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シルクロード、今では砂漠、正夢はグリーンロード;GBA
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2018/01/18のBlog
添付の画像はホニチン会社が導入した300頭ウジュムチン母羊です。ホニチンはこれからモンゴル品種の羊で自家生産の肉を供給できると思っています。ホニチンの新牧場で3000頭羊の肥育が可能です。来年から新牧場周辺で牧草播種してすべてを自給できる循環型牧場でホニチンマークの食品安全を確報しようと考えています。
2017/12/16のBlog
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2017/12/14のBlog
続き
2017/12/13のBlog
10月29日(日)、内蒙、赤峰、ウナガの子羊の新畜舎の開設と、天山の餃子のチエーン店とを、中国キナン大学張先生と一緒に見学、お祝いしてきました。
ウナガの新畜舎は、元の2012年築の畜舎は村の隣なので、住居と畜舎を分離する政府の方針に従って、移しました。日本の名古屋の中央運送(株)が、餃子の販売を中心とした子羊育肥センターと数十の牧民が子羊を生みセンターに卸すこの複合経営方式を評価して、200万元、出資してくれたので、規模を倍増出来ました。子羊を3ケ月育肥、年4回、計2000頭の育肥、出荷しする。数点のチェーンストアと阿旗のスーパー200店とで餃子を販売します。
これまで、餃子は中国の大手企業が豚を主にして販売していましたが、モンゴル人の牧場で生産した安全で新鮮で美味な羊を、肉の量を多くして、手作りとして、好尼親のブランドで売り出し、好評です。好尼親は、中国語で新愛な皆様の意味ですが、モンゴル語では牧民の意味で、モンゴルの牧場で伝統的な方法で育てた新鮮で美味しいですよ、と分かります。
2017/01/16のBlog
*第一部
日 時:2017年1月21日(土)10:00~
場 所:神戸勤労会館 多目的ホール
内 容:モンゴル映画「バトの物語」「オボー」の上映、映画監督のトーク、モンゴル学者のトーク「モンゴルの遊牧」、モンゴル民族楽器の演奏や民謡など、モンゴル文化をみんなで楽しみましょう!

参加費:無料、但し映画は500円 ※申込みは不要

*第二部(会場移動10分)
日 時:2017年1月21日(土)18:00~
場 所:コミスタこうべ 3階調理室
内 容:ホーショル作り
モンゴル火祭り行事
ラム肉、モンゴルミルクティーなど
モンゴル料理を食べながらモンゴル文化交流を楽しみましょう!

参加費:2500円 ※申込みは不要

問合先:Email.hudukyokai@gmail.com
2016/10/17のBlog
今年は、また、主な農産物トウモロコシも下落し、牛までも値段が下がっています。国からトウモロコシの値段差を補助する措置が採られたが、市場価額の下落を補填できない。これはやはり、中国がWTO加入を承諾し(2001年)、それを実施する15年の期限が今年に切れて、関税と輸入を調 節した結果かもしれない。
ウリジさんの博世牧業には、私を含む内モンゴル各地からの十何人が投資を決めました、今年11月に投資者会議をする予定です。牧民らが投資をして自分の羊を博世牧業に出荷して、博世牧業側は市場価額より高い値段で羊を購入して、品質を検査・把握して、連携牧民に飼料と肥育技術を提供して、良質な羊肉を求めている。こうして、今後、博世牧業の販売がスムーズになり、羊を大量購入する、連携牧民から子羊を安定的に提供できるようにするようになる、と予測している。
私(楊)のドンホラでも、肥育を地元の牧民に任せて、私が販売と肉の加工を分担しようと考えています。もちろん、博世牧業の中で牛肉も羊肉も利用して製品を作り、博世牧業 の名前でマーケットを開拓しようと考えています。ウリジさんの考えは、アルホルチン市場で一定の知名度を出した後、通遼と赤峰などの付近の都市のマーケットに進出しようと考えています
2016/06/14のBlog
写真の右第二がウリジさんで今内モンゴル博世牧業の取締役。内モンゴル伝統牧業検討会に参加し「内モンゴル牧業の現状」と「内モンゴル中小企業経営問題と対策」で講演しました。ウリジさんの講演後モンゴル国農村経済大学の先生が生皮を塾生し伝統手芸品製造と羊の毛で織物製造を教える半か月ぐらいの授業がある。
2016/05/24のBlog
牧民から次の質問が出た: 今、牛肉、羊肉の売値が下がり、これから牧畜やっていくためには何を最優先に考えればいいか? 合弁か?
ウリジさんの答え; 価格が上下する、市場原理できまり、大体、 4年~5年で上下に変動します。これは、どの商品もそうなのです。ですから、牧民の生活を改善するためには、そのうちあがるだろうなどと価格の変動を期待していてはいけません。現在では、仮に価格が上がっても資材など仕入れ値はもっと上げるので、経営は良くなりません。いま、価格は下がる局面におり、牧畜産業の構造調整の時期がきたと考えてよい。これまで高成長を遂げた経済の全体が調整期に入っています。先進国では世界不況になり、もっと厳しい。
皆さんも痛感されているように、自然環境の変化が激しいですから、実は、牧畜業など自然に一番頼っている産業は、一番科学的な経営が必要だ、とみんなが認めています。そこで、例えば今の市場の変化に合わせて、「ネット」で現代牧畜産業を営む時代になっています。経済が発展すると、牧畜産業も畜舎化や機械化へ移行して、労働力の余力ができますから、これまで超高成長を遂げてきた中国経済の全体が調整期、そしてこれを高く売れるように販売事業に力を入れることが重要です。
5月12日、内モンゴル新聞はウリジさんの活躍を報じました。

