元日に起こった令和6年能登半島地震の発生から1か月が経過した2月2日から4日にかけて能登半島に行ってきました。今回は、今後の長期的な支援活動の拠点づくりを具体化したいとの思いで七尾市中島地区を訪ねたのをはじめ、これまでにも寄せていただいた輪島市立輪島中学校や石川県立輪島高等学校などを訪問しました。あわせて、これまで出向いたことがなかった内灘町に出向いて、当初は避難所になっていて、現在は支援活動の拠点にもなっている内灘聖書教会を訪ねましたが、そこから七尾市に向かう途中で、液状化により甚大な被害を受けたまちの様子を目の当たりにしました。

 発災から1か月、この間、電気は比較的早いペースで復旧しつつある一方、水道の復旧はまだまだ時間がかかりそうな状況で、随所で給水車に並ぶ人々の姿や不自由な身体をおして、重い水の入ったポリタンクを手押し車で運んでおられるお年寄りの姿などを見かけました。

 確かに、輪島市や珠洲市の中学生が白山市や金沢市に集団避難したり、今回の訪問でも七尾市立中島小学校では今週からの授業の再開に向けた準備が進められていたりと、児童・生徒の皆さんの学習環境の確保が最優先で進められていることがわかります。また、金沢から輪島に向かうのと里山海道をはじめとする幹線道路は、土砂崩れを土嚢で土止めしたり、陥没した所では部分的な迂回ルートを儲けたりしながら、突貫工事で応急的な復旧が急がれています。一方で、輪島市門前町の海岸部の集落に向かう道路などは、路盤が割れたり陥没したりしているところに、目印となるポールが突き立てられているだけの非常に危険ななか、そこに暮らす方々を中心にやむなく慎重に車を走らせている状況です。

確かに、最近になって輪島市に仮設住宅「マリンタウン第1団地」が設置されましたが、まだまだ避難所に身を寄せられておられる方々は数千人にのぼり、輪島市の中心街ですら道路の上に崩れている家屋はそのままで、歩道はもとより車道まで塞いだままになっています。重機がなければ片づけることができない障害物はやむを得ないとしても、少し箒や人の手で取り除けばもう少し安全に歩けそうな歩道などにも、砂礫などが散らばったままで、2週間ぶりに見た被災地の様子は「何も変わっていない。」との印象で愕然としました。

 現在の能登半島の状況は、学校の再開や道路の応急復旧、二次避難所の確保など、行政主導で行える分野に限っては少しずつ前に進みつつあるものの、市民生活の回復や生活の再建に向けた取り組みにはほとんど手が付けられていないように思います。