「便利を求めた結果のナラ枯れ被害」 -今こそ森を賢く利用して-

2012年4月4日
「便利を求めた結果のナラ枯れ被害」
 -今こそ森を賢く利用して-
 (写真は阿古谷地区の田園風景・兵庫県猪名川町)—->

 私が生まれた奈良・桜井市は吉野杉の産地に近く、木材の集散地として栄えた。昭和40年代前半まで、定期的に市が立ち、取引を終えた杉材は国鉄桜井駅から貨車に積み込まれ、全国に出荷された。製材工場で生じた端材は風呂の焚きつけや炊事用として使われた。

 昭和38年3月、奈良県南部は大雪(38豪雪)の被害に見舞われ、吉野杉は壊滅的な被害を受けている。阪神淡路大震災の後、奈良県吉野郡黒滝村を訪れた時のこと。西名阪自動車道柏原ICを経由して国道165号線を南下。下市町を過ぎると道は上り坂となり、峠を越えると道はさらに狭くなる。

 やがて、両側の斜面に杉が植えられた森の間を走る。しかし、伐採には一苦労するような斜面では、台風の被害に遭ったと思われる杉が幹の途中から折れていたり、根っこから倒れたまま放置されていた。

 山は私にとっては格好の遊び場所であった。小学生の頃夏休みに入ると、近鉄大阪線の桜井駅から電車に乗り、榛原に住む叔母の家によく遊びに行った。家の正面には山がせまり、夕方になるとムササビやコウモリが飛んでいた。地元の人はよく山に入っていた。山道で遊んでいると、縄で束ねた枯れ枝を背負った村の人たちとよく擦れ違った。

 風呂は、目の前の山で拾ってきた小枝や薪で焚いていた。火の勢いが弱いと火吹き竹を使った。その時の煙でよくむせたものだ。風呂焚きで残った炭は、七輪での煮炊き用に使っていた。五右衛門風呂に浸かっていると、焚き口から漏れた煙が浴室に入ってくる。「熱過ぎないかぇ」のお婆の声が懐かしい。

 ところで今、日本の森は荒れている。戦後の復興期から高度経済成長時代には、目の前の利益だけを考えた量産、拡大政策が推進された。その結果、安全で安定した電力を供給するはずだった原子力発電のみならず、経済格差や医療、若者の雇用など、多くのものが問題を抱えている。そのひとつが「森林崩壊」である。

 戦後、木材需要の急増で森林の過剰伐採が起こり、奥地の開発と人工造林が進められ、広葉樹林からスギやヒノキなど、針葉樹林へ転換された。雪で倒れてしまうスギやカラマツが、豪雪地帯に植えられた。カネ儲けが先に立つと自然の摂理が分からなくなる。そして、輸入木材の時代が来た。

 同じ頃、「燃料革命」が始まり、薪や炭を使わなくなった。今度は森を手入れしなくなり、倒木が放置され森林崩壊が始まった。林業の不振とともに森は荒れ、手入れされずに弱った大木や倒木にカシナガが繁殖し、ナラ枯れの被害が広がった。ナラ枯れとは、米粒ほどの甲虫・カシナガが巣くうことによって広葉樹が枯死することだ。

 京都府森林技術センター主任研究員の小林正秀さん(45歳)は、その防除対策の最前線立つ研究者。現場にこだわり、自ら防除作業に走り回る。害虫駆除のかたわら、5年以上かけてカシナガの飼育に成功し、その意外な生態を明らかにした。ここ30年で被害が広がったのは、カシナガが巣作りをしやすい環境が生まれたからだと考えている。

 また、1960年代に「燃料革命」が本格化して以降、林業従事者の高齢化とともに森林は放置され、日本社会が農山村を見捨ててきたことが、ナラ枯れ被害の大量発生につながったと考えている。一方で、このナラ枯れの被害をきっかけに、森を賢く利用することで、持続可能な社会を作りたいと願っている。

 小林さんは1966年、京都府美山町(現・南丹市)で生まれた。地元の高校を卒業して、京都府立大を卒業後、府林業試験場(現・森林技術センター)に就職。府立大大学院の特別講師として論文の指導をしながら、学生とカシナガの防除に取り組む。

 職場の上司は、「理屈と現場を両方押さえている研究者。公務員として与えられた仕事だけをするのではなく、農山村が疲弊していく中で、地域をどうしていくのかを考え、たくさんの人を巻き込んで奮闘している。信念、使命感が強い」と評する。

