「絵島囲み屋敷」

先日、信州旅に行って参りましたが、

最終日・29日(日)午前中、

長野県伊那市高遠町に寄ってから、

大阪に戻って来ました。

その町に「伊那市立高遠町歴史博物館」という場所があり、

その敷地内に【絵島囲み屋敷】という建物があり、

それを見たいがために、

信州上田から寄り道して帰って来ました。

我が恩師、故・三輪優先生が

オススメの場所だとおっしゃっていたのが3年程前

・・・やっとここに来ることが出来ました(ー人ー)。

この屋敷は絵島

(えじま https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E5%B3%B6

という江戸時代中期(時は6〜7代将軍時代、

8代吉宗が幕府の立て直し「享保の改革」を行う直前)の

江戸城大奥御年寄(奥向の万事を差配する大奥随一の権力者で、

表向の老中に匹敵する役職)です。

絵島の時代大奥は、風紀は乱れ、

権力闘争が吹き荒れる激しい争いの中、

「絵島生島事件」という出来事が発端で、

当時34歳だった絵島は大奥から追い出され、

江戸徳川幕府と親密な関係にあった高遠藩へ流罪となり、

この囲み屋敷で27年間暮らし、

61歳の生涯をこの場で閉じられました。

この高遠で浮世から離れ、この町の風土や人と、

どのような想いで生きておられたのか・・・?

絵島の壮絶且つ過酷な人生の転落から始まる、

絵島の精神的な凄さ・素晴らしさを、

台風による冷たい雨の中一人、あれこれ感じておりました。

その後、絵島が眠る日蓮宗・蓮華寺へ

(絵島は熱心な日蓮宗の信者だったそうです)。

最も高台の右手奥にそのお墓はありました。

そのちょっと離れたところには絵島の供養塔

(絵島を模した像)が建てられていました。

絵島の存在が、この高遠の町の人たちに生き続いていて、

今も愛され続けていることを感じました。

絵島もある時期を過ぎてからはきっと、

自らの過酷な人生を受け入れ、

高遠の風土に溶け込んで自然体で

生きておられていたように感じました。

撒かれた場所で咲く花のように、

勁くそして美しく咲いて・・・

逝った、絵島という歴史の華。

このような感じで、人はやがて風となり、土となって・・・

そして歴史という名の“大河の一滴”となり、

今を生きる私たちに【何か】を

教え続けてくれているのではないでしょうか。

見知らぬ土地の“風土記”。

とても興味深く、そして感動的。

これからもご縁ある限り、

いろんな町に行ってみたいです。