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2018/07/21のBlog
[ 14:58 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年7月21日(土)13時30分~16時
 源氏物語の作者・紫式部は最晩年に自分の人生を振り返るように
「紫式部集(和歌集)」を作りました。
 その中にこめられた三つのキーワードが「世」・「身」・「心」だそうで
すが、その意味は何なのかについて人生と物語をオーバーラップさ
せたお話しを伺ってきました。
 源氏物語はご承知のように、主人公は天皇の子で、数々の恋(人
妻、未亡人、父帝の女御、兄の恋人、政敵の娘・・・)を経験しながら
波乱万丈の人生を歩んだ物語です。
 光源氏も最晩年(51才)になって愛妻・紫の上の死をきっかけに人生を振り返ります。
 源氏物語の表現に、「(中略)・・・人にはことなりける『身』ながら、(中略)悲しき常なき『世』を思ひ知るべく仏などの勧めたまひける『心』強く・・・」とあり、「自分は人より抜きんでた『身』だったが、人に死に別れ悲しい『世』を思い知らされ、仏がそれを教えて下さったが、『心』では気づかぬふりをして生きてきた・・・」とされます。
 これは紫式部の幼馴染や夫の死別とも重なるやにみえます。
 前述の和歌集の一番に百人一首にもあります「めぐりあいて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」からも容易に推測できます。
 紫式部はこれも人生と受入れ、「源氏物語」にもつながったのではと解釈いたしました。
2018/07/20のBlog
[ 14:19 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成30年7月20日(金)13時30分~15時
 ヤマト大王家の第25代・武烈天皇に子供がいなかったため、
後継者探しで白羽の矢がたったのが、越前のオホド王(応神天
皇の5世孫)、すなわち後の継体天皇です。
 古代の大王は複数の妃がいたにもかかわらず、5代も遡らな
いと王位継承者がいないことや、その後継者が越前にいたこと
などはどう考えても不自然です。
 どうして越前のオホド王がヤマト大王家を継ぐことになったのか
そもそもオホド王とは何者だったのかについて紐解くセミナーがありました。
 「継体」の名は、ヤマト大王家が潰れそうになったところを継いだということでこの名がついた由。
 なにしろ「継体天皇」には、謎が多すぎます。
 まず系譜についてですが、「応神5世孫」というだけで詳細な系譜がなく、わずかに上宮記(聖徳太子系)に記載があるのみで、信用性がいまひとつです。
 即位の経緯も古事記と日本書紀では記述が異なりますし、年齢にいたっては「古事記=19才で即位、43才で崩御」「日本書紀=58才で即位、82才で崩御」となっています。
 おそらくヤマト大王家とは無縁で、ヤマトに攻め入って(?)即位をするために「応神5世孫」をねつ造して、武烈の妹を娶ったとするのが自然ではないでしょうかとのことでした。
 当時は朝鮮半島との関係もあって、新しいタイプの指導者が求められていたとも解釈できそうです。
2018/07/19のBlog
[ 16:13 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年7月19日(木)15時~16時30分
 オペラ「魔弾の射手」の制作アトリエとも言えるバックステ
ージを見学することができました。
 そのバックステージツアーに先がけ、「オペラ創造ワーク
ショップ」と銘打って、制作にかかわった演出家、舞台装置
衣裳・映像の各デザイナーおよびプロデューサーからどの
ような思考や発想によって創り上げてきたのか、またそれ
らの着想を実際にどのように具体化してきたのかを実物の
舞台を使用して解説していただきました。
 まず演出家から今回のポイントについてお話しがありましたが、このオペラは悲惨な30年戦争の直後、すなわちこの戦争は宗教戦争から政治の支配権の争いにまで発展したもので、その時代背景を重視し、それをベースに歌手達をコーディネート(歌い方、体の動かし方、ドイツ語の表現・・・)していったとのこと。
 次に舞台装置デザイナーからは戦争直後ということを勘案して、ヒロインの部屋の隅に血のりをつけたり、戸外に壊れた大砲を転がしたり等を考えた由です。
 ただやはり歌手達が演技しやすいように、空間は意識的に広くとったつもりであるとのこと。
 照明・衣装デザイナーからは、映像(満月や月食、稲妻や飛ぶ鳥等)を照明扱いとしたこと。
 隠者と悪魔を同じ衣裳にしたのは、人の心には正と悪が共存していることを表現した由でした。
 これらワークショップの後、実際の舞台(写真)に上がり、オペラを実感いたしました。
2018/07/18のBlog
[ 11:00 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成30年7月18日(水)11時~12時30分
 西郷隆盛が尊敬したとされる人物に、水戸藩士・藤田東湖と
福井藩士・橋本左内がいます。
 この二人との出会いや各々の経歴についてのお話しでした。
