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自分らしく生きるために,・*’☆from kirala
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2009/06/01のBlog
[ 15:58 ] [ 事務局よりお知らせ ]
2008年2月に、資金難で事務所を閉鎖して以来、事務局としての機能が停滞しており、関係機関および会員・一般の方々には多大なご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありません。

今後についてですが、一日も早く事務所を再開し、充実した事業展開ができるよう、引き続き努力をして参りたいと考えています。ところが、私どもだけではなかなか難しい状況ですので、皆様のご協力をいただけますよう、重ねてお願い申し上げます。

現在のkiralaは、細々と研修を続けながら、講師派遣とカウンセリングを続けております。
当ブログの更新も、継続していきたいと意向ですので、引き続きお付き合いのほどを、よろしくお願い申し上げます。



今後とも、kiralaをよろしくお願い申し上げます


 kiralaスタッフ一同
2008/08/10のBlog
[ 12:55 ] [ 理事長のつぶやき ]
独身時代、結婚後、そして母親になってからも現役を続け、
「金」にこだわった谷選手。

残念ながら今回は、有言実行とはいかなかったけれど、
でも、大した「女性」だと思う。
私は、手放しでその活躍を称えたい。

「人」ではなく、敢えて「女性」としたのも、大きな意味がある。
私は、当ブログでも、性別で人や人の行動を判断することを極力避けてきた。
なぜなら、人は「男-女」だけではなく、どちらの性別に属さない人もたくさんいるし、
また、「男-女」の二分法で成立している現代の日本社会に窮屈さや
息苦しさを感じている一人として、
そして、公文書の性別記載欄の撤廃を求めてきた立場として、
何かにつけ、色付けされてしまう性別のカラーを薄くしたいという思いが強くあるからだ。

性別にかかわらず、活躍している「人」は、皆輝いている。
それだけでいい、はず。


でも。
今回「女性」としたのは、私自身がかつて抱えていた葛藤と同じような葛藤を
私よりもずいぶん年下の谷選手が、直面していると知ったからだ。
今も、ん十年前も、社会状況も、人々の意識も、たいして変わっていないのだ。
女性が、女性として社会で有意義に、自分らしく生きていくためには、
いつも、「両立」という二文字の壁が立ちはだかる。
これは、いくら制度や法律が新しくなったり変わっても、
あまり変わらないのだなぁと思う。


かつての私は、時には家族と衝突し、
友人達からもいやみを言われ、
社会的にも非難を受けながら、
「両立」を貫いてきた一人だと自負している。
今となっては、家族との衝突も減り(なくなりはしない)、
友人も仕事を持ち始めたのでいやみを言わなくなったし、
社会的にも非難されることも減った。
どちらかというと「両立」していることで賞賛されることが増えた。

でも、「賞賛」も、私にとっては、「違うでしょ」という思いがある。
私は、確かに、睡眠時間を削ってでも自分の時間をとってきたし、
衝突したら話し合ってきたし、
家族を傷つけないように知恵を働かしてもきた。
身内にも、思い切り世話になった。
筆舌しがたい(大げさではなく)葛藤と戦いの連続だった。
でも、人から「賞賛」されることには、違和感を感じる。
誤解しないで欲しいのは、「私の何を知ってるの?」というような、
被害妄想的な類のものではない。
「あんたはエライ!」という賞賛こそが、
女性を、従来の女性としての生き方に閉じ込める意識だから。
賞賛しないで、私のような生き方も「当たり前」と思って欲しい、
という思いがあるからだ。

私は、世の女性達をリードするつもりはない。
ましてや、モデルになったつもりもない。
でも、私が望んでもないのに、時に先駆者のように言われ続けてきたのも事実。
私は、私が生きたいように生きてきただけで、
これからも生きたいように生きていきたいだけ。

谷選手について、「言い訳をしなかった」とテレビで評価されていた。
「言い訳」とは、「母親になって不利な状況がいっぱいあったにもかかわらず、
その不利な状況を前面に出さず、若い選手と混じって戦った」ということなのだろうか?
言い訳をつけたいのは、世間の方だろう。
たぶん、谷選手も、ただの選手としてがんばってきたはず。
「母親」としての看板でがんばったわけではないはずだ。

