指導=教える事?? 11月15日!!

昨日は体育館の練習だったのですが、アップの準備をして一息ついてみんなを見ていると、様々な遊びをやっています(%笑う男%) パスをやっている子。バスケットのゴールにシュートしている子。写真のように1対1をしている子・・・本当に様々です(%笑う男%)

遊びは自由です!そして遊びは子供の発想を最大限に引き出します。大人の枠にはめようとしても子供にしたら、『強制』になってしまうだけに楽しくなくなってしまう(%ショボ男%) 楽しさがなくなると、この発想もなくなってしまう・・・

指導って本当に難しいな〜と思う。でも、スクールをしたり最近はこの自由な遊びの時のみんなの表情を見ていて、自分は指導の根本から考えるようになった。。。
『いい指導者』という概念は人によってバラバラだと思うけど、自分が思っていたいい指導者は子供との距離は近い存在で、試合や練習でもいっぱい大きな声で盛り上げたりしてやる事。そう思っていました。でも、最近になって指導って教える事じゃないんだと思うようになってきた。どういう事なの??ってなるけど今日はその事を話したいと思う。。。。

子供は誰にでも可能性があって、伸びる時期が必ずある。でも、吸収のペースとは人それぞれで早い子もいれば時間がかかる子もいる。簡単に飲み込んで理解する子もいれば、ゆっくりだけど深く考える子もいる。そうやって十人十色の性質がある人間に『一つの事を一つの形で』教えるのはおそらく無理な話です。

例えば『ドリブルしてごらん』と言ったら、普通にボールを転がせる子。フェイントを入れる子。早いスピードでドリブルする子。のんびりゆ〜っくりやる子。ここで、大抵のコーチは、てか自分もそうだったのですが『おい!早くやらないと意味がないぞ!』みたいに『一つの形』にしようとしてしまう。。。それでは個々の発想や特徴を見落としてしまうのです(%ショボ男%) 先に大人がそうやって言ってしまうと『僕、こんなドリブルしたいのになぁ』という子供の発想を失わせてしまうのです。それでは『個性を伸ばす』にはつながらないと思った。だから、子供に頻繁に言うようになった『メニューはコーチが用意する。環境もコーチが与える。でもやるのは自分達でやろう!』というのは、個々で考えてやってほしいというメッセージです。同じ一つの練習でも、子供が考えて意識出来ている時と、単に与えて満足している指導者の自己満足メニューとでは内容も成果も変わってしまうと思う。自由=好き勝手ではない。昨日みたいに真面目にやっている練習中で基礎は特に真剣に取り組んでほしい所です。そこを笑顔でやってしまうのはおかしい。そうした基準のラインも引いておかないと子供は自由の意味を取り違える(%怒る男%) そこが一番大事な所ですね(%笑う男%) 指導者の中にきちんとしたラインが引けていれば何をしてもいいと思う。

ちなみにこの写真は1対1で取られたくない藤田くんが壁にへばりついてキープしています(笑) こんな発想も楽しいですよね(%笑う男%)

子供には成長の早さに大きな差があります。だからそれをその子のペースで伸ばしてやるのが一番いい指導者だと最近になって思います。これは全体の中でどうしても一つのペースにしないといけない時もあるし、いくらゆっくりのペースで伸びる子でも合わせる基準は必要だと思う。そして、その中で一番大事なのが『サッカーが好き』である事。これを失った子にコーチがうまくさせる、楽しませる事は不可能です。サッカーのコーチである自分が勉強を好きな子にサッカーで上を目指させるように指導してくれ、って言われても難しいのです。勉強が一番の子には勉強をがんばってもらいたいし、サッカーが好きでグランドに来ればサッカーの事だけを考える子には当然教える義務がある。成長の度合いは人によって違う。だから個々のペースを大事にしていきたいとは思う。

でも!!

どんなペースであろうと一緒に出来る事がある!!それが

一生懸命、自分なりにやる事』です(%怒る男%)

それがみんなに出来る事で、一番の成長への近道です。僕はこのペースでいいんだ。と自覚する子は手抜きが出来る子です(%痛い男%) がむしゃらに今出来る事を精一杯がんばる。それが『自分のペース』として表れるのです。つまり子供なりのペースは結局指導者が見抜くものです。その目をまずは持つ事!そしてその子に合わせた声掛けや言葉を噛み砕く事が大切ではないでしょうか(%笑う男%) 子供はみんなうまくなりたいと思っているはずです!その気持ちから否定をしないようにロボット、ではない人間の心を育てていきたいと思います(%笑う男%) 指導はあくまで『きっかけを与える』ものだと思うし、『教える事』ではないと思う。そういう子供が気付くようにきっかけを与えられる指導者を目指したいと思います!!