「幸福を生み出す最良のチョイス」 <選択と結果を日記につける>

(写真はスタンフォード大学のフーバータワー・カリフォルニア州スタンフォード)——->
2012年9月12日
「幸福を生み出す最良のチョイス」
<選択と結果を日記につける>

 困難の多い、劇的な人生は運命か、偶然の産物か。あるいは、困難を乗り越え、学業の道に進んで現在の立場にたどり着いたことを選択の結果とみるか。自身への問いかけが、研究内容とそのまま重なる。

 コロンビア大学ビジネススクール教授のシーナ・アイエンガーさん(42歳)は、インドから米国への移民の娘。1969年カナダ・トロントで生まれ、3歳で両親と米国へ移住した。生まれつき目の病気を患い、高校生の頃には失明。

 シーク教の厳格な戒律を娘にも守らせた父親は、13歳の時に心臓発作で突然死。盲学校には通わず、公立高校からペンシルベニア大へ進学。その後、スタンフォード大学院で博士号(社会心理学)を取得した。

 両親が育ったインドは、ルールに従って進む人生が当たり前。米国に移住してからも、シーク教の教えを忠実に守り、娘にも服従の大切さを教えた。彼女にとっては運命によって決まる生き方であり、限られた選択の中で人生を歩んできた。一方で、子どもの頃から視力が失われつつあったので、どのような職業に就けるのか、将来に向けて難しい判断を迫られていた。

 しかし、公立学校に進んだことで、自分のことを自分で決めるのが当たり前、むしろ望ましいと教わった。インドの女性は、「いい結婚をする」ことが人生で最優先の課題であるが、目が見えなかったことで、その道は求められなかった。最良の教育を受け、自立できるキャリアを得ることが当然とされたことで、人生の可能性を開く選択の幅が広がった。

 大学生の時には宗教と幸福について勉強した。卒論に向けて、複数の宗教の信仰者に人生への満足感について聞き取り調査した。結果は驚きであった。原理的な信仰を持ち、人生における選択肢が少ないように見える人がむしろ、楽観的で幸福であった。制約を受けることが、必ずしも「自分で決めている」という感覚を失わせるものではなかった。

 私たちは自由に選べることを幸福だと思いがち。幸福になるために選択は重要だが、選択肢が多いのは混乱の原因にもなる。情報があふれ、可能性が無限に広がる現代社会。人生における選択について、シーナ・アイエンガーさんはこう語る。

 「大切なのは、いかに多くの決定をしているかではなく、自己決定の意識を持っているか。何も決められない状態だと生きる力を失う。一方で、あまりにも多くの選択を求められると、その間で判断できなくなる。何が重要かを見極め、それに集中することが重要です」。

 さらに、「選択とは、将来と向き合うこと。だからこそ、普段からの思い込みや、判断を誤った時の理由も検証し、結果を素直に議論して初めて、その可能性を実現できる」とも。そこで、私たちの人生がどこへ行くのか、どうやってそこにたどり着くのか、最も強く決定づける一人ひとりの選択について、シーナ・アイエンガーさんの視点を次に紹介させていただきたい。

(写真はコロンビア大学のロウ図書館・ニューヨーク市マンハッタン区)—–>

『<フロント ランナー> 人生を決める「選択」の謎を追う』
コロンビア大ビジネススクール教授
シーナ・アイエンガーさん(42歳)
2012年8月4日付け朝日新聞より引用

 生まれつき目の病気を患い、高校生の頃には失明。インドから米国への移民の娘。シーク教の厳格な戒律を娘にも守らせた父親は13歳の時に、心臓発作で突然死・・・・・。困難の多い、劇的な人生は「運命」か、「偶然」の産物か。あるいは、困難を乗り越え、学業の道に進んで現在の立場にたどり着いたことを「選択」の結果とみるか。自身への問いかけが、研究内容とそのまま重なる。

 「私たちの人生がどこへ行くのか、どうやってそこにたどり着くのか、最も強く決定づけるのが一人ひとりの選択だ」と語る。一昨年に出版した初の著作のタイトルも『選択の科学』(文芸春秋。いくつもの事例を引用しながら、物事を選ぶことによって得られる可能性だけでなく、その困難さ、つきまとう代償に焦点をあて、話題となった。

 名前を広めたのも、主体的に選ぶことの難しさを示した、大学院生の時の実験だった。試食用のジャムがスーパーの店頭に24種類並んでいた時と、6種類しかない時とで、買い物客の反応はどう変わるのか。多くの種類が並んだ場合、試食をする人は確かに増えた。しかし、展示品を絞った方が、ジャムの購入者が圧倒的に多かったのだ。

 選択肢が多過ぎると、人間の判断力を超えてしまう。「まったく予想をしなかった」と本人が言う結果は小売業界の常識に反したが、その後も実証されている。米国の有名シャンプーが商品ラインアップを半減させたところ、売り上げは10%伸びた。7月に来日した時には、資生堂が社員向けの講演を依頼するなど、日本企業も注目する。

 昨秋には、ハーバード大の政治哲学者、マイケル・サンデル教授らの講義で話題となったNHK・Eテレの「白熱教室」シリーズにも登場。5回にわたる講義が放送された。番組を手がけた寺園慎一プロデューサーは、「より良い選択の追求は、誰もが日常的に向き合う課題。その能力を実践的に高める内容が視聴者の関心を集めた」と話す。

