NHKラジオ「朗読」

ここ数年の習慣として、就寝前にスマホを2台持ち、1台目にミニ三脚を付けて、気になるユーチューブ動画を流し、二台目を手に持って、ひたすらネット検索をし、あらゆる情報を流し読み(ネットサーフィン)をするという、情報収集方法を行っています。(2台同時進行の方が、情報収集スピードと量が格段に上がるため)
私のスマホは、私がどんな記事が好きか?を知っているようで、NHKラジオの「朗読」という番組の情報が流れてきました↓
俳優の松重豊さんが、司馬遼太郎先生の『昭和という国家』の朗読を5回に分けて流しているラジオ番組で、現在は3回目まで公開されています。
一気に3回目まで聴いたのですが、既に司馬先生の本を半分くらい読んだ気分になる程、濃厚な内容で完全に魅了されました。。。☆
戦後80年。
私も含め、いま生きている人のほとんどは戦争体験者でないので、戦争体験者/当事者の先人から、直接お話が聴けるのは非常に学び深い上に、非常に語彙力が高い元新聞記者/歴史小説家であられる方なので、日本語の選び方・念の込め方がお上手で、非常に聴きやすい・・・戦争体験者でない私でも、司馬先生がお話される言葉(ことだま)を通して、かつてこの国・この世界で起こっていた風景がリアルに観得て来て、非常に有難いです。
確か、司馬先生は「昭和」という時代は実際、自分が生きていた時代なので、非常に感情的になってしまうので(正しい物の見方・書き方が出来ないので)、小説などの本には出来ないです・・・とおっしゃっていたかと思いますので、この朗読は、音声や雑誌のインタビューか何かで残っていたお言葉を切り貼りしたものではないか?と推測しております。(断片的にですが、過去、テレビや本で聴いたことあるお話が含まれていました)
10年近く前に購入した『明治という国家/上・下』は、購入後にさらっと読んだだけで、今度はじっくり読みたいと、いつも見える場所に置いているのですが、なかなか読む時間がありません(涙)。
この本や『この国のかたち』『街道をゆく』などを通して、江戸末期~昭和初期の、戸籍・除籍謄本に記されている私の先祖の生き様が観えて来て、とても深い感動や感謝を観じる機会にもなっております。
・・・いくつかの時代を経、令和の世となりましたが、果たして、日本人/地球人は進化したのでしょうか?
目に見える技術的な進歩は目まぐるしいですが、人間の精神・叡智は逆に衰退し、本能(欲)むき出しの動物的人類に成り下がっているような気もしております。
未だ世界中に争い事は無くならず(むしろエスカレートしている)、人災・天災双方が増加し、環境破壊が進み、貧富の格差も広がり、地球全体の不安定さが極まっております。
・・・令和の時代は、スマホ一つで簡単に情報収集や発信が出来ます。
だけど、簡単な分、薄っぺらく感じ、無責任な感が否めません。
その点、司馬先生のような昭和までの、文字(想い・情報)を世間一般に発信する方々の一言一句には、責任感・重厚感のあるたましいの籠もった【念】が多分にあるように観じており、それがとっても安定感がある上、信用信頼出来、読んでいて心地いいです。
昭和に記された言葉なのに、古さは一切観じられず、むしろ、鮮烈な新しさがあります。物事の根幹を成している【真実】だからでしょうね。
昭和から平成、令和へと30年以上の時が流れ、かつて司馬先生が生きていた時代には分からなかったことが分かり、司馬先生の調べられたことが間違ってたこともあるそうで、それでそのことについて司馬先生を批判するような論調を見たことがあります。
が、“そもそも論”として、司馬先生が本に書かれたことがフィクションや間違いであったとしても、その根底に流れている【日本人とは何か?】という大いなる問い、日本人だけではなく、現在過去未来の人間という存在の本質に、読者自身が気づき、覚醒めて行く・・・司馬先生のその深い洞察力や知識、そして人間愛で持って、私たちの覚醒を後押しをしてくださっているのが、司馬小説の最大且つ最強の魅力であろうと私は常に観じておりますので、私の亡き父も含め、司馬先生の大ファンです。
『明治という国家』だけでなく、大人買いした数百冊の司馬先生の本、まだほとんど読んでないので、もっと時間を作って、じっくり読みたいです。。。^^;☆
テキストの画像のようです