨だから嫌、面倒・・・って、

自らの感情【我】を入れない。



雨が天から降って来れば、

ただただ、傘をさして歩くのみ。



大自然の現象・状態に合わせて、

自らの言動を変えるのみ。



感情を入れない・我を入れない

自然に歩調を合わせる 流れにそうだけである。

この有様を例えるならば、

風の如く・雲の如く生きる・・・という感じでしょうか。


「人間は必要な情報(縁)しか得ようとしない」



四国遍路中・・・

あ、トイレ行きたいとトイレを探す。

行きたいと思わない時は、見向きもしない。

そんな時に、人から

「トイレ、どこかにありました?」って聞かれても

私はその答えを答えることは出来ない。

きっと他の縁も同じやな…。

意識向けて欲しないと掴めないもんやな。


「果たして情報は伝わっているのか?」



以前、町おこしセミナーでご一緒させて頂きました

香川県庁にお勤めの後藤さんと

ワイワイおしゃべりさせて頂きました。

後藤さん曰く、香川県はかなり観光に力を入れており・・・

①うどん、②島アート(3年に一度の芸術祭)、

そして③四国遍路の三本柱で、香川県を全国&海外(特に台湾)へと

大々的に発信している・・・らしい。



しかしながら、私の普段の生活で、

香川県のアピールをあっちこっちで見聞きするかどうか・・・

うーん。聞かないなぁ(笑)。



あと積極的に情報発信されてはるのが、

移住政策(∪&Iターン)なんだとか。

香川県は人口が減少の一途を辿り、

いよいよ100万人を切り、切羽詰まった感があるそうですが、

減少幅が大きい高知県に比べ危機感に乏しく、

なかなか難しいようです。(地域間競争が激しい)



うーん。

香川県が移住政策に力入れてるなんて、初めて知ったワ。



都道府県庁という

公の大組織でもまだまだ

抜け落ちてるところ(足らない部分)があるんやから、

私も含め、中小零細企業なんて、もっともっと抜け落ちてるんやと感じました。



まだまだ情報発信能力を高めて、

しかるべき人のところに情報を

お届けせねばなりません・・・反省(^^;)☆


「時間」


時間は国や地域によって違いますが(時差)、

ある一定地域の人間によって定められたルールにより、

地域内においては全ての人は同じ時間を共有しています。



例えば八尾の人と待ち合わせしていて、

私の時間は11時、会う人は12時とかはありえません。



寝過ごしたから、時間を1時間遅らせるとか・・・

自分では変えられない時間という名前の社会ルール。

人間社会の中心を成すルールであり、

それに合わせた生活をしないで、わがままで時間を守らない人は

結局自分が損をし、健やかな社会生活は送れないようです。

だから、わがままをすてて、素直に時に従う心を

磨き高めてゆきたいと改めて感じました。


「先を読む 推測する力」を養うには?



凡事徹底・終始一貫だと思います。



物事を結実成就させる為の健全なサークルは、

①的確な準備・②徹底・③後始末 です。



③は次の物事の準備に続いてゆきます。



例えば、工作をして、一つの作品を完成させます。

完成して後始末をしなければ、

工作の時に使用したのりやはさみが

いつの間にかどこかに行ってしまいます。



で、次の工作をする際に、

「あれ?はさみとのりが無い!」と

何も生産活動をしない『モノ探しの時間』を浪費してしまいます。

そしてそれに同時進行で精神的にダメージを受け、

いいことが何一つもありません。



ある組織のみんなが使う物入れに

時々視線がゆくので、あれこれ見てみますと、

所定の位置に所定の物が置かれてなかったり、

配布資料の向きがバラバラに置かれていたり、

一週間前に使用した資料の余りがそのまま入れられていたり・・・

だんだんと、誰がそんな置き方をしているのかを特定しまして、

「ああ、成程。ありゃー、『見た目騙し』で

口だけで実践が伴って無くて仕事出来へん・信用出来へんなぁ」

という烙印を私は押しております。



たかだか、資料の片付け方法ですが、

そんな些細なことから、

その人の本質(心の中)が観得て参ります。



それが何故か?

その人の心の中にある事柄しか

言動として表面化(見える化)して来ないからです。



ですので、誰も見ていなくても

(っているか、天と自分は必ず見ている)

面倒くさがらず、また手を抜かず、

凡事徹底・終始一貫しなければ、

そんな悪いクセが肝心なところ(大きな舞台)で出てしまい、

ボロが表面化してしまうことを

私達は肝に銘じなければならないと考えております。



【写真】66番雲辺寺ロープウェイにて


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