皆さん、こんにちは。マッチャンです。
最近、自分の力と役割について考えます。
例えば、先日「市民事務局かわにし」に
おにぎりを多めに作って持って通勤しました。
他のスタッフのみんなが美味しいと
言って食べてくれました。

ですが、その日の印刷作業で
僕が作業に手こずってしまい(うまく作業出来ず)
他のスタッフにさんざん迷惑を掛けてしまいました。

僕が作業に入ることで
(新米の僕に一から作業順序を教えないといけないので)
同僚スタッフにかえって疲労させてしまい
悪いことをしてしまったなあと強く感じました。

僕は本当に物覚えの悪い新米スタッフで
半人前というより5分の1人前です。
物覚えの悪いのは僕の特性だからと
諦めてはいけませんが
やはり段取りが悪い 器用さのかけらもありません。

でもめげずに、どうせなら明るく生きていこうと
いう思いが強くあるのですね。
物覚えが悪いのだから
それは徐々に覚えてゆくしかない。
何か僕にでも出来ることを探してみる。

例えばお昼ご飯を作ってゆくのであれば
少し多めに作ってゆけば
”弁当男子”のおにぎりを食べて
なごむ同僚がいるかもしれない。

別に嫌々作っているのではなく
ついでに多めに作ってゆくだけなので
僕にも負担にはなりません。
というか、僕は性根的に人の喜ぶ顔を見るのが
好きなので、より楽しくおにぎりを作ることが出来るのですね。

それが僕の力というか、持っているもの 出来ること
—役割めいたものなのかなあと思ったりします。
僕は冷静沈着にテキパキと
業務をこなすタイプの人間にはなれません。
ゆっくりゆっくりとカメのように歩いてゆくタイプです。

ですがゆっくりでも確実に歩いてゆきます。
歩んでいる道に野花が咲いていれば
少し積んでプレゼントもしてあげます。
そういう生き方は格好のいい生き方ではないでしょう。
男のくせにふがいない 情けないとみられるかもしれません。

ですがそれが僕のペースならば
いまさら変えようとはせずに
この感じで生きてゆくのもありなのかなと考えたりします。

僕は他にもアルバイトやボランティアをしていますが
お金と思ってやっていることは一つもありません。
別に無欲というわけではありませんが
何をやっても一度の人生ならば
自分の好きなように生きてゆきたいなと思います。

そう考えられるのも
もしかしたら僕の持っているもので
その考えに基づいて行動してゆくのが
僕の役割なのかなと思ったりします。

「市民事務局かわにし」の業務の話とは
少しずれましたが、そういう思いで
「かわにし」で働いてゆけたらと思います。