 まず藤田東湖ですが、代々百姓の家でしたが、父の幽谷が
幼少の頃から神童と謳われた人で、水戸藩士に列せられます。
 東湖はその次男として1806年に誕生しています。
 彼は水戸藩主継嗣問題に巻き込まれるも、支持した敬三郎が
跡継ぎとなって徳川斉昭となると彼も側用人に抜擢されました。
 また斉昭が海防参与として幕政に参加しますと、彼もまた登用されていきます。
 その頃(1854)に西郷は友人と共に東湖と面会し、清浄な気持ちになりました。
 しかし東湖は1855年10月に起こった「安政江戸大地震」で、母を救出しようとして自らが犠牲になってしまいます。(50才)
 また橋本左内は1834年に越前国福井藩の奥外科医・橋本長綱の長男として生まれています。
 彼は、1849年に大阪の適塾(緒方洪庵)に入り、その後1852年に帰郷して家督を継ぎ、医者になりました。
 しかし1854年には弟に家督を譲り、藩主の命を受けて江戸に遊学し、この時に西郷と出会います。
 ただ1858年に井伊直弼が大老になると、安政の大獄によって斬首されてしまいました。(26才)
2018/07/17のBlog
[ 16:25 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年7月17日(火)14時~17時
 兵庫県立芸術文化センターで今月上演されるドイツオペラ
「魔弾の射手」の公開リハーサル・ゲネプロ(ゲネラルプローベ
=総稽古)を観る機会に恵まれました。
 ゲネプロとは文字どうり本番と同様に進行する舞台稽古の
総仕上げのことで、開演前のアナウンスに始まり、舞台転換は
もとより衣裳・かつら・メイク・照明・音響・演技・演奏からカーテ
ンコールに至るまで全てを行うものです。
 リハーサルに先立ち、マエストロよりオペラやその時代背景等についてプレトークがありました。
 イタリアオペラが全盛期の頃、ウエーバーが発表したこのオペラは大成功で、それはアリアやアンサンブルからオーケストラまで全てにおいてバランスが取れていた作品だったということでしょう。
 舞台は30年戦争の直後のボヘミアの森です。
 30年戦争は、ただ単にプロテスタントとカトリックの宗教戦争のみにあらず、庶民と貴族社会との戦いでもありました。
 この戦争により庶民は信仰の自由を得たものの、元の生活に戻るのに100年を要した由です。
 主人公・マックスは絶不調から成長する過程を演じ、ヒロイン・アガーテは純真なドイツ娘として登場し、一服の清涼剤としてアガーテの従妹・エンビエンが配されています。
 悪魔として登場するザミエルの悪と30年戦争の悪は、観客の胸にどう響くのでしょうか。
2018/07/14のBlog
[ 14:04 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年7月14日(土)14時~15時30分
 昨今のネットワークの発展により、パソコン・スマホ・タブ
レット等で利便性が高まる一方、様々な情報セキュリティ
の事件・事故が発生しています。
 そこで事故の例をご紹介いただき、その原因等について
解説を加え、どうすればよかったかについてお話しを伺う
ことができました。
 まず情報セキュリティの定義ですがそれは情報の機密性
完全性、可用性を維持することとされている由です。
 また情報セキュリティを理解する言葉に、日本の茶道や武道でも使われている「守破離」があるとのことで、「守」とは基本を守ること、「破」とは応用できること、「離」とは創造することだそうです。
 要は情報セキュリティとは、脆弱性すなわち弱点を見つけてそれをなくしていくことであるとのこと。
 さてひとつの事故の例として、ネット上(twitter、amazon、line、facebook、楽天・・・等々)でのパスワードを共通にしていたため、あるひとつからこれがモレたことでたいへん大きな被害を受けた人が何人も居たケースがあった由です。
 各々でパスワードを変えればよいのでしょうが、それでは覚えるのがたいへんで実用的でありません。
 そこでごく簡単な方法としましては、一応共通のパスワードにしておいて、その頭または(と)最後尾の一文字だけ変えておくという手もあるとのことでした。
2018/07/12のBlog
[ 14:09 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年7月12日(木)14時~15時30分
 文学には、悲劇と喜劇ともうひとつファルス(ユーモア)が
あると信じで活動した坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」
について解説をしていただきました。
 彼は明治39年に新潟市に生まれ、その後東京に出てきた
作家で「新日本地理」では宝塚歌劇にも言及している人です。
 前述の小説は、主人公の山賊が街道から八人目の女房と
なる女をさらってきたことから始まります。
 この女は美人ではありますが我がままな人で、山賊に七人の今の女房を殺すように命じ、男は六人を殺し、一番醜い女房を女の下女にしてしまいます。
 女はさらに都へ出て暮らすことを要求し、都では粋な物で身を飾り贅沢に過ごしますが、それにも飽きてきてついに首遊び(殺人)に熱中するようになります。
 男はやがて女のキリのない要求が嫌になり、再び山へ帰ることにします。