今年3月5日、牧民博士と呼ばれているウリジさんは、「創業者グループ同志会」を設立した。内モンゴルの牧畜業は砂漠化や原燃料高で衰退してきており、牧民は経営をどうすればよいか、どのようにして収入をあげるのか、肉の栄養と味をたかめ、資材等が上昇する中で売値が下がっている、どう単価をあげれるのか、必死で求めています。

そこで、牧民博士ウリジさんが、これまで考え実践し成功してきた知識と経験を牧民たちに伝え、交流するために、LINEで短期間に380人の会員を集めた。会員は、自営業、合作社、合弁会社指導者及びこれから自営業の立ち上げを考えている方々に限定している。テーマは、流通市場での肉の価格変動、海外の牧畜業の発展の現状、現代牧畜産業のガイド、合作社の経営方針、伝統的な牧畜文化の発展、そして各自の仕事の経験交流であり、会員相互で幅広く討論し、アドバイスしあっています。
2016/05/04のBlog
内モンゴルで最高級品として愛食され、中国で人気が高まっている子羊の乾燥肉を、西和総合研究所の小西一彦所長と北野、楊が相生の芝村熱利用開発の芝村社長を訪ねて、内モンゴルに設置できないか、見学と打診をしてきました。 芝村社長は、相生の石川島播磨が世界最大の日昇丸50万トンを建造するとき、相生工場長を勤めた輝かしい経歴をお持ちです。 退職後、持ち前のアイデイアと研究熱心さで、サウナで100度の熱風に入ってもやけどせず、汗が噴き出て減量できます。 この原理を実用化しようと研究を重ねました。遂に、野菜や肉魚を始め、およそあらゆるものの水分を90%、その栄養や食味を一切損なうことなく、脱水し乾燥でき、粉にすると軽さが1/10に減る驚くべき性能を誇る機械を開発し特許を取り、いままでに30件の成約を見ています。 右図は、リンゴを乾燥させたチップです。これを蒙和や楊君の友人の乾燥肉加工業者が利用できないか、検討を始めました。 現在、現地では乾燥は大きな倉庫内に扇風機を付けた「天日乾燥」で、半年弱かかりますが、これを一日で乾燥させ、年間毎日出荷できることになり、コストダウンは巨額です。現地で受け入れられる「味見」となるかどうか、が一番のカギになります。この機械なら、野菜等、何でも1/10に重量を落とせますから、世界中に輸出できますし、粉状で輸送すれば、輸出先で、乾燥みそ汁の元のように、お湯だけでOK、です。 巨大な市場を開発できる可能性もあります。次の芝村熱機械開発のHPをご覧ください。URL: http://shibanrk.com 



2016/03/17のBlog
この3月、開店したウリジさんのホニチン(牧民)精肉店は、自家牧場の羊肉を直接、消費者に販売して、消費者に安価で品質のいい羊肉を提供しており、消費者に好評で、人気が上がっています。中間流通が入らないために、大幅に利益が上がります。このたび、右の写真のように、自家製の肉を加工して水餃子を作り、販売し始めました。一袋500gで大手の機械製餃子は10元ですが、15元と高いですが、肉の品質が良く、美味いので人気が高まっています。
2016/01/31のBlog


