マイノリティ子育て発!「座敷牢」はなくなったのか?!

ライター、弾丸ひろこです(%バイク%)

「座敷牢」という言葉があります。

戦前までには数多くあったと言われ、「障害者」を家の恥として、外に知られないよう、閉じ込めておく部屋のことを指します。
私は「障害児」を育てている中で、このおどろおどろしい言葉が、過去のものになっているとは決して思えない時が多々あるのです。

現在の日本で「障害者」を今まで見たことも、触れたこともないという人が全体の8割もいるというデータがあるそうです。

実際、この私だって「障害者」との最初の出会いが、お腹を痛めて産んだわが子だったりするわけです。

例えば、股関節が悪くて杖をついて歩くとか、車椅子で生活している方は、知り合いで2、3人いました。

けれど、わが子のように9歳になっても全くしゃべれない、食事も排泄も一人でできない、
しじゅうヨダレをたらし、おぼつかない足取りでよたよたと歩き、突然「きゃ〜」と奇声を上げたかと思えば、訳もなくヘラヘラと笑ったり・・・、

そういう「障害者」との出会いは、わが娘に会う以前は皆無でした。

他の国のことはよくはわかりません。

ただ、言えることは、この日本社会では、今でも、身内に「障害」のある者がいない限り、「障害者」に会うぞ、交流するぞ、支援するぞ・・、とそういう強い意志を持って行動しなければ、それこそ、見ることも、触れることも難しいわけです。

それもそのはずです。たとえばウチの子のような知的・身体的ハンディを持つ人のほとんどが、だいたい以下のような人生を送っているはずです。

就学前は、たまたま親が「わが子を外に出す!」という意志を持っているの場合、公立の保育園か幼稚園に通う子もいますが、そうでなければ「障害児」ばかりがいる療育施設(%ひよこ%)に通園します。

小学、中学、高校は、だいたいは住んでいる地域から離れている養護学校(特別支援学校)(%エンピツ%)(%ノート%)に、
バスで通学します。
放課後は、家で過ごすか、「障害児」ばかりがいる学童クラブ(%ペンギン%)で過ごします。

高校卒業後は、だいたい地域の片隅にひっそりある「障害者」ばかりがいる福祉作業所に、やはり福祉バスで通います。
もしくは自宅から遠く離れた障害者施設に入ります。

そして、週末は、やはり親の会が主催する「障害者」ばかりの青年クラブのようなとろに所属して、体操やなんかをして余暇を過ごしたりします。

そう、このようにして、本人あるいはその家族が、地域で暮らす、地域で生きるという強い意志と行動力を持たない限り、
地域の人々にほとんど知られることなく、およそ「障害者」ばかりの世界、「障害」の囲いの中で一生を送ることになります。

戦前のように、お屋敷の中の一角に一族の恥として「障害」のある家族を閉じ込めた「座敷牢」はなくなったかもしれません。

そのかわり、社会のシステムとしての「座敷牢」がまだまだ残っていると思えてならないのです。

しかし、新しい福祉・教育の流れの中で、この囲いを打ち崩してこうという動きが今まさに始まっているのです!

(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)(%緑点%)

次回は、突然ですが、このブログで(%ハート%)「障害児・者」に代わる名称を募集するキャンペーン(%ハート%)を実施したいと思います。

多くの方々の参加をお待ちしてます!

「(%音符1%)あぁ、こぉ〜のままぁ〜、何時間でもぉ〜、書いていたいけどぉ〜(%音符2%)」

ご精読ありがとうございました!!(%ニコ女%)