でも、でも!
実際に、「母親」になった人が社会で活躍するのには、
いくつもの試練や壁が立ちはだかることは、私もよく知っている。
だからこそ、今回だけは「すばらしい女性」と思った。
女性であることの役目や立場を、世間から背負わされ、
がんばった選手なのである。

しかし、いつの日か、結婚しようが、母親になっていようがいまいが、
オリンピックで金メダルをとった人を「選手」として賞賛したい。
そう願いを込めて、今は「女性」として谷選手を称えたい。


余談だけれど。

私が労働者として勤務している職場は、性別による仕事の差は全くない。
女性だからって力仕事も免除されない。
未婚・既婚・子持ちも一切関係なく、
土日の出張命令も、宿泊出張命令も、残業も容赦なく来る。
もちろん、家庭の事情を自己申告すれば、配慮はもらえる。
つまり、自己申告しなければ、性別や家庭の状況は一切区別なし。

いい職場だなって思う。

そして、もっと自慢したいのは、
「私にはできません」と女性を盾(言い訳)に、仕事を拒否する女性職員は、
私の職場には一人もいない。


ある意味、私にとって、ずっと待ち望んでいた環境で仕事ができるようになって、
「女性」が仕事をしていく大変さとありがたさ、やりがいを、
改めて思い知っている今日このごろ。


谷亮子さん、銅メダルおめでとう。
「女性」だけではなく、西宮を愛する者としても、いつまでもエールを贈り続けます。




2008/05/25のBlog
[ 15:29 ] [ オススメの本、映画など ]
『カミング・アウト・レターズ』

子どもと親、生徒と教師の往復書簡



親や教師に、同性愛だとカミングアウト(打ち明けた)した往復書簡集です。

先週の土曜日、神戸センター街のジュンク堂で、
著者のRYOJIさんと、子どもから「自分は同性愛者だ」とカミングアウトされた親の
お話を聴く講演会がありました。


カミングアウトをめぐる様々なストーリーを聞かせていただいて、
またカミングアウトしない選択をした人の気持ちも聞かせていただいて、
 親ってなんだろう
 親子ってなんだろう
 教師ってなんだろう
 学校ってなんだろう

そんなことを、しみじみと考えました。


□□□ □□□ □□□


その講演会の時にも、話をさせていただいたのですが、
カミングアウト後の結果が、親子の関係が良くなる場合と、関係が断絶する場合が
あるという話を伺って、
親子の関係がうまくいっている親の「親だから」理解しようと努めたという言葉に、
カミングアウトして関係が悪化した親子の場合も同じように親側は
「親だから」と思っておられるのではないかと、
最初の一歩は同じじゃないのかなと思いました。

キララには、親からの相談もありますが、
皆さん一様に「親だから」とおっしゃいます。

「親だから」
子どもを理解してやりたい
問題を解決してやりたい
子どもと親としての自分が許せない
受け入れられない
育て方が悪かったのかと親として自分を責めてしまう・・・

などなど

もちろん、同性愛は、育て方やしつけの問題ではないですし、
現在は、精神科医療では、同性愛は治療対象ではないと言う結論も出ていますから、
治すとか治さないという問題でもありません。
でも、知識のない親は、どこに問題があるのか、誰が悪いのか、と
そんな原因探し、犯人探しをしてしまって、親としての自分を責めてしまったり、
また、親だからこそ、受け入れられないと現実から目をそらせてしまうことが多いようです。

でも、親として、子どもの幸せを願うのは、同じなのですよね。
「親だから」の次に「子どものすべてを受け入れ理解してやりたい」と思うか
「育て方が間違った」「受け入れられない」「治療させたい」と思うか。

 幸せとは・・・
 生きるとは・・・
ということを、カミングアウトによって、子どもから問いかけられることのようです。

願わくば、親が思う子の「幸せ」と、子ども自身が思う「幸せ」が一致しますように・・・。
それには、やはり、長い時間をかけて話し合いをするしかないように思います。
「手紙」は、現代の電子メール時代だからこそ、時間をかけ、肉筆に思いをこめて、
気持ちを伝え合う最良のもののような気がします。