火祭りは、旧暦12月23日(クリスマスと同じ)、天国にいる閻魔大王の使者が家々に使いを出して、皆元気か、夫婦は相和し、子育てをし、良く働いてるか、爺さんは村の面倒を見ているか、子供は親の言いつけを良く守っているか、見回りに来る。そこで、たき火を焚いて天から降りてくる橋を渡して我が家にお招きし、祭壇に餅を祭る。一日、お祭りしながら、家を見てもらう。天使はだされた餅に手を出すが、餅は粘り腰が強くていつまでもかんでいる、何よりいつまでも美味い。翌日には、かみ切れないままたき火橋で天国に戻るが、閻魔様には悪い報告など出来ようがない。

天の神様とご先祖を、私たち家族とつなげる、大事な、大事な日なのです! 

最近は、牧民は牧業で暮らせず大都会に移ってしまい、都会では火祭りをできなくなってしまった! 昨晩は、せめて神戸の地から、故郷モンゴルを遥拝して、ご一緒に祈りました。
2016/01/28のBlog


蒙和牧場の羊肉の販売店、「ホニチン肉店」が近くの天山の町で開店に漕ぎつけた。ホニチンとはモンゴル語で羊を放牧する人を指します。ウリジさんは内モンゴルではホニチン博士と呼ばれて有名です。このたび、品質の良い完全有機の羊肉を消費者に割安で提供する店を出ました。異常気象に見舞われたこの4年間、蒙和の従業員が必至の工夫と努力を尽くし、遂に、夢を実現する第一歩を踏み出しました。
2016/01/26のBlog

モンゴルは、日本の鎌倉期に、歴史上最大版土のモンゴル帝国を築き、いま、豊かな伝統文化を誇ります。

旧暦の正月、極寒の地に咲いた火祭りが神戸の地に飛び火してきます。

いま、皆は夕刻のこの時間、テレビで時を過ごしていることでしょう。だが、この一夜は、この火を眺めながら、頭も心も体まで、ゆすぶりに来てください。
人類500万年の歴史中、直立を始めるのは250万年前の火の操作から。それほど火の操作は巨大な 影響を人に与えました。
夜は、たき火を囲み、延々と空想と議論の輪を広げて、言葉が進化し、脳髄が無限の蓄積と処理能力を持つに至ったのです。

その意味では、日本の活性化は火祭りから、と言えなくもない・・・。
2016/01/25のBlog
遅ればせながら、ビーバーにならって、謹賀新年となりますように。
アメリカロッキーの東麓の国立公園内では、図のビーバーを育て、川に放って、ダムをつくってもらい、これで砂漠化を防ごうという取り組みをはじめました。
アメリカのミシシッピ河より西側は、西部劇の時代以来の農業の過開墾と森林伐採のために、全域が乾燥化し、山岳の掛りから順に砂漠化しており、農地は地下水枯渇と相まって大後退しており、カリポルニアの水がめは干上がり、都市は断水、給水制限が絶えません。
 そこで、最近、元の住民のビーバ-に活躍して貰おうと、この活動を始めました。もともとここは深い草原地で、ビーバーがこれを作っていたのでした。ところが入植者がビーバーやバッファロー等の野生種を瞬く間に絶滅させました。報道番組には80歳のお婆さんが、子供のころ、ビーバーが沢山いた、父らがみな打ち殺し、私らの時は砂漠に逆襲された、ビーバーが戻ってこんなうれしいことはない、と語る。ビーバーは体長1m位で他の肉職種の格好の餌食、そこで、草原に、木をかみ倒してダムを作り、水深2m以上のダムを作り、その真ん中に図の浮船屋敷で暮らす。昼夜を問わずダムつくりに勤しみ、何世代に亘って完成させ、広げ、850mのダムもある。この湿地が500km2位あれば、降雨量は倍になり、元の草地が復活する、と期待している。
2015/07/01のBlog
楊さんから、続きです。
「6月19日、通遼のモンゴル族中学校でドンホラ村出身のモンゴル族の教育家ソルネさん(元通遼モンゴル族中学校校長、初回ドンホラオボ祭りを主催者)の伝記出版の討論会が開かれ、ソルネさんの学生等の関係者100人以上参加。
内モンゴル各地から来られた討論会参加者もドンホラ祭りに来られて、討論会とドンホラオボ祭りが内モンゴルテレビの番組に放送されました。」

