「自由」「平等」などの難しい言葉で悩んでいませんか

不登校、引きこもり中(?)の皆さん、こんにちは!

朝晩は少しばかり涼しくなってきましましたが、まだまだ暑い日が続いています。お元気ですか? 今日はちょっとばかし難しいタイトルを取り上げました。ひょっとして、皆さんも、おっちゃんと同じくこの言葉で悩んでいるのではないかと思って! 世の中、人権擁護論者や欧米文化研究者(評論家)は、しきりにこれらの言葉を使い、私たちの生活をかく乱しています。 人間はそもそも生まれたときから、「自由」もなければ「平等」でもないのに…。 私たちは「自由」の中に生まれたのではありません。「親の都合(?)」で生まれたのです。名前も誕生日なども親が決めたのです。 「歯磨きしろ!」「学校に行け!」「友達と仲良くしろ!」「ルールを守れ!」などの「自由の束縛?」であったり、生まれた家庭の経済的・社会的環境相違という「不平等?」の中で生まれたのです。
何を言いたいかというと、そのような実態を知らない人たち(教科書人間)の「空論=自由でなければ、平等でなければ…」に耳を貸すことなく、皆さんには、この世に生まれた限りは、今生きていることを肯定的に捉えて、のびのびと好きなように生きて欲しい。それが「自由」なんだと…。