 「日本では戦争でも天災でも、都会が被害を受けた時には田舎が、海で被害があれば山の人々が助けてきた。農山村を大切にしなくなり、都会にだけ人が集まった社会は災害だけでなく、いろんな意味で弱い」。さらに、「かつての日本人は『先祖に恥ずかしくないように』という価値観で生きていたはずだ。経済原理だけで世の中が動いていっていいのか」。

 小林さんは、ナラ枯れの防除活動を通して願うことがある。日本全国に広がったナラ枯れ被害をきっかけに、林業や農山村のあり方に目を向けてくれる人が増えてくれたらと願っている。そんな小林さんの森に対する思いを次に紹介させていただきたい。

『<フロント ランナー> ナラ枯れから京の神木を守る』
京都府森林技術センター主任研究員
小林 正秀さん(45歳)
2011年9月24日付け朝日新聞より引用
 (写真は猪名川町阿古谷地区の田園風景)—–>

 紅葉の季節でもないのに、京都の山々が所々で茶色に染まっている。米粒ほどの甲虫、「カシノナガキクイムシ」(カシナガ)が巣くうことによって広葉樹が枯死する「ナラ枯れ」だ。カシナガは大木を好む。京都御苑など街中にも飛来し、世界遺産として知られる下鴨神社、建(たけ)勲(いさお)神社など名のある社寺で、樹齢数百年の神木が危険にさらされている。

 林野庁によると、ナラ枯れの被害は1980年代から広がり、昨年度は30都府県で確認された。前年度4割増の33万立方メートルが枯れたとされる。その対策の最前線に立つ研究者だ。シンポジウムや講演で積極的に発言する論客としても注目されている。現場にこだわり、カシナガの襲来がピークを迎える夏は自ら防除作業に走る。不休の日々で、「毎年5キロ以上やせる」という。

 ビニールシートやウレタンなどを木の幹に巻き、侵入を防ぐ。最近は、ヒノキの木くずの強い香りで追い払ったり、手作りの「ペットボトルトラップ」を木にぶら下げ、虫を捕らえたりする低コストの方法も考案した。今夏はボランティアとともに対策を取った3ヵ所で約50万匹を捕獲し、二つの神社での枯死はほとんどなかった。

 「ナラ枯れは、日本社会が農山村を見捨ててきた結果。小さな虫がそのことに気づかせてくれる」と言う。林業の不振とともに森林が荒れている。手入れされずに弱った大木でカシナガが繁殖し、被害が広がった。人が山を使わなくなったことの「とばっちり」を、神木が受けていると考えている。

 ナラ枯れはさかのぼれば江戸時代以前にもあった。だが、かつては切り倒した木材にカシナガが寄生した後、焼いて炭にしていたこともあり被害は広がらなかった。今、炭焼きの担い手は少ない。「私たちが便利であることを追い求めた結果、薪や炭は利用されなくなった。地球の温暖化が進み、原発事故も起きた。今こそ森を賢く利用して、持続可能な社会をつくるべきだ」。

 規格外の公務員だ。対策のスピードを最優先させたいと現場に通いつめ、「職場への出勤が少ない」と怒られる。繁忙期は事務作業の時間を惜しみ、残業手当や旅費の請求は後回しになる。「一人ではできない仕事ができるから公務員をしている」。精力的な活動は、ボランティアの輪を広げ、駆除の道具や薬剤を開発するメーカーの協力につながっている。

 その名の通り、美しい自然に囲まれた京都府美山町(現・南丹市)で生まれ育った。今も住む自宅は茅葺で築200年。国の重要文化財に指定されている。医者や薬屋をしながら農林業に携わってきた代々の血が流れている。疲れると、先祖の位牌がある仏間で寝るという。

 「かつての日本人は、『先祖に恥ずかしくないように』という価値観で生きていたはずだ。経済原理だけで世の中が動いていっていいのか」。森の中から、日本の未来を考えている。(中島耕太郎)

(写真は猪名川町柏原地区の里山風景)—–>
◆「今こそ森を賢く利用して、持続可能な社会を」
 ○<カシナガとはどのような甲虫ですか。>
 ●海外では1億年前の琥珀の中から仲間が見つかっていて、日本にも古くからいた土着の虫だと考えています。木の幹に深く穴を掘って、持ち込んだ酵母を育てて食べます。別に「ナラ菌」と呼ばれる病原菌を持ち込むので、大量のカシナガに攻撃されると、大木でもあっけなく枯れてしまいます。