図は、祭壇。ジンギスハンを中央に、モンゴル民産品、酒だけは全中国に出荷するため漢字が見れますが、あとはモンゴル語。長い太い卦はチベットのラマ教の影響を受けたモンゴル系仏教であり、漢民族も道教や仏教で使う。日本では短く細くなった。
東アジア共栄体への道を暗示している。
楊さん(今、神戸にいる)の便りです。「6月20日、ドンホラでオボ(敖包)祭りが行われた。オボ祭りは年に一回、旧暦の5月5日に行われてます。今年は例年より規模が大きく2千人ぐらいの人々が集まったそうです。」

オボ祭りはモンゴル族の英雄、ジンギスカンを祝い、称える行事です。ドンホラの最高地の岡にジンギスカンの遺影がまつられます。ドンホラはホルチン砂漠の南東の端にあり、ジンギスカンは南立し、満州、そして中原を見やっています。中原を征服したあと、孫のフビライの時、東進し、二度の元寇となったわけです。
2015/06/30のBlog
ウリジさんからの便りです。
「こちらで、最近、3回ぐらい雨が降り、黄砂が収まり、やっと夏という感じです。この春、子羊は340頭生まれ、順調に育っています(図のように、新品種、杜伯、です)。母羊を放牧しています。
懸案の羊の価格は上昇していません。こちらでは、2016年度から上がるだろうという話はあります。私はちょっと楽観的で、この秋からは上昇するだろうと思っています。

日本では梅雨はあと20日程度、続きますが、蒙和は45度あたり(稚内)、短い夏に入ります。ちなみに、Phillipineでは雨期は12月まで、その後半年が乾季。
2015/04/19のBlog
図の世界原油価格は、Brics台頭で急騰、Lieman前に100、後2009に底62、景気回復で2010年80、だが2011年福一で2割高の$100/b、201407世界GDP減速とOpec減産拒否で半値へ。これが、豚、牛の国際価格変動の主因。2015年もGDP減速と原油安50で食肉価格は下落する。内蒙の子羊価格は去年水準を維持できるか、微妙だ。事業は,
慎重に、かつ着実に、構造改革を進めねばならない!
2015/04/17のBlog
図は、2010年来の月次の牛価格の推移。世界中で取引される食肉商品で多い順は、牛、豚、鶏、次が羊の順番。牛の価格は、世界の供給の方はあまり増えず、需要に影響する世界GDPの成長率と、供給コストに影響する原油(エネルギー)価格。この間、世界GDPはLieman後の急回復から減速、不況入りしてきた。Lieman後、世界景気を引っ張った中国も2007年14%のピークが2010年11%まで回復した後、一路2015Q1の7%にまで低下した。牛の需要は途上国の所得増により増加しており、景気減速と相殺して、牛価は主に、次に上げる原油価格の動きと並行している。
2015/04/16のBlog
図はラム肉の国際相場(米、Cicago)の推移。2011年秋の150cent/poundが急落、13年1月に-40%で底を打ち、反転上昇して2014年7月ピークで140c/p、その後、下落し、今年に入って下げ足を速めている。
先の図は中国・内蒙での価格で、国際相場より1年半くらい遅れて、4割ほど、下落している。この遅れが続くなら、今年15年は3割ほど上昇するはず。だが、先のウリジさんの予想は、下落する! 皆さん、よく、考えよう・・・
2015/04/08のBlog
図はウリジさんの蒙和の子羊の出荷価格の推移。夏の大雨、冬の豪雨の異常気象の2012年に価格がピーク25元/kg、13年-10%、14年ー30%。3割も下がると、赤字は必至! 牧業専業は持ちません。淘汰が進み、そのあと反動で価格高騰が通常のパターン。今年はそうなるか? 需要サイドからは、世界と中国の成長減で期待難。供給サイドからは、原油半減と、淘汰で供給減、この需給の兼ね合い、となる。
 次に、羊肉(ラム)の国際価格の動きを見てみよう。
2015/04/07のBlog
1.子羊の価格は、2012年をピークに、2013年は1割下落、2014年は3割程度も下落した。その理由をウリジさんは、以下と言います:

