行ってきました(^^)/ 一円電車まつり第2弾

一円電車まつりの第2弾です(%左足%) 

今日(10/25)は明延でいろんなイベントが催されています。
メインイベント会場は、明延振興館前のふれあい広場です。ここでは、昨日お伝えした「走れ一円電車〜くろがね号の復活運行〜」「しろがね号展示」のほかにも「ミニコンサート」「バザー」をやってました。(%ニコ女%)(%ニコ男%)(%ニコ女%)
明延振興館では、「食堂一円電車」が開業。うどん、松茸入り炊き込みご飯のおにぎりなんかが販売されていました。ちょいと覗くとちょうどお昼時だったということもあり大盛況。(%星%)厨房も大忙し、地元の奥様方が大活躍されてました。
(%笑う男%)
そうそう、「一円電車の写真展と新聞記事展」なるものも振興館で催されてました。
一円電車とヤマの古い写真が所狭しと貼ってあります。こちらの写真は昭和49年10月6日のものらしいです。隣に写ってる車も年代を感じさせますね。
ちなみに昭和49年の出来事。石油危機による電力削減の為にテレビの深夜放送を中止、買い占め騒動の影響でトイレットペーパーの標準価格を閣議決定、アメリカではニクソン大統領がウォーターゲート事件の責任をとって辞任、事件モノではピアノ騒音殺人事件・・・・。めでたいところでは、北の湖が第55代横綱に昇進。21歳2ヶ月で当時の史上最年少横綱でした。(%消しゴム%)

あけのべ探訪スタンプラリーも開催されていました。(%左足%)
6つのポイントを歩いて回ります。もともと大きな町ではないので、ゆっくりとあるいてちょうど、っといった感じです。スタートの振興館で一つ押し、お次は両松寺というお寺。もちろんこちらの釣り鐘も明延の銅を使っています。文禄5年と書いてありました。西暦でいうと何年でしょう。411年でした。411年の出来事は・・・・。うーん、日本史選択していたんですけどね、思い出せません。(%痛い男%)

さらに歩いて、次のポイントは一般の家のようなんですが、鉱石とかが飾ってあるところがありました。「ちょっと夢加誌(むかし)」って書いてあります。しゃれてますね。

道はほぼ一本道、という感じで迷うような事はありません。お次は「第一浴場跡」。日本の近代化産業遺産に指定されています。うーん、レトロな感じがいいですね。最盛期には、この狭いまちの中におふろやさんが5つも6つもあったそうです。そしてそれは無料。(%ショック男%)
こちらもあやうく解体されるところを、当時の貴重な遺産を残さねば、とまちの人が働きかけ、現在では資料館的に保存されています。今日はこちらで、「電車模型の展示・実演」「明延のくらし写真展」「明延鉱山の上映」が行われています。(%ニコ男%)

先ほどの振興館で展示されていたのは主に一円電車とヤマの写真でしたが、こちらは普段の生活ぶりを撮影した写真が飾ってあります。モノクロの写真がいいですねー。普段の何気ない写真ですが、華やかな明延!が伝わってきました。この狭いまちに4千人以上が生活していたんですからねー。島倉千代子さんのステージ写真もあったりします。(%ショック男%)おっとこの「藤尾商店」とのお題がつけられた写真に写っているハナタレ坊主は、明延鉱山ガイドクラブ会長の藤尾さんでしょうか?
ほぼ同時に入室した5,6人のマダム軍団、写真を見ながら大騒ぎ、「あっ、これとなりのおばちゃんやん」とか「クラスメイトの○○ちゃん写ってるー」とか。閉山後、多くの住民が明延を去っていきました。元々別のヤマから移ってこられた方がほとんどだったのでしょうが・・・。今日は、そうした方のまるで同窓会になっているのですね。当時の想い出に花が咲く・・・・。お邪魔にならぬよう、隣の部屋へ。こちらは、当時の品々が保存されています。ヤマの労働組合の看板、消防団のはっぴ・消防ポンプ、廃校となった明延小学校の看板・・・・。

