私が四国遍路行とご縁をいただき、丸20年になろうとしています。
「30歳以降の人生のためになる旅がしたい!」と29歳の終わり、無謀なまでの初お遍路(変速無しの20インチの「折りたたみ自転車」を使い、「通し打ち」で19日間で結願!)をした時には、まさか自分が四国遍路にハマり、何周もした挙げ句、【公認大先達】までになろうとは、全くの想定外でした。
だけど、この公認先達になるご縁に関しては、驚くほどに無駄時間なく、誰にも何にも邪魔されず、トントン拍子でなっていきました。こんなにスムーズに物事が進んだのは後にも先にも人生でこのことだけです(笑)。
お遍路を始めた当初は、多くの方々に「若い貴女は、もっと他にすべきことがあるのでは?」と言われ、「そうですね」と同意つつも、「いや、今、私はこれがしたい。」という想いもあり、悩みながらも私なりの方法やペースで続けて来ました。
15年前に始めた畑作業も、同じことをたくさんの方に言われていたのですが、最近・・・特に、令和の時代になってからは、私がコツコツ続けて来た想いや選択に完全に同意や理解をしてくださる方ばかりで、とてもうれしく思っています。
一過性のものではなく、継続して来たからこそ、いい意味で自分が変わり、そのいい変化が周りの方々に伝播し、私の想いに対する見方もいいように変わって来たように感じています。
そんな意味で、人様にご迷惑がかからない・自他の役に立つことであれば、何であっても【続ける】ということがとても大切であり、それが自身の人生のぶれない心の芯になったり、自身の人生を救う・よりよい道に進める智慧になったり、人様に信用信頼していただける私自身になれるなど、効果効能がたくさんあるように思っています。
いつまで経っても生活や人生全般、メンタルが安定しない人(とりわけ若い人)は、若いがゆえに、あっちこっち心身が行ったり来たりして、やるべきことを決めやり続けることが難しく、社会から信用信頼されにくく、“無明のトンネル”から抜け出しにくいのかも知れませんね。
・・・公認先達になってしばらくした後、「自分のためだけの遍路行は止めたい」と思うようになり、お連れするお遍路さん、はたまた私は同行しませんが、お遍路のプランニングをさせていただくお遍路さんのためのお遍路行にシフトチェンジしました。
これを仏教用語で【菩薩行】と言うそうですが、人様の修行の各種サポートをすることが、今までの修行の次元とはがらっと変わり、自身の遍路行が桁違いに加速し結果、多種多様な【御利益】がたくさんいただけるということも分かって来ました。
もしも人生が100年あるとすれば、私は来年、その折返し地点・半分になりますが、私の座右の銘【人生即遍路】から踏まえまして、なぜ四国遍路は1番から88番までのお寺を1200キロ以上も歩み、しかも人によっては何回も廻るのか?!ということが、半分を迎える前に、だんだんと分かって来たように思います。
1番・霊山寺(徳島県鳴門市)と、88番・大窪寺(香川県さぬき市)は、直線距離でたったの30キロ程しか離れていません。ヘリコプターで飛んだら15分くらいで着きそうな勢いです(下記写真の青い丸と線の箇所)。
だけどお遍路さんは、わざわざ四国アイランドを時計回りに大回りし、1200キロ以上も歩みます。どうしてそんな非効率なことをするのでしょうか?A地点からB地点まで行きたければ、最短距離で向えばいい訳です。
自身のたましいの記憶がある・なしに拘らず、人はこの世(娑婆)に生まれ出て、何らかのことを成し得たい!という熱い想いで持って、両親はたまたご先祖様の血・肉体を借りて今、ここにいるのだと思います。
そんな熱い、熱い想いですから、1番霊山寺から88番大窪寺までの30キロでは短すぎて、その想いは叶えられないのだと感じています。
人生の真の目的は、A地点(スタート)からB地点(ゴール)までを最短距離で向かっていくことではない!ということを、私はこの四国遍路行から教えていただきました。
失敗する、迷う、悩む・・・その1200キロ以上歩むその過程全ての中に、人生の真の目的が存在する!ということに気づかせていただきました。
最近は便利な世の中になり、必要なモノは何でもすぐに手元に届く・手に入れられるようになって来ていますが、我々の人生の真の目的を叶えること(=真に幸福になるということ)は、そんなにすぐに叶えられないように【人生は出来ている】のだと認識しています。大いなる存在【天】は、人間一人ひとりの人生をそのように設計されているのだと思います。
人生に最短距離はありません。だからこそ、焦ったり、他者と比較したり(他者の言動は参考にはします)せずに、自分の足元と行くべき先の道をまっすぐ見て、コツコツと歩みを続け、精進を重ねていくしかないという結論に40歳の時に体験した、スペイン巡礼修行の時に至っております。
私は「辺地(へち)修行」という日本語がとても気に入っています。四国遍路の「遍路」はこの言葉から来ているそうです。
「辺地修行」とは、平安時代頃から行われていた、僧侶や修験者が都(自分が住んでいる場所)から離れて、海辺や山岳などの辺境(辺地)の難所を巡り、霊力や悟りを得るための過酷な修行のことです。
私にとっての辺地修行は、物理的な難所の場合もあったりもしますが、多くの人にとっても身近な場所であっても、見方によっては、ほぼ誰も感じない次元的な物事(隠れた真実の探求)もあったりしますので、そんな観点からも日々、修行していきたいと思っています。
とにもかくにも、私の肉体は常に時間と空間という三次元での制約をモロに受けておりますが、意識(こころ、たましい)は、過去や人間に囚われない、自由自在の存在ですので、引き続き、自由というものを謳歌しまくりつつ、命ある限りあらゆる修行に挑戦し、自身の無限の可能性を探求し、私なりの高みを目指して行ければと思っています(=人=)☆