2、羊の供給は増加した。
① 旱魃: 2014年は旱魃がひどく、放牧地に草がなく、冬用の牧草もなく、1年中、外から買う高い飼料に依存した。採算はとれず、多くの牧民が母羊まで売り、年間出荷頭数は倍増した。
② 羊の品種: 山東省で品種改良された「寒羊」という品種がすごいスピードで増加している。寒羊の特徴は1回で3-4頭の子羊が生み、繁殖は早い。温かいところに適している。だが肉が固く、おいしくない。
③ モンゴル国から羊肉の輸入が始まった。

3、羊肉の需要は横ばいだ。
① 中国の経済成長が鈍化しており、2015年は政府の成長目標は7%に低下した。
② 習主席の反腐敗政策で政府のお金を自由に使えず、高級レストランが潰れている
③ 羊肉を品質で差別化できない: 羊肉市場では、高級肉と安い肉とが差別化されず、母羊の肉も、寒羊の肉も、モンゴル子羊の肉と同じ値段だ。
2015/02/22のBlog
2014年、中米協定を締結、2030年に非化石燃料比を20%に引き上げる。2015年1月、中国が5ケ年で原発を三倍増、6000万Kwhへ引き上げると発表(日本は5000万=100万*50基)。将来的に200基(2億kwh)の構想を立てた、さらに、2050年5億Kwhのプランも出される。日本の発電総能力は2億Kwh(国民一人当たり2kwh)、2050年に中国の一人当り所得が日本並みになり同程度の電力需要があるとしても、原発比率は5億/(14*2)=20%。成長率はずっと以前に減速してゆくが、重化学工業主導の経済の必然的要請としての原発依存となる。
 中国自身のためにも、国土緑化が求められる。
2015/02/04のBlog
1977年、女性グループが環境回復と農業再建とを組合わせた7本の植樹を開始、亜全土へ 4千万本に至る。2004年、ノーベル賞、授賞式で叫ぶ:「エイズウイルスは西洋の科学者の生体工学の産物、大量破壊兵器だ、アフリカの黒人を苦しめるためにばら撒かれたのです!」 
来日し、「もったいない」精神があることに感激、自然を、物を大切にしようと「MOTTAINAI」運動を世界に広げる。2011年の東北大震災には被災者に中古のおもちゃとメッセージを届ける:皆さんの自然に感謝し、救助の勇気、規律正しい姿に胸を打たれました。豊かな自然に日が昇る日本を再建してくれることを信じています」。半年後、植林中に倒れ、「砂漠を緑に」と言い残して71才の高貴な生をとじた、癌だった。
GBM:https://www.youtube.com/watch?v=QjnWy6uOP3Q
東北震災へのメッセージ:https://www.youtube.com/watch?v=4Ks1YftUE5c
2015/02/02のBlog
後藤健二 @kenjigotoip ・ 2010年12月2日 そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。

2010年5月24日 普天間-まさか本当にこんな結末を迎えるとは…。沖縄の戦争は終わっていないし、日本の戦後整理も、実は何も片付いていなかった。非核三原則も上面だけだった。シャトルに乗せてもらって喜んでいる場合なのかな?

2011年4月11日 マスメディアは「ウソではないよね」というエクスキューズの上にニュースをセレクトしている。一般市民の皆さんは分かっていたのでしょうが、今回ははっきりと明確に実感できたのではないでしょうか。ちょこちょこ出される情報にも注意。全体感を見失う。
2011年4月22日 「イエロー・ジャーナリズム」という言葉を本当に久方ぶりに思い出す。メディアは自身が混乱していることに気がついていないのか、気がつかないふりをしているのか? もはや樹海の中に僅かに点在する本来のジャーナリズム。

2011年6月25日 ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことやフリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果として変えられなかったことは自戒すべきことと思う。

2011年6月26日 世界市場では、待っていても何も起こらない。最初の一歩は自らが踏み出さないと。この日本国では、待っていたらこのザマなのですから。子どもを大事にしない政府や国に未来なし。
2015/02/01のBlog
たった今、後藤健二さん殺害のイスラム国声明が届く。後藤健二さんは、「 @kenjigotoip 2010年4月19日に、次を発信しておられます:

「はじめまして。僕たちも大きな地図というか地球儀を作ろうとしているんですよ。親しい者同士かは全くわかりませんが、地球という星の上に自分が居て、彼らもいる-そのことを知るきっかけになってくれると思います。」

