学校・社会に適応しづらい私たち②

皆さん、こんにちは。

前回に、僕は適応しづらい人間ではあるけれど、決して悲観的にはなっていません ということを言わせて頂きました。

そうなのですね(%緑点%)

今、社会では様々な生きづらさが取り上げられていると思います。
ニュース・ドキュメンタリーを読んだり見たりしながら、たくさんの大きな事(生きづらさや問題)があるのだなと思います(%紫点%)

ですが僕は悲観してはいないのですね。

僕は世の中が少しずつ、生きづらさや問題をくみ取りやすくなってきているのかなと感じることがあるのです(%青点%)

様々な障がい、不登校・ひきこもり、フリーター(非正規雇用)・ワーキングプア問題など、他にも沢山の生きづらさや問題が現在の人間社会にはあります。

僕はここで感じるのです。
(弱い立場であっても)人々は発言し始めているなと。

ブログなど他にもいくつもの発信の仕方が現在にはあって、例え無名の人間であっても、(僕であっても)、発信しやすくなってきているのではないでしょうか(%緑点%)

本人の憤りや悩み苦しみをくみ取れる—そういう社会になりつつあるのかなと感じるのです。

少し前までなら、公表出来なかった事柄も、現在では公表されたりします。
認知されつつあるのかなと思います。

社会が寛容になってきているのか、それとも人間がリベラルになってきているのかは、僕にはわかりかねます。

ですが、社会が人間の本当に苦しい部分を、聞いてあげる—くみ取れる社会に近づいてきているのではと思っているのです(%黄点%)
そのための土壌が出来つつあるのかもしれません。

生きづらさは、問題としてあるのだけれど、その生きづらさを理解されやすく、少なくとも聞いてもらえることが多くなりつつあるかなと思えるのです(%青点%)

いや、そうではないと、僕の意見に反対をされる方々も大勢いらっしゃると思います

世の中はやはり生きづらいだけだよとおっしゃる方もおられるかと思います。

ですので、断言は出来ませんし、もしこのブログを見られた方々で、不快になられた方がいらしたのなら、大変申し訳ありませんでした。

松尾