写真は、明神電車待合所に掲示されていたお知らせの看板。
なになに、「当明神電車は鉱山保安法に基づいて許可を受け運行しているものであり当社従業員並びにその家族及び会社が特に許可した者以外は乗車することが出来ません」・・・・・従業員と家族しか乗れなかったんですか。と言っても、明延に住む人は、全員が鉱山関係者といってもいいので、支障なかったのでしょうね。先ほどの振興館で当時の新聞を見ますと、一円ということで話題を呼び、都会からマニアも乗りに来ていたようです。(%王冠%)
また、「鉱石を運行するのが目的であり従って発車時刻のおくれ又運航中の事故については一切その責を負いません」とありますが・・・・・実際には機関車を増設しても時速10キロ程度の超鈍足運行。仮にトンネル内で落石があったとしても乗り上げるような大きな事故も無かったのでしょうか。

第一浴場跡からさらに進んでいくと、ヤマが見えてきます。ヤマを見上げながら記念写真を撮るのもいいでしょう。坑口跡の「立入禁止」と書かれた古めかしい鉄の扉の横には、当時の信号機が残っています。(%音符1%)

さて、今日のスタンプラリーコースはそちらではなく、あけのべ自然学校の方に向かいます。写真は、途中の街中の様子をパチリとしました。なかなかいい感じですね。ゆっくりと時間が過ぎていく・・・ような気持ちになります。

あけのべ自然学校は廃校となった小学校を活用したものです。夏場なんかは、林間学校の小学生なんかで賑わうようです。(%ニコ男%)(%ニコ女%)(%ニコ男%)(%ニコ女%)(%ひよこ%)

さて本日は、「探検坑道見学会」をやってます。私は以前に2度ほど案内していただいた事があるので今日はパスしました。同行したケイさんが行ってきたようです。こちらでどうぞ。(小規模集落元気日記のブログに飛びます)

てくてくと振興館の方に戻ります。スタンプラリーの最後は、振興館を行きすぎて、旧道を歩いた先の「趣味の館〜鉱石と模型〜」なのですが、残念。今日は同行したもう一人のエヌ氏の用事もあって早めに神戸に戻らないといけません。
ふっふふふ。楽しみは次回に残しときましょう。キラーン(%雷%)もう一度ゆっくりと楽しむ口実が出来ました。

さてメイン会場に戻り、こちらの写真はくろがね号が運行されているあたり。
なんでしょ?募金箱でした。(%ハート%)
実は、この一円電車をイベントの一日だけでなく復活させよう!という壮大な計画があるのです。(%とんかち%)
「鉱石の道」明延実行委員会の中尾会長(明延区長)は次のように呼びかけられています。
〜私たちは、かつて明延鉱山で走っていた「一円電車」の保存・活用活動を通じて、日本の近代化のために鉱山が果たしてきた使命の継承や地域のにぎわいづくりを目指す活動を行っています。鉱山閉山とともに廃止された「一円電車」の保存と再び、明延の山に走らせるための資金支援を募るものです。〜

詳しくはこちら
ぜひ実現してほしいですね。

最後は、今日のお昼ごはんです。
メインイベント会場で炊いてたご飯です。まつたけの香りがウマー(%笑う男%)
あつあつではふはふ言いながらいただきました。
このほかに、食堂一円電車のうどんとおにぎり。(おにぎりは昼過ぎ早々に売り切れになってました。(%ショック男%))
あと、同行のエヌ氏からヨモギ入り回転焼きをいただきました。けっこうワイルドな味でしたね。おいしかったです。まとめてごちそうさまでした。

そうそう、実物は見れませんでしたが、『鉱山弁当』なるものも企画・開発中と聞きました。来年の楽しみが増えましたね。そのほかにもアイデアがあるようです。
「ふるさと自立計画」のなかでも意見を出し合っていきましょう。(%ニコ女%)(%ニコ男%)(%ペンギン%)(%雪だるま%)

くろ