[ 10:40 ] [ 理事長のつぶやき ]
イギリスのエコノミストの調査部門EIUなどが、昨年から始めた世界の140国を対象にした
「平和度数ランキング」の2008年が発表されたそうです。

1位・・・アイスランド
2位・・・デンマーク
3位・・・ノルウェー
4位・・・ニュージーランド
5位・・・日本
 ・
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67位・・・中国
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97位・・・アメリカ
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133位・・・北朝鮮
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138位・・・スーダン
139位・・・ソマリア
最下位・・・イラク

政治の混乱度、周辺国との関係、言論の自由、暴力・犯罪の発生率、受刑者数、社会福祉の充実度、人権尊重・・・
などが調査項目になっているそうです。
上位の国は、やはり社会福祉が充実しているという印象が高い国ですね。

日本が5位・・・う~ん、複雑。
実際、社会福祉のお粗末さに、うんざりしている私としては、ほんまかいな?というのが
正直なところです。
でも、確かに、日本は犯罪の発生率や受刑者数で言えば、世界ではとても少ない方。
そう考えると、上位に入るのも納得できるかな。
「5位」だから安心、「5位」は事実を反映していない、「5位」で喜んでいてはいけない、
などなど、様々な印象があると思いますが、
私は、「ほんまかいな?」ですね、やっぱり。

その理由は・・・。
「暴力事件」で言うなら、テロなどの政治的な暴力事件は極端に少ないかもしれないけれど、
性的な暴力で言うと、日本は激増しています。
警察白書での「強姦」「強制わいせつ」事件が激増しているとまでは言えないでしょうが、
警察や学校や児童相談所への相談件数は増えていると聞いています。
つまり、事件化されていない件数が増えているようです。
それに、性暴力被害に遭った時の制度は、日本はアメリカ、カナダ、韓国に劣っているのが周知の事実です。

ひとつのカテゴリーに固執するのはおかしいかもしれません。
でも、性暴力というのは、もっとも社会で潜在しやすいものです。
そして、性そのものは、もっとも人間の根源的な人権問題であるし、
そして、政治や経済の影響をモロに受け、
そして、もっとも政治が関与しにいくいプライベート性が高い問題です。
要するに、性暴力の問題に対する政策、性的なことへの国の関与の仕方は、
その国の成熟度を表しているように、私は見えて仕方ないのです。

「平和」は誰にとってのものなのか。
自分の性、生き方、家庭、パートナーとの関係が、日々平和でなければ、
平和は実感が持てないと思うのです。


2008/04/20のBlog
[ 12:04 ] [ 子どもの虐待、性暴力被害、予防法 ]
先日、あるシンポジウムに参加した時のこと。
法律の専門家ほか、精神科医などから、被害者が加害者に対して思うコトについて
ある意見が出され、私としてはとても驚きました。

話の趣旨を簡単にまとめると、以下のようなものでした。
「性犯罪の被害に遭った人は、相手(加害者)に対して、厳罰(刑務所に長く入る)を求めるのが一般的で、
相手(加害者)の更生(立ち直り再犯しないで社会生活を送る)ことは望んでいない」
というものでした。

 ○○○○○

キララには、性的な被害を受けた人からの相談が後を絶たないのですが、
私が今まで経験してきた中で、相手(加害者)に対して
厳罰だけを求める人は、実は皆無です。

もしかしたら、厳罰を求める人は、キララのような民間の相談機関に相談するよりは
警察に被害届をし告訴をするのかもしれませんし、
あるいは弁護士に相談しているのかもしれません。
それでも、警察に被害届を届出して告訴をするのは、被害を受けた人のごくわずかですし、
また、告訴を取り下げる人も多いということですから、
厳罰を求め、実際に行動に移す人は、被害を受けた人の中の、ごくごく少数なのではないでしょうか。
もちろん、あくまでも推測の域を出ないことですが。

キララにご相談される人たちは、加害者に対して厳罰を求める人もいませんが、
かといって加害者に温情をかけ、積極的に許そうという人もいません。
加害者を憎みもするし、憤りは当然あります。
その感情たるや、まさに筆舌しがたいものです。
でも、よくよくお伺いしていると、その言葉の裏側は、奥深い気持ちが存在しています。
「厳罰に処して」「許さない」「許す」など、そんなに単純ではないのです。
極めて複雑で、奥が深いものです。

