高知市内へお遍路・・・土佐の幕末の志士たちと出会う! 前編

3月12日(土)。

おかげさまで今日も無事元気にマイカーで

四国お遍路をさせて頂きました。

祈念することは、ひたすら東北関東地方での地震に関すること。

その地方のみなさま、日本のみなさま、

世界中のみなさまの心が平和でありますように・・・(ー人ー)。

今日は高知市内のお寺をぐるり。

春の気配が感じられました(%星%)

あるお寺の納経所の入口では、

白いネコちゃんが箱の中で

居眠りしておりました。

ほんと、昨日掲載させて頂きました、ワンちゃんに続き、

四国の動物達はのんきなものです。。。

そんなお遍路の最中、偶然、

武市半平太の旧家&お墓があるという看板を発見!

昨年、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』を見てただけあり、

即行で行ってみることに(%ニヤ女%)(%ハート%)

今は血がつながっていない、別の方の子孫が

暮らしているようですが、当時のままなんだそうです。

家の見学の後は、その上にある武市家の

お墓へ・・・。

今でも私のような人が、ちょくちょくお参りに来るようで

キレイな花が飾ってありました。

武市半平太は、優れた剣術家で道場を開いていましたが、

黒船来航以降の時勢の動揺を受けて、攘夷と挙藩勤王を掲げる

「土佐勤王党」を結成(龍馬も入っていました)。土佐藩・参政吉田東洋を暗殺して

藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した人。

武市半平太は、上士と下士の間の身分だったそうですが、

下士に絶大な人気があり、「土佐勤王党」を結成したのですが、

結局、藩主山内容堂によって投獄され

1年8ヶ月20日の獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅。

だけど、土佐藩で最も最初に下士(身分が低い人による)による

政治運動を展開した人だということで、今でも武市半平太を慕う人は

多いそうです。

武市半平太のお墓(武市家のお墓)は、誰もいなくて

閑散としていて、少し離れたところにある幹線道路から聞こえてくる

車の音と、森の音が聞こえる閑静な場所。

ここで静かに手を合わせておりますと・・・

「僕もあなたと一緒で、いろいろ悩み、これでいいのかと問いながらやってきた。

正義を貫き、せいいっぱいやって来た。志半ばであったが・・・。

今の日本はまだまだ混沌としている。

僕たちの志は、確実にあなたたちに引き継がれている。」

そんなことが、ふっと聞こえてきました。

なんかすごい体験です。

なんか、「あついもの」がこみあげてきました。。。

<つづく>