 アメリカ政府は反テロ・反イスラム国の有志連合が60ケ国に達した、攻撃を強化する、と言います。安倍政府はすでに有志連合に入っており、後藤さん殺害後の会見で、「テロに屈しない」、つまり、有志連合の一員として更に積極関与する、という。首相の積極平和主義では戦火は拡大し、そして日本にも飛び火します。
 では、第二次大戦直後に発生し、激化してきた中東戦火をどう納めれるのでしょうか?
 私は、当GBAの実験を成功させ、この植林・牧畜方式を中東へ広げることだ、と確信しています。
2015/01/17のBlog
阪神淡路大震災は、私(北野)がGBAを作って、砂漠の緑化に乗り出そう、と考えるようになった背景です。震災からの復興~砂漠化からの緑化―産業の復活がカギだ。


§ 2015年1月17日。被災20年の感慨。

被災の集中した大都市・神戸の長田地区の人間と地域の復興のためには、衣食住に代わって、新「医、職、住」が必要だと定式化された。私(北野)と関わりのある職とは地域産業論の分野であり、経営学者や経済地理学者が扱ってきた。当地と2年半、関った私は、専門の論文を書けるのかと何度か、同僚から忠告を受けた。当時、経済政策分野を研究し実践しようとした私が採り上げた視点は、ケミカルシュウズCS産業という地域集積型産業と地域行政との連携について、即、自治体の産業政策のありよう如何、というものだった。地域集積型とは、日本に500あるといわれる地場産業のことであり、現在もなお、言われる地域創造の1翼を担う筈である。


 震災直後、神戸市は新長田等の再開発・区画整理の事業計画を一方的に決定し、建築制限をかけた。ところが、長田地区はCS産業の集積地であり、駅前にはその卸業が集中立地していた。この都市計画決定は、この卸機能を一掃し、集積から遠く離れた西神工業団地へ誘導するものだった。被災直後に、地元と学者との共同で「長田のまちづくり懇談会」を組織して、CS産業は「地域集積」をメリットとした地元の基幹産業産業だ、戦後、履き倒れの街といわれた神戸の生みの親だ、この都市計画決定はこの集積を破壊するものであると批判し、「住工商を有機的に複合させた杜の下町・長田構想」を作り、神戸市に提案した。その後、この理論化に努めた。その結論は次だ: CS産業の事業者が、個々の製品づくり、あるいは卸・販売面では競争しながら、それが依って立つ共通の空間である街づくりでは協調する、こうした競争と協調との使分けをできるようになること、これを獲得目的とする。だが、これは言い得て実行難の典型例だった。まず、その例をあげよう:

街が壊滅すると、街再建という共通利益が発生すると同時に、操業停止に追い込まれた9割の層の傍らに、操業不能を免れて、製品価格高と注文増という「千載一遇」のチャンスが出現して昼夜突貫操業をした層、韓国など海外からの輸入に切り替えた層に分岐が生じ、この間に利害対立が生じた。操業層にとっては、共同の利益である街再建は他社に任せ、自分は経営に専念するのが最有利だ。海外切替層にとっては産地崩壊が有利になる。

当産業では、従来、メーカーの間で、デザイン・意匠の盗みあい・模倣競争は熾烈であり、事業者は寝言もいえないと噂された。500社余りのメーカーは、販売機能を中心に業界団体が3つ、独立系に分かれていた。

メーカーとその下にいる各種各様の膨大な部品、関連業者との間でも、これは一般的なのだが、競争と協調の調整問題があった。所が、当地区は自然発生的にこれをずいぶんうまく調整しており、私はこれが当地区の強さの源泉であると知り、市の産業政策に立て付いたのであった。

