『石川啄木・生涯と短歌』

(%紫点%) 前期講座(文学・文芸コース)の第6回講義の報告です。
・日時:5月9日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:「石川啄木・生涯と短歌」
・講師:木股 知史(きまた さとし)先生(甲南大学文学部教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.石川啄木の生涯
(1)略年譜
[1886(明治19)年〜1912(明治45)年] 本名は、一(はじめ)。歌人・詩人・評論家
・岩手県日戸村に生まれ。父の一禎が渋民村宝徳寺の住職となり、一家は渋民に移住し、啄木は寺の子としれ奔放な少年時代を過ごした。
・1898(明治31)年、盛岡尋常中学校に入学し、上級生の金田一京助を通して、「明星」を知り、文学に開眼。→文学にのめり込み、女学生堀合節子との恋愛との恋愛が進行するにつれ、成績は下がり、明治35年に退学。
・1905(明治38)年、詩集『あこがれ』刊行。かねての相思の節子と結婚。父が宗費滞納から住職を解任され、明治40年に、代用教員・新聞記者など職を転々として、北海道を漂白
・1908(明治41)年、上京して小説家として転進をはかるが失敗。窮地を助けたのは友人金田一京助であった。啄木を自分の下宿に同宿させて、生活を援助。
・1910(明治43)年、第一歌集『一握の砂』刊行。
・啄木は、大逆事件を契機に社会主義思想に目ざめたが、明治45年4月、肺結核のため死去。6月、第二歌集『悲しき玩具』が刊行。

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2.エピソード(抜粋)
わがままな長男
・啄木は、二人の姉の下に生まれた待望の長男で、両親の愛を一身にうけた。
啄木は、「父母のあまり過ぎたる愛育にかく風狂の児となりしかな」という一首をのこしている。
詩人の妻
・相思の堀合節子は、詩人の妻となった。東京に出て処女詩集『あこがれ』を刊行したものの、経済的に破綻していた啄木は、結婚式をすっぽかしてしまうが、節子はたじろがなかった。夫として一人の詩人を選んだという自分の理想を大切にしていたからにちがいない。
・明治45年、啄木の臨終をみとったのは、妻節子と父一禎と若山牧水だけであった。節子は啄木の遺稿や日記を整理し、友人たちに託したあと、大正2年亡くなる。・・・「文学も思想も含めて、啄木の人生は辛うじて節子によって『完成』させられる」(澤地久枝)
歌の洪水
・明治41(1908年)小説に行き詰まっていた啄木に、突然、歌の嵐がおとずれた。6月23日夜から25日にかけて、246首の歌が作られた。歌集『一握の砂』の巻頭歌に選ばれることになる東海歌も、このとき作られている。
「東海の小島の磯の白砂に我泣きぬれて蟹と戯る」→この歌は、もともと空想的な場面を歌う即興的な作品であった。

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3.歌集『一握の砂』の編集
(1)構成 
・五章に分かち、自伝物語的な構成になっている。
「我を愛する歌」
「煙」((一)、(二))、
「秋風のこころよさに」
「忘れがたき人人」((一)、(二))
「手套をぬぐ時」
・総歌数-551首(明治41年6月から明治43年11月までの歌が収録)
・三行詩(一首を三行に書く)
(2) 『一握の砂』という表題
・最初は『仕事の後』が予定されていたが、編集作業の過程で、『一握の砂』に変更された。
・「一握の砂」という表題は、故郷を離れた漂白をうたう多くの回想歌という編集意図にそったものと考えられる。また、「一握の砂」は、一瞬という時間を暗喩として表現していると理解することも可能である。「一握の砂」という題こめられた〈漂白〉と〈瞬間〉という二重の意味は、自伝的回想歌と都市生活者の心をとらえる歌という歌集の二重構造にちょうど対応していると考えられる。
(3)編集という作業
・編集により、作歌時期の異なる個々の歌を、編集意図によって作り出された物語の流れの中に組み込まれることによって、新たな意味が付与される。
★右上は、『一握の砂』の冒頭の歌です。編集されて歌の入れ替えが行われています。…啄木は、歌集を小説にも対抗しうるものを作りたいと思っていて、編集の意図にこだわって改訂の手を休めなかった。

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*まとめ*
○現在でも、歌集は、編年体、つまり作られた順に並べて収録されるのが一般的です。歌集『一握の砂』は、物語的な構成を持った歌集の原点と考えられます。啄木の短歌は平易ですが、歌集『一握の砂』は意外に複雑な編集の過程を経て作られています。(最近では、寺山修司や俵万智は物語のような歌集を編集しています。)