(当事者家族ではなく)「家族当事者」応援団!

(%王冠%)イラストライターの大枝桂子です(%王冠%)

賛同者として名を連ねさせていただくにあたり、
「障害」の表記についてググっていたら、
こんなサイトを見つけました。

http://newsing.jp/entry?url=blog.livedoor.jp%2Fdqnplus%2Farchives%2F1025181.html

これは「障がい」という表記に変えた、という動きに関するレスポンスで、
中にはどうしようもなく幼い書き込みもありますが、
ちょっと考えさせられるものもありまりました。

ひとつは「名前だけ変えてもしょうがない」という意見。
もうひとつは「障害は障害なんだから」っていう意見。

ひとつめには、私は軽く反論できます。
「名前すら変えられなくて、他に何が出来る?」ってこと。
簡単なことですよ、名前を変えるなんて。
でもそれすら出来てない私たちって、日本って、何よ、ってことですね。

それに、このキャンペーンは、
名前だけ変えてめでたしめでたしにするものではない。
むしろ、それをきっかけに、もっとみんなで向き合おうよってことですから。

そしてふたつめですが。

特に、障碍のある当事者の人の、
「障害は障害なんだから」
「名前なんてどうでもいい」
という言葉には説得力があると思った。

でも。

もし、私に障碍のある子がいて、
その子に、
「障害は障害なんだから」
「名前なんてどうでもいい」
って言われたらって想像したら……

私は、
相当悲しい気持ちになっちゃいました。

この間大学で、息子に障碍のあるクラスメート(台湾からの移民)が
自分の体験談を、(ときどき感極まりながら)話してくれたんですけどね。
彼女ときたら、児童発達のクラスを5つ!も取ってるんですよ。
私なんて、児童発達1つ、英語2つでヒーヒー言ってるのに
なんて頑張り屋なんだ!! と思っていたら、
それもすべて息子のためだったんだってわかって納得できました。
必死なんです。サバイブするために。

障碍の問題は、障碍をもっている本人だけの問題では絶対にあり得ません。
「その家族も当事者」なんですよね。
そして時に、ご本人よりもお母さん、お父さん、きょうだいの方が辛いことが
あるんじゃないか……
そこに思いを寄せつつ、考える必要があると思うんです。

だから、
「障害のある当事者がいいって言ってるんだ」っていう人には、
ちょっと待って! って言いたい。
どうでもいいと思ってない家族がいるかもしれないってこと。
自分の子を、「障害児」って呼ばれたくない親がいるかもしれないってこと。
そして、自分の子どもは、その子が30歳になっても、40歳になっても
自分の子どもなんですよね。

 (%青点%)

私にとっては、「自分に障碍があったら」って考えるよりも、
「子どもに障碍があったら」って想像することのほうが、
ずっと理解できるんだって気づきました(^_^;)。
だから、とくに障碍児当事者というより、家族当事者の応援団として
このキャンペーンにかかわりたいと思う。
それでよろしいでしょうか? 恵美さん?