「比叡山 根本中堂にて」

今回の京都・比叡山シリーズ、これで終わりです。

6月16日(火)朝6時半より、

宿坊「延暦寺会館」に泊まっている人が参加出来る

「根本中堂(総本堂)」での【朝のおつとめ】に

参加させていただきました。

現在この根本中堂は大改修中で、

建物全体が工事用のシートで覆われていたりしていましたが、

その荘厳さは変わることはありません。

堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、

本尊などを安置し、僧侶が読経などをする内陣は、

中陣と外陣より3mくらい低くなっていて、

内陣にある本尊や「不滅の法灯」と、

中陣に座る私たち参詣者の高さが同じになる

珍しい構造になっています。

ですので、おつとめ中は読経しているお坊さんは見えず、

仏様が真ん前に見えます。

お坊さんたちの謙虚な姿勢がよく分かります。

感動いたしました。

天台宗総本山の聖地中の聖地である、

根本中堂での朝のおつとめは、

何とも言えない程に厳かで清らかで、

悠久の歴史の宇宙の流れに誘う、大変素晴らしい時間でした。

参加者は私以外に65歳前後のご夫婦3組のみで、

読経されたお坊さんが私たちの名前も読み上げてくださり、

いろんな祈願をしてくださいました。

おつとめ終了後、担当されたお坊さん

(以外と若く、私と同世代くらい?)が

「つたないお話ですが・・・」とめっちゃ謙遜されながら

私たちにお話をしてくださいました。

そのお話をざっくり要約しますと、、、

「我々僧侶のすることは“祈ること”です。

何かあっても、何もなくても、することは同じです。

変わることはありません。」

ということです。

建物全体が工事用のシートで覆われているので

とても暗い場所でしたが、そのお坊さんのお話を聴き、

鮮烈なヒカリの稲妻が落ちて来たくらいの衝撃を受けました。

平時の時も一所懸命祈り続けるし、

国難の時も一所懸命祈り続けるということです。

つまり、コロナウイルスとかが来ようと、

何も来なくても一切関係ないという訳です。

私たちって、何もない平和な時は、

傲慢になってほへーっと過ごしているんですよね。

だけど、何か大きな問題や悩みが発生した時に、

あたふたしたり、神仏や他人にすがって

「何とか、私を助けてください!」と

必死のパッチ状態になる訳です。

だけどお坊さんたちは、そんな強弱がないんですよね。

一日一生で、ただただ衆生のために

一生懸命祈り続けることが自らの使命役割であり人生であり、

真の幸福であるということです。

決して力んでる訳でも無理している訳でもない、

無為自然的な(自然体の)【覚悟】というものが、

そのお坊さんから観じられ、深く感動し、

そして自らの強弱のある日々の過ごし方や意識に

反省懺悔した次第です。

そして、「仏という存在とは、仏になった人ではなく、

【なろうと努力/精進し続けている人】であるということ」も、

とても良く理解出来ました。

私はそのお坊さんに“仏”を観ました。

いやはや。。。人生まだまだすべきことは多いです。

おかげさまでまた新たなる境地に触れることが出来ました。

ご縁いただいた全てのみなさま、ありがとうございました(=人=)☆

次回の『よしこちゃんの街道をゆくシリーズ旅』も

どうぞご期待ください(笑)♪

●天台宗総本山「比叡山延暦寺」公式ホームページ

https://www.hieizan.or.jp/

【写真】

比叡山・東塔エリア「根本中堂」

『街道をゆく16 叡山の諸道』(表紙写真:横川中堂)

比叡山・横川エリア「横川中堂」(横川中堂でお写経しました)