 反響が特に多かったのは、重要な選択を記す「選択日記」の提案だ。最強を誇ったチェスの王者。演習で米軍を追い込んだ退役軍人。95%の確率でうそを見破る大学教授。一見、無関係に見える「選択の達人」に共通するのは、「過去の判断を何度も検証し、『情報に基づく直感』を養ったこと。選択の内容を日記に記録することで、誰もがこういう能力を高められる」と説く。日本では今夏、専用の日記帳も書籍化された。

 「選択とは、将来と向き合うこと。だからこそ、普段からの思い込みや、判断が誤った時の理由も検証し、結果を率直に議論して初めて、その可能性を実現できる」。講演依頼はひっきりなし。日本の直前はイタリア、直後は南アフリカへと向かった。情報があふれ、可能性が無限に広がる現代、幸福を生み出す最良のチョイスはどこにあるのか。世界中が答えを求めている。(文・中井大助)

(ハーバード大学のワイドナー記念図書館・マサチューセッツ州ケンブリッジ市)

◆「困難や代償は伴う。でも選択は人生の可能性を開く」
 ○<「選択」という行為に興味を持ったきっかけは何ですか。>
 ●両親が育ったインドは、ルールに従って進む人生が当たり前でした。米国に移住してからもシーク教の教えを忠実に守り、私にも服従の大切さを教えました。運命によって決まる生き方と言えます。しかし、私は米国の公立学校進んだことで、自分のことを自分で決めるのが当たり前で、むしろ望ましいと教わりました。そのような経験を経て、選択はすごく魅力的なテーマになりました。

 ○<それで研究の対象に。>
 ●大学生の時には宗教と幸福を勉強しました。卒論に向けて、複数の宗教の信仰者に聞き取りをし、その信仰によって受けている影響や、人生への満足感などを調査しました。

 結果は驚きでした。原理的な信仰を持ち、人生における選択肢が少ないように見える人が、むしろ楽観的で幸福でした。制約を受けることが、必ずしも「自分で決めている」という感覚を失わせるわけではありません。

◆自己決定の意識
 ○<すべて自分で決めた方が幸せではないのですか。>
 ●大切なのは、いかに多くの決定をしているかではなく、自己決定の意識を持っているかです。何も決められない状態だと感じると、人間に限らず動物は絶望し、生きる力を失います。一方で、あまりにも多くの選択を求められると、その間で判断できなくなります。何が重要かを見極め、それに集中することが重要です。

 米国では「チョイス」の可能性に焦点があてられますし、インドや日本のようなアジアの文化では、レールから外れることが問題とされ、選択の限界が注目されます。でも、どちらも極端で、バランスを求めるべきなのです。

 ○<そのために日記を活用するのですか。>
 ●重要な選択であったかどうかを検証するためには、判断当時にどのような影響を予想していたのか、その結果がどうだったのかを比較することが不可欠です。しかし、人間の記憶はあいまいで、当時の感情を思い出すのはすごく難しい。そこで、日記をつけることによって確認します。研究の一環として私もつけ始め、現在は学生たちにも求めています。

(写真はコロンビア大学のバトラー図書館・ニューヨーク州マンハッタン区)—->

◆決断が酷にも
 ○<著作では、新生児が集中治療室の中でしか生きられない場合、延命させるかどうかの決断をめぐる負担にも触れています。>
 ●医療はこの数十年でインフォームド・コンセント(説明と同意)の概念が進み、患者が判断をするのが当たり前になりました。歓迎すべきことですが、人の生命にかかわる選択はあまりにも重く、決断が酷になります。

 新生児の生命維持の場合、米国では親が判断を下しますが、仏国では親が異議を申し立てない限り、医師が決定するのが通常です。そして、双方を比べると、仏国の親の方が、心理的な負担が少なかったのです。難しい決断の場合、専門知識を持った人に頼ることによって、苦しみを軽減することができる例です。

 同じような考えは終末医療にも当てはまります。医療が発達し、社会の高齢化が進む中、以前は考えられなかった決断が家族に求められています。でも、普通の人はそのような判断をする能力も、材料もないのです。

 ○<自分の人生の中では、どのように活用しているのですか。>
 ●他人に任せられることはなるべくそうして、「必要な選択」に集中します。その時も、本質までなるべく煎じ詰めるようにします。

 ○<具体的には。>
 ●日常生活で言えば、私はレストランを選びません。食事の種類について希望を言うことはありますが、個別のレストランを調べ、どこがいいかを判断するのはあまりにも大変です。別の例では、息子が学校に着ていく洋服はほとんど気にしません。ゴム草履を履いていないとか、冬だったらコートを着せるとか、その程度です。でも、息子をどの学校に通わせるのかは、すごく大切なので、何ヵ月もかけて真剣に検討する問題です。

 ○<失明も、そのような考え方に影響しているのですか。>
 ●関係はしています。子どもの頃から視力が失われつつあったので、将来に向けて難しい判断を迫られていることは明らかでしたし、両親は、私がどのような職業に就けるのか、随分と悩んでいました。限られた選択の中で、人生を歩んできたと言えます。

 ただ、病気によって、可能性の幅が広がった面もあります。インド出身の女性であれば、「いい結婚をする」ということが人生で最優先の課題となりますが、私は目が見えなかったことで、その道は求められませんでした。最良の教育を受け、自立できるキャリアを得るということが当然とされ、結果的には親戚の女性の中で、最初に大学へ進学しました。

 ○<この先は、どういう分野の研究をする予定ですか。>
 ●今進めているのは、リーダーシップや意思決定を考えるためのツールづくりです。組織の中で、誰と誰が話し合い、物事が決まるのか。正式なルートだけでなく、日常的な関係を見ることで構図が浮かび、グローバルな人材評価にもつながると期待しています。(了)