私が中学校2年生の冬から好きなアーティスト・・・
それは、大阪・高槻出身のアーティスト、槇原敬之
(愛称:マッキー。マジックみたいです・笑)。
何気なく聞いていた深夜のラジオ
(恐らくニッポン放送の『オールナイトニッポン』)
で彼の『北風』という曲が流れていて
それが私のココロにぴったりハマり
好きになってしまいました。
マッキーの曲は、私にとって
本当に泣きそうな時、辛い時に
何も言わず、背中をそっと優しくなでてくれる
近所のお兄ちゃん的存在です。
それは昔も今も変わりません。
だから普段、精神的に元気な時は
マッキーの曲は聴きません。
一時、マッキーの曲が聴けなくなった時期が
私が大学を卒業後から数年間ありました。
偶然にも私が精神的に追い詰められていた
時期と重なっていました。
彼は、覚せい剤を打ってて捕まったのです。
それが精神的なショックを助長させました。
嫌なことって重なるものですね。
彼の犯した罪は一生消えることはないですが
彼が創ってきた音楽や彼自身の生き様は
大いに共感できるものであり
とても尊敬しています。
私は高校1年生の時から
マッキーのファンクラブに入っています。
マッキーの公式HP↓
http://www.makiharanoriyuki.com/home.html

そこで台湾人の「センちゃん」と出会いました。
彼女は、マッキーの『もう恋なんてしない』という曲を
台湾で聴いて惚れ込み
その曲の歌詞を知りたいがために日本語を学び
そして、日本に留学しに来ました。
彼女は上記の理由で日本に来た・・・ということと
慣れない外国生活に苦労しながらも頑張ります!という文章を
ファンクラブ通信に書いていました。
私は、その彼女の言葉にものすごく感動し
ファンクラブの事務局にめっちゃ無理を言って
「センさんと文通がしたいんです!」とお願いしまくり
センちゃんと会うことが出来ました。
20歳の時でした。
彼女は、当時留学してきて間もない時で
八尾に近い、大阪・天王寺の語学学校に通ってて
経営学が学べる大学を目指す受験生でした。
誕生日が一ヶ月しか違わない、同じ歳の女の子でした。
また、私は中国語を必死で勉強していた時期でしたので
だから、すぐ意気投合しました。
それから、彼女とちょくちょく会うようになり
お互いの悩みや喜びを話す関係になりました。
彼女と会って少ししたら見事、横浜大学に合格したので
離れ離れになりました。
それでも、ちょくちょく私が会いに行きました。
彼女は、今の若い日本人には少なくなってしまった
勤勉さや真面目さ、親に対する感謝の心
そして優しさを持っています。
同じ歳ですけど、とても尊敬しています。
彼女は、大学に入ってからもとても苦労してて
辛そうでした。
そんな時、彼女の元からもマッキーの歌が
一時消えたのです。
マッキーファンの彼女も私と同じく
そのことにとてもショックだっだんですけど
二人で励まし合ってたのを今でも鮮明に覚えています。
それから数年後
彼女と、マッキーの復活コンサートに行った時
彼がステージに出てきた瞬間は
二人で両手を握り合って喜び合い
そのコンサートが終わって、別れ際では抱き合いました。
「大好きなマッキーが復活した」という純粋な喜びと
「今までお互い、いろんな辛いことがあったし
これからもあるやろうけど、お互いがんばろうね!」
という想いで、胸が一杯のコンサートの夜でした。
こんなに深い絆で結ばれた友達は
生きていてそう出来ないと私は確信しています。

後、彼女は大学院を卒業し
現在、台北にある日系企業の
(日本人の)社長秘書をしています。
実家から毎日片道2時間かけて通っているそうです。
本当に頑張りやさんです。
昨年6月に、台湾に行った際
彼女に3日間、みっちりつきあってもらいました。
「これでもか!」という程
いろんな所に案内してもらい
いろんなものを食べさせて頂きました。
そして、ひたすら二人でペラペラしゃべっていました
彼女のお蔭で本当に楽しい旅が出来ました。
彼女は最近、日本の語学学校時代に出会った台湾人男性と
7年越しくらいの遠距離恋愛期間を経て結婚したそうです。
そのパートナーとの恋の悩みも昔
たくさん聴いていましたので
とても祝福しています(^^)。
こうやって、私の大好きな人たちが
幸せになっていくのを心から嬉しく思っています。
余談ですが
上のセンちゃんとの鉛筆画は
このイラストとセットになっています。
これも横浜の山下公園でこっそり描いたものです。
私は、この絵を見る度に
胸が一杯になります。
当時の
不器用ながらも
一生懸命頑張って生きていた
自分を思い出すんです。
ま、今も不器用ですが・・・(笑)。
この絵も
せつなくて美しい
私の「青い」人生の1ページです。
