岡山県高梁市へ・・・よしこちゃん、4分の1のルーツを探る旅へ②

その家は築100年弱。

いたるところリフォームされていましたが

基本的なものはそのまんまでした。

今その家には、おばあちゃんの弟のお嫁さん

(=私の母の「叔母」)がお一人で暮らしています。

そこに一泊させて頂きました。

五右衛門風呂も現役で・・・

(さすがにマキで焚いたりはしませんが・笑)

トイレも外にあり・・・

(夜中3時に外に出るのは、ちょっと恐怖ですね・笑)

朝の洗面は、ナント☆外の湧き水で・・・。

昔の家は、気密性があまりなくって

まだ昨晩は風がなかったからよかったのですが、

かなり寒かったです・・・。

が、「ここが、おばあちゃんの生まれ育った場所なんや」と

めっちゃ感動でした!!!

おばあちゃんは、女学校を卒業するまで

18歳頃までこの家にいて、

いろいろ思うところがあって、田舎から出たいを思い、

父親の妹(叔母)を頼って、その妹が暮らす

大阪府八尾市にやってきました。

(その妹さんも、元々同郷に住んでいたのですが、

訳あって、都会に出て、八尾にたどり着いたようです。)

今のJR八尾駅北側にかつてあった、紡績工場で

働いていたのですが、給料などの待遇が悪かったらしく

アベノのスナックかクラブか・・・夜の仕事に転職し、

そこで千葉にルーツのある、おじいちゃんと出会い、結婚。

大阪平野区の鉄工所の職人さんだった、おにいちゃんは

第二次世界大戦時代、国の命令で、中国(当時日本の植民地)にあった

軍需工場に行き、そこで結核にかかって、終戦直前に亡くなってしまいました。

戦後の混乱の中でも、おばあちゃんは

がんばって子どもを育て、内縁の夫もゲットし、

私の母親も立派な大人に成長し、そして就職先で

八尾の私の父親と出会い結婚し、母が八尾にやってきました。

そんな感じで、私の父親の家系は、ずっと八尾市。

母親の家系は、祖母の時代から、ご縁のある町で、

なんだか『運命』というものを感じますね(%笑う女%)(%ハート%)

78歳になる、母親の叔母の百恵さんは、

右足が少しわるいようで、ちょっとぎこちない

歩き方でしたが、アタマの回転が速い!!!

岡山の方言バリバリで、現在過去未来のお話を

どんどんしてくださりました(%笑う女%)(%ハート%)

私のおばあちゃんには、姉と弟(百恵さんの旦那さん)が

いましたので、百恵さんの息子さん・娘さんが(私の叔父と叔母)が

この家を未来に継いでいってくださるかと思います。

だんだん『血(つながり)』は薄くなっていきますが、

その場所は私の、4分の1のルーツであることは

まちがいのない事実です。

その家の上には、その先祖代々のお墓が

ずらっと並んでいて、おばあちゃんの両親、祖父母、

そのまた上の代まで、ちゃんとありました。

(百恵さんの時代で、分家して4代目になるそうです)

お墓を眺めておりますと、

私が産まれるずっと前から

『私』というものが存在していて・・・

また、おばあちゃんやそのまた上の方々が

あの世に行った後も、私や、百恵さんの子や孫、

そして曾孫にも、『ご先祖さま』が生き続けているんやな・・・って

時代のダイナミックさを感じ、かつて生きていた、

墓石に刻まれた方々の活き活きした人生が蘇るとともに、

今、私がこうして、ここで生きていることに

運命的な、そして奇跡的なものを感じ、深い感動を覚えました。

毎日、日常生活に追われて、

せっせと前を向いて生きていくのも、とてもたいせつなことですが、

こうしてたまに、自身の「過去」・・・

産まれるずっと前の「過去」を遡るのも、なかなかオツなもんです。

ということで、おばあちゃんの田舎から、自宅まで

240キロ・4時間弱で今日の夕方、帰ってきました。

この12月1日で、私の会社も6年目に突入します。

お遍路さんもしたし、また、新たな気持ちで、スタートできそうな

ちょっといい心境です(%ニコ女%)(%音符1%)

百恵おばちゃん、本当にありがとうございました〜(%笑う女%)(%ハート%)