これまた一般的な事情だが、卸業者とメーカーとの間にもこの調整問題があり、当地では感情対立にまで達していた。

事業者の中で街づくりに関わってきたのは、業界役員などを務めた業界通の高齢事業者であり、息子世代が実業に当たっていた。
 当地区に支店を構える信金支店長はいう:この地区の業者は「お行儀」が悪く、お陰で利子が高い、それだけに事業者の調査をしっかりして信用を担保すると凄く儲かる、ここはドル箱だ、なんとか街を再生してほしい。地域型銀行が地域産業再生の柱になる、と分かった。
 長田の街づくり活動の中で、被災1ケ月で営業再開に漕ぎつけた市場に出くわした。一般に市場商店街の店主は一国一城の主で、店主間ですざましい競争をするので有名だ。だがここは違った。市場の全店主の間で、早期再建で協力する、再開した店舗では対等競争をする、客の流れをそうなるように店舗を配置する、この合意ができたのである。こんな見事な競争と協調との組み合わせを合意できるためには、被災以前から、店舗間に信頼が存在せねばならない。当市場の場合、立地点は刈藻川の河川敷で、市からの借地であり、市は、従前から立退を迫っており、被災を機に市が強行するのではという共通の危機感がばねになった。
 被災3日目、CS工業組合に静岡県の靴産業の担当者が調査に来た。静岡は東海大震災の脅威に直面しているのである。神戸市の産業政策担当部署は、圧倒的な開発関係部署に比べて、無いに等しい全神戸で数名だった。市は工業組合の依頼で靴の街長田再建検討委員会を作り、構想案を出したが、その時点では事業計画に沿って事業が開始したずっと後であり、後の祭り、だった。その構想も、サードイタリアの靴産地を模倣した漫画、書いたのは市が丸投げ委託した中央コンサル。この事情は、東北大震災でも全く同じだ。

 競争と協調との有機的な統合という課題は、被災20周年の神戸の地で、更に高まっている。現在、新長田駅周辺では人口減、空き店舗の大量発生等、再開発事業が失敗し、この修復運動が起きている。この最大因はCSの産業集積を蹴散らかしたことにあり、元の住民が大幅に減り、新住民は少なく、新住民は新長田で買回り品を買わず、日用品は参入コンビニ等で買う、従って、地域が衰退している。打開策はCS産業の集積を復活させ、住工商が有機的に複合した杜の下町を再建することだ、被災6ケ月で地域住民と学者との協調で作成市、市に提案済みであった。
 震災を機に形成された民間団体兵庫震災研の20周年記念の震災本は、「被災地新長田は復興したか」とテーマを設定した。震災本に執筆を断念した私(北野)の反省としては、これを次の趣旨に換えるべきだった: なぜ神戸の地域集積型産業が、産業政策と地域事業者間の協調がよろしきを得れば、scrap産業ではなく発展産業だ、そのpotentialを持つ、と言えるのか、にも関わらずなぜ神戸市政等が地域集積を破壊したのか、被災後、地元事業者等が集積や街の再建のためにどんな努力をしたのか、今後どうすべきか。だが、私にはこれを書けず、執筆を断念した。

 なお、当時、有能を誇る計画行政・神戸市は膨大な復興計画書を作成していた。神戸市は復興計画の100人委員会を作り、各界から委員を結集した。また、被災半年目、市民から復興意見を公募した。だが、この意見は「有識者」と行政との協議の場において参考資料とするだけだった。これを公開し、市民的議論を踏まえた市民参加型の決定とはしなかった。この点も震災復興の反省点だ。
 復興計画作成時、神戸市いわく: CSはscrap産業だ、長田はスラム街だ、枯れ木に水やりだ、「幸か不幸か」、長田は壊滅した、「神戸の西の副都心」として近代都市に復興する。高度成長期は大昔となり、バブルも初めて失われた25年の局面転換を起こしているにも拘らず、明治来の骨がらみの近代化への開発路線を強行したのである。
 「開発で稼いで福祉に回す」を看板に商売上手の革新神戸市制が被災して、「幸か不幸か」と勇んだのは、長田を神戸の西の副都心とする、これ以上の大きな構想済みの市の復興像があったからだ。すなわち、神戸の「中央区」の人工島群の沖合に神戸空港を市営で建設するのだ、膨大な遊休地は、結局、医療産業都市を作るのだ、これで雇用を作り、財政を再建し、福祉へつなげるのだ。
 すなわち、山、海へ飛ぶ、開発で稼いで福祉に回す神戸の都市経営である。被災して財政難、金欠だから、まず空港と医療産業を作って稼ぐのだ、被災者救済、福祉はそれまで待て、と言ったのだ。宮崎市政は70年代に空港反対で保守から革新自治体に転じ、80年代には自民の福祉財政赤字垂れ流し攻撃に反撃して唯一、革新神戸市政の旗を掲げた、都市経営はその秘策と謳った。
 震災は市民と共に神戸市政をも揺さぶり、市民は住民に冷たい開発エリートによる官僚組織と評価を一変させ、反開発市政の統一候補擁立に成功した。神戸市はそれまでの中央から自立した市民主体都市の旗を投げ捨てて中央直結、その補助を頼むに転じた。震災来4度目の2009年の神戸市長選挙において、市民・住民側はそれまで築いてきた統一候補の擁立に失敗し、開発市政は辛うじて生き残った。現在、アベノミクスに支援されて三宮の大開発に乗り出している。2014年を沸かせた理研の小保方STAP問題、250余の事業所・施設を集積させ、その中に聳える笠井ビル、ポーアイがこの舞台となった。