これまで、キララの支援で、告訴をした人も、民事裁判をした人もいますが、
法的措置はあくまで「手段」であり、「目的」ではありませんでした。
相手(加害者)に対して、再犯を止めさせるため、自分の傷ついた気持ちを伝えるため、
など、法的措置の裏側に、本来の目的があるのです。
(誤解のないように付け加えておきますが、
法的措置を目的的にすることを否定しているのではありません。
本来、被害を受けた場合、法的措置をとる権利はありますし、
諸々の条件が整うのであれば、きちんと法的措置をとる方がいいでしょう。)

また、被害を受けた人の中には、時には加害者を「死刑にして」という時もあります。
一瞬、そのような感情が出ることは、よくあります。
でも、たとえその人物が死刑になったとしても、自分の気持ちが晴れることも、
被害を受ける前のようになることはないということを知っておられます。
死刑になったところで、自分の今の状況に良い変化が訪れることはないとなると、
たとえ自分に対して酷いことをした人物であったとしても、相手の死を望むことはしたくないようです。

このように、毎日毎日、いくつもの相対する気持ちが浮かんでは消え、消えては浮かび・・・
その感情に自分自身が振り回され、ひとときでも解放されることもなく、
自分に押し寄せて来る感情に、疲労困憊させられている。
それが被害を受けたおおかたの人の現実の有様なのです。

私は、これまで「性犯罪者はどんな人間か?」「どうして性犯罪者になるのか?」という質問を
様々な場面で、数えきれないほど受けてきました。
その質問の裏側にあるのは
「自分の子どもが性犯罪をするような人になって欲しくない」
「自分や家族が被害に遭わないために、予備軍の人たちとの付き合いを避けたい」
「どうしてそんな人間になったのか興味がある」
など、それぞれですが、どうやら多くの人たちの大きな関心ごとのようです。

そして、その関心の高さは、実は被害を受けた人も、同じです。
その気持ちの裏側は、
「どうして自分が被害を受けたのか知りたい」
「加害者は自分の心身の痛みを少しでも理解できる能力があるのかを知りたい」
「もう二度と同じことをしない人にさせるための方法を知りたい」
「どういう生育歴をたどってきたのか、親はどんな人なのかを知りたい」
など、様々です。

全員ではありませんが、被害者の中には、相手(加害者)には更生をして欲しいし、
これからはきちんと生きて欲しいと願う人さえいます。(実は、少なくありません。)
もちろん、被害直後からそう思うのではなく、
行きつ戻りつしながら、葛藤の末に、そんな思いに達するようです。

私は、このような相手への尽きない興味と関心や心の動きには、いつも心を打たれます。
自分に起こったことから目を背けることなく本質を見ようとするその姿から、
被害を受けた事実は消すことはできないけれど、
前を向いて生きようとする、人間の力強さと逞しさを感じるからです。

「被害者は厳罰を求めるもの」というひとくくりな見方をする限り、
被害を受けた人の、その後の奥深い葛藤やそれを超えて強く生きている姿は見えてはきません。
私が、今日ここに書きたかったことは、
ある特定の人たちの声をもとに、「被害者はこうだろう」と断定的な見方をし、
制度を整え、サポートを強化しても、一人ひとりの被害者にとって使い勝手良いものには
ならないのではないか、ということです。

ことさら美化するつもりはありませんが、理不尽に酷い体験を受けても、その現実を受け止め、
社会のためと、加害者自身のために彼らの更生を願いながら、
時には加害者と対峙して、
現実をくぐり抜けて生きる人たちもいるのです。

 ○○○○○

*厳罰を求める被害者はいらっしゃるでしょうし、その方々のお気持ちを否定するものではありません。ただ、それらの考えが性犯罪の被害を受けた人の全部とする専門家の方々をはじめとする多くの方々に対して「被害者を十把ひとからげにしないで」というのが本文の趣旨ですので、曲解なさいませんように、くれぐれもお願い申し上げます。