 男が女を背負って桜の満開の下を通りかかった時、男にしがみついていたのは美しい女性ではなく全身が紫色の老婆(鬼)で、その鬼の手に力がこもり男の喉に食い込んでいく・・・・というものです。
 この構成は能の「桜川」や「妹背山女庭訓」等と類以しており、正に古典に学んだものと言えそうです。
 桜の森の満開の下の秘密は誰にもわかりませんが、「孤独」というものだったのかもしれません。
 また男が何かなまあたたかいものを感じたとすれば、自身の胸の悲しみであったのでしょう。
2018/07/11のBlog
[ 13:56 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年7月11日(水)13時30分~15時
 京都の夏の夜は、全国的に有名なのは祇園祭の宵山や五山の
送り火等、魅力的な行事が目白押しです。
 そこで夏の催事を中心に京都の夜の見どころや行事について、
ご紹介していただきました。
 まず祇園祭ですが、有名なのは7月17日に行われる山鉾巡行
ですが、17日の夕方5時に行われる神幸祭と24日に行われる
還幸祭のお話しもお伺いいたしました。
 前者の神幸祭とは、神輿が八坂神社を夕方出発して市内を練り歩き、疫病を鎮めるために24日まで御旅所に鎮座するものです。
 また後者の還幸祭とは、前述の御旅所に鎮座していた3基の神輿が24日の午後5時ごろから祇園鉾町など所定のコースを巡って八坂神社へ戻る神事のことです。
 次に伏見稲荷大社の宵宮祭(7月21日)の紹介があり、この祭りは日々の神恩に感謝する大祭で、提灯や燈籠に火をともす神事です。
 そして7月20日~29日に行われる下賀茂神社の御手洗祭の紹介で、土用の丑の日に境内に流れる御手洗川に足を浸して無病息災を祈願するものだそうで、「足つけ神事」とも称されている由です。
 その他、「火伏せの神」として古くから厚い信仰を集めてきた愛宕神社の千日詣(7月31日)や五山の送り火(8月16日)等についてもお話しをしてくださいました。
2018/07/10のBlog
[ 14:17 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年7月10日(火)13時30分~15時
 世界屈指の美の殿堂「プラド美術館」(スペイン・マドリード)
は、1819年に王立美術館として開設されました。
 7000点を超える絵画コレクションには、ゴヤ等のスペイン
画家の作品の他、ラファエロ(イタリア)やルーベンス(フラン
ドル)らの絵画も含まれています。
 今回の展覧会(兵庫県立美術館:6/13~10/14)では、日本
ではまとまって見ることの難しいベラスケス(写真の銅像:
バックはプラド美術館)の作品が7点も展示されているとのことです。
 プラド美術館と言えば何と言ってもベラスケスで、何しろ同美術館にはベラスケスの部屋があり、門外不出のあの”ラス・メニーナス(女官たち)”がその中央に展示されています。
 今回来日した彼の作品の最初は、「モンタニュースの肖像」という彫刻家がフェリペⅡ世の粘土像を造っているところの絵で、タッカがフェリペⅡ世の騎馬像を制作する参考に描いたものと言われています。
 次にご紹介いただいた作品は、「メニッポス」という古代ギリシャの哲学者の肖像画で、メニッポスは奴隷の出身で、その後市民となって成功しますが、最期は自殺して生涯を終えた人だそうです。
 次は神話に出てくる「マルス」の肖像画で、マルスは軍神でヴィーナスの浮気相手としても知られていますが、この絵画は飾らないベラスケスらしいタッチで描かれています。
 その他、「東方三博士の礼拝」や「王太子カルロス騎馬像」等についても解説していただきました。
2018/07/09のBlog
[ 13:42 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成30年7月9日(月)13時30分~15時
 兵庫県阪神シニアカレッジ(高齢者大学)の新学舎建設の
記念として、同カレッジの園芸コースのセミナーがありました。
 現在 各コースの授業は、宝塚市・尼崎市・西宮市・伊丹市
に分かれている由にて、このたび新学舎に集中することに
なったものです。
 なお、新学舎は宝塚市役所に隣接した土地に建築中で、
来年4月開校を目指しているとのことです。
 さて本日のセミナーですが、都市に住む家庭でも園芸や菜園を楽しめるための具体的なヒント等を中心にご教示いただきました。
 園芸が私たちの身近になりましたのは、1990年に大阪の鶴見緑地で開催されました花の博覧会が契機になったと言われています。
 この時に、世界の国々から今迄知らなかった花や、斬新な植え方・飾り方等が来日し、紹介されて園芸の窓口が広がりました。
 その後私たちの好みも多様化し、シブイものより美しい花を咲かせたいと思うようになりました。
 さらに他の人にも見てほしいとの思いから、おしゃれなオープンガーデンへと嗜好が変化しました。
 自身の植え方等につきましては、たとえば布引のハーブ園(写真)を参考にしてレイアウトを考えるのも手法のひとつだとのことで、その他ハーバーリウム(ビン詰)や地域の花壇造りにも言及されました。
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