くつろぎの家らくは、やっと10年目を迎えました。

早いもんで、10年を迎えることができました。
一時期どうしようか迷う悩んだ事もありました。
でも、スタッフが、一生懸命に後押しをしていただき
今日を迎えることが出来たことは、ただ一言「ありがとう」
の感謝の気持ちが一杯です。

開所した時は、娘はまだ高校生でした。その娘は、
もう・・・・・・才。早いもんで10年ひと昔ですね。
卒業を迎え将来どうするのと尋ねたとき
娘は、お母さんがヘルパーの仕事しているので
私もヘルパーになるって言ってくれた。
すごくうれしかった。私の苦労を娘はちゃんと見てくれて
私もヘルパーになって介護の仕事をしてくれるんやー
て思った。
昼間はらくを手伝ってくれ、夜間の講座に毎晩休むことなく
通いヘルパーの資格を取ってくれた時はうれしかった。

らくが10年間続けてこられたのは、娘と二人三脚でやって来たので
迎えられたことは感謝しています。

世間では、娘は母親の反面教師といわれるように、母親の姿をよく
観察をしているので、言葉使い、しぐさは同じ言い方ををするので、
良く衝突をしてしまう。
でも、親子だから、昔から血は水よりも濃しと言われるように、
一晩眠るとあとを引かなくなりました。
でもね、ここまで来るには長い道のりがあったのですよ。
人間は感情の動物って言われるように、特に母親と娘の関係は
普通ではない、モロニ腹が立ったらストレートに荒波が押し寄せてくるので
さっと身をかわせる余裕がないのです。

4年前大阪で一人暮らしを始めると言って荷物を運び出す前夜
お母さんは私の気持ちを理解してくれなかっ立て言われた。
子供の時に娘を連れて家をでました。
これは、娘が「お母さん家を出よう」って言ってくれたから家をでる決心が付き
私の荷物を全部持ち出したのに、なんで今更普通の家族はお父さんがいて
家族やのに、私はお父さんに会うのはお父さんが一人で住んでいる家に
いかないといけない、え!今更何言うのって思ったけど何も言わないで
ごめんねっていとこといった。

朝にお父さんが娘の荷物を運ぶ手伝いに来て、ささっと荷物を運び出し
何も言わないで家を出て行った時は、言いようのない寂しさだけが
残った。

あとから娘に私の気持ちを書いたメールを送ったが何も戻ってこなかった。
さびしがり屋の娘は一人になってどのような暮らしをするのか
心配だったけど、今はそっとしておくしかないと思った。
時々土曜日には帰ってきて食事を食べ、翌日には帰る生活が一年半くらい
続いたが、ある日突然もう家に帰るって言い出した。
この時は、もう父親ではなく、私が仕事を終わってから、Nさんの運転で
荷物を取りに行った。
散々迷惑をかけられたが、わが娘には怒ることなく
素直に引き受けた、これが「親ばかちゃんリン」なんかなあ。