 ○<どのような生活をしているのでしょうか。>
 ●5年以上かけて透明な瓶の中での飼育に成功し、意外な生態が明らかになりました。交尾した雌はすぐに卵を産み、幼虫が巣を広げて酵母を栽培します。さらに親が子どもの世話をするだけでなく、先に生まれた幼虫が卵を酵母の豊富な場所に運ぶ様子も確認できました。大家族が協力する社会性の強い生物で、1組の親から500匹以上の子どもが育つこともまれではありません。

 ○<なぜここ30年で被害が拡大しているのでしょうか。>
 ●カシナガが巣作りをしやすい環境が生まれたからです。1960年代に「燃料革命」が本格化して以降、薪や炭が作られていた森で倒木が放置され、大量発生の原因になったと考えられます。また、伐採が減って木が大きくなったことも、、拡大要因になっています。

 ○<必ずしも「害虫」とは捉えていないようですね。>
 ●人間の都合で増えてしまっただけ。カシナガは木を放置することの危険性を教えてくれています。それに、海外から侵入した病原菌によるマツ枯れでは、森の大半が枯れてしまいますが、実はナラ枯れは狭い範囲で見ると、5年から10年ほどで被害が収まり、緑も回復することが多い。ただ、被害の拡大が止まらないことが問題で、木のない山は災害に弱くなる。

(写真は川の側に建つ農家の一軒家・猪名川町柏原地区)—->
◆手弁当では
 ○<神木を守るのはなぜ?>
 ●神社の神聖な空気を醸し出している神木がとても好きですし、人が生みだしたナラ枯れという「害」のとばっちりを受けてはいけない。数百年の歴史がある神木が枯れた場合、いくらお金を積んでも多くは元通りになりません。

 ○<成果と課題は。>
 ●あと5年もすれば京都市周辺の被害は収まるでしょう。これまで関わってきた京都御苑、下鴨神社などでは枯死は限定的なものにとどまっています。低コストの方法も開発できました。課題は、共有財産である神木を守る活動がまったくのボランティアでいいのか、ということです。例えば建勲神社の防除は、すべて学生ボランティアによるものです。手弁当で何の報酬もない。神木を守ることは、何億円もの価値があるのに。

◆火葬で木を
 ○<より広い観点からは、どんな問題が見えてきますか。>
 ●今、日本の森林では、猛烈な勢いで増える竹や、シカによる食害など、深刻な問題が起きています。これも人が森を利用しなくなったことが影響しています。ナラ枯れをきっかけに、林業や農山村のあり方に目を向ける人が増えてくれたらと願います。

 日本では戦争でも天災でも、都会が被害を受けた時には田舎が、海で被害があれば山の人々が助けてきました。もちろん逆もあります。和を貴ぶ心です。農山村を大切にしなくなり、都会にだけ人が集まった社会は、災害だけでなく、いろいろな意味で弱い。

 ○<具体的な方策は?>
 ●森を賢く利用して持続可能な社会を作りたいと考えています。サルとヒトとの違いは、木を切って運んで使えることです。まず火葬で木を使おうと提案しています。ゴミと同じように化石燃料で焼かれるよりいいと思いませんか。地球環境にも優しい。実際に検討する自治体も出てきています。枯死した木や間伐材で活性炭を作り、水の浄化や放射能の除染に使う研究も始めています。

 危険な山での伐採作業が、1日1〜2万円にしかならない状況を変えていきたい。精巧で美しい木工品にも、もっとお金が払われていい。このままでは高度な技術が絶えます。森林で起きていることをこれからも伝えていきたいと思っています。

 ○<全国から知恵を貸して欲しいという声があります。>
 ●東京電力が4割を所有している尾瀬国立公園の森もナラ枯れの被害に遭っています。「相談したい」と依頼があり、震災が起きた3月11日、午後3時の約束で東電に行きました。「枯れ木を火力発電に回して」と訴えるつもりでしたが、本店に入った途端に揺れに遭い、話は進んでいません。

 ○<京都市では被災地のマツを大文字山で燃やすという計画が、 放射能を恐れる声で実現されませんでした。>
 ●とてもやるせない気持ちです。実は送り火をたく五山には、ナラ枯れやマツ枯れの被害を受けた木が2万本以上あり、京都市が長年抱える難問になっています。この枯れ木を鎮魂と復興ののろしとして燃やせないか。

 市民や企業から寄付を募り、被災地で職が脅かされている林業従事者に伐採の仕事を担っていただければ。実現すれば、人々の心に明かりをともす試みになるはずです。共感の声が集まってきていますので、実現のために動くつもりです。(了)