現在、地場産業の再生と街づくりか、国や業界支援を受けた医療産業都市作りか、地方自治体レベルでこの選択的評価が必要とされている。

 今まで強調してきた「競協統合」、また「個共統合」とは、実は、日本経済の変革された像なのだ。つまり市場の構造改革であり、この延長上に「社会主義」があろう。さらにまた、これは、そもそも社会を改革すること一般にとって要請される個人と社会の思考・行為の態度でもある。
 たとえば、東北の復興にも、派遣の労組結成にも、組織労働者の大幅賃上げにも、また私事ながら極重要な、退職後日常化した近所づきあい、自治会での活動、気功サークルにおいても・・。

 私の発想は、すべて、この形成を志向するようになった。Marxはヒトの全面発達を謳い、A. Senは個々人の基礎的能力の涵養の平等を謳えている。私は、「和して同ぜず」、「自立と連帯の姿勢を身につける」、という意味での発達を強調したい。正確に言うと、「個別的な自己利益の追求と、共同利益を実現するための協調とを、多様な状況に応じて有効に使い分ける姿勢を保つこと」、です。「これを理解し、実行し、学習し、その能力をつけ、これを自己の信条にまで高め、日常行為のあらゆる分野でかく振る舞えること」、といえる。
 ベートーベン曰;あらゆる不幸は、だが、何かしら良いものを齎してくれる。震災は私のlife-styleを齎してくれた。宮本武蔵的ながら、「個共統合」をめざず鍛錬と啓発の愉快な旅、となった。孔子いわく:君子(実は天下)に三楽あり、仰いで天に恥じず、伏して地に恥じざるはこれ一楽なり、親兄弟、朋友皆元気なるはこれ二楽、天下の秀才を集め陶冶できるはこれ三楽なり。震災体験を機に、孔子の三楽を信条とできるようになりました。北野
2014/11/23のBlog
図は新居前の楊君、赤ちゃんをあやす奥さん、近藤先生。
 彼女はホルチン沙地の別の村出身、実家には両親2人が残るだけで、親戚等、全部が街へ出てしまった、彼女も大学から神戸大学の人間発達学部の修士課程へ進学、楊君と出会ったのだ。伺うと、牧畜は好きでなかった、都会へ出るつもりだった。だが楊君が故郷で牧業をやるので、一緒に来た。ここでは、専門を生かして、羊よりも、この子らを育てたい、幼稚園を作りたい、とのこと。
 学校は町に集中する傾向にあり、小学校から街の親せき宅や寮に住み、実家には2週間に一回、帰ってくるノミ、幼稚園からそうなのだ。村がさびれ、街へ出てしまう大きな原因になっており、両親にとってはお金の負担も大変だ。
 昔、デンマークは北方戦争に敗れ、北の端のヒースの荒れ地、ユトランド半島に押し込められたが、まず始めたのは、沿岸全域の植樹帯づくりと人づくり、おかげで今、豊かな農業に恵まれている、砂漠化する内モンゴルの見本だ、楊夫婦で、分業するのだ、というわけだ!
2014/10/25のBlog
【シカゴ時事】は以下、報道する。 米国は、建国以来、穀物と牛の世界の供給基地だった。だが、2014年、米国の牛肉生産量が20年ぶりの低水準となる見通しになった。長期的な肉牛農家の減少してきたのに加えて、ここ数年の相次ぐ干ばつで餌となる牧草が不足し、牛の飼育頭数が過去最低に落ち込んだためだ。
 日本などへの輸出も伸び悩んでおり、BSE(牛海綿状脳症)問題の影響があった09年以来、5年ぶりに輸入が輸出を上回る可能性が強まっている。
 
 米国のアグリーメジャーが、米、豪を見限って、中国の阿旗に目を付けているのだ。これは、蒙和等、地元経営にとって、脅威とも、機会ともなる!
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