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2020/10/30のBlog
[ 07:38 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年10月29日(木)10時~11時30分
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、日々の生活様式は
一変してしまいました。
 すなわち外出の自粛、在宅勤務、ストレスの増加等々やはては
コロナ離婚まで話題になっています。
 このようなことから、改めて家族の在り方を見つめ直すことを
テーマに古代の家族や結婚に触れようとする講座がありました。
 今回は「古事記」や「万葉集」等を引用してのお話しです。
 まず「出会い」についてですが、「古事記」の上巻・大国主と
須勢理比売の場合は「須勢理比売、出で見、相婚きまして(目と目を合わせて、結婚し)還り入りて、父に言ひしく「甚麗しき神来ましぬ・・・」と自分で決めてから親に報告しています。(直線的)
 また「万葉集」1759番には「鷲の住む、筑波の山の・・(中略)・・人妻に、我も交はらむ、我が妻に、人も言問へ・・・」とあり、多数の男女(既婚者も)が集まって、飲食し歌舞し性的開放をする習俗があって、これを「歌垣」と言うとのこと。(結構オープン)
 なお「結婚」の決定や認知については「双方からの求愛・求婚」→「本人同士の合意(父母は事後承諾)」→「女親の承諾、宴会を開き社会的認知を受ける」だそうです。(参考:丹後国風土記)
 そして「家族のかたち」ですが、(1)通い婚、(2)妻方居住、(3)独立居住 があり、夫婦は流動的で不安定ですが、母子の絆は固い由。(参考:「万葉集」665~667番の恋歌)
2020/10/22のBlog
[ 13:59 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年10月22日(木)10時~11時30分
 西洋の文化や価値観の基礎を作り上げた古代ギリシャの哲人
ソクラテスについてのお話しがありました。
 彼(BC469~399)はアテナイ(アテネ)の人で、風貌は小柄・ギョロ目
獅子鼻で日常は裸足で生活していたためか、屈強な肉体の持主
であった由です。
 性格は勇敢で謙虚(自分のことを無知だと認識)だったとか。
 日々の生活は広場や運動場などに足を運び、様々な人々に様々な
話題について「対話」を行っていたようです。
 ただ彼は彼を厭わしく思う人によって告発され、敗訴して死刑になっていますが、これは彼の「対話」が「国家が認める神々を認めず、他の新奇な心霊を導入して若者を堕落させた」からだとか。
 では・・・ 彼の「対話」の意味ですが・・・
 「神が嘘をつくはずがない(神託で、ソクラテスよりも智者・賢者はいない)」という確信と、「自分は無知」という自己評価の狭間で、当時の賢者達(政治家・詩人・職人・・・)と「対話」を始め、自分よりも上の人を発見(神託の誤りを)しようとしました。
 たとえば政治家は国レベルで幸せを考えている人だと思っていたが、「対話」の結果 私利私欲で動いていることがわかり、自分より上の人を発見できなかった・・・等々。
 結局 人間の中に完璧な人は居なく、自分が無知であることも確信していないことがわかり、だから「対話」によって自分のレベルを「徳」を備えることが正しいと思うようになっていったとのことでした。
2020/10/20のBlog
[ 18:02 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年10月20日(火)14時~15時30分
 音楽の総合芸術と言われるオペラの講座がありました。
 オペラは、お芝居、バレエ、アリア、アンサンブル、オーケ
ストラ・・・等々、様々な音楽のジャンルに接することが出来
ます。
 今回は多数あるオペラの中から、比較的人気の高いモー
ツアルトの不功の名作とも言われる「フィガロの結婚」が取り
上げられました。
 これはフランスの劇作家・ボーマルシェのフィガロ三部作の
第二部で、「セビリアの理髪師」(ロッシーニ他)の続編にあたるものです。
 ストーリーは、フィガロ(伯爵家の従僕)とスザンナ(小間使い)の結婚当日、スザンナに横恋慕するアルマヴィーヴァ伯爵が彼女との逢引きを試みますが、伯爵夫人とスザンナの作戦により失態してしまいます。
 しかし、伯爵夫人はあえてこれを許し、大団円になるというものです。
 聴きどころは、よく単独でも歌われる「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」(フィガロのアリア)や「恋とはどんなものかしら」(ケルビーノのアリア)等があります。
 なお作曲家のモーツアルトは、1756年にオーストリアのザルツブルグに生まれ、早くからその才能に注目され、父・レオポルトはヨーロッパ各地を演奏旅行させています。
 しかしモーツアルトは1791年に35才という若さでウィーンで亡くなりました。
2020/10/17のBlog
[ 18:15 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2020年10月17日(土)14時~15時30分
 股関節・膝関節や腰椎の痛みについてのお話しでした。
 まず「変形性股関節症」についてですが、これは軟骨がすり
減る病気のことです。
 治療方法としましては、軟骨がまだ残っており痛みも軽度な
場合は鎮痛薬により疼痛をコントロールするそうですが、軟骨
がなくなり痛みが強くて歩けない時は手術をすることになります。
 次に「変形性膝関節症」のことですが、これは軟骨がすり減る
病気のこととのことです。
 この治療としましては、主として鎮痛剤の使用か人工膝関節置換術という手術で対応するそうですが、出来るだけ痛くない手術を目指しているとかで、術後管理はリハビリはもちろんのこと、場合によっては関節周囲多剤カクテル注射を行う由です。
 続いて腰椎の痛みについてですが、これのひとつに「腰部脊柱管狭窄症」があります。
 病態としましては、腰椎変性側湾症や腰椎分離すべり症等があるとのこと。
 薬物療法としましては、ルルカやカロリーナ等を使用するそうですが、改善しない場合はやはり手術(病態により異なる)ということになるようです。
 なおこれら病気治療の前提としまして「健康寿命を延ばす」ことも重要で、そのためには「生活習慣病の予防」「バランスのよい食事」「適度な運動」に心がけてほしいとのことでした。
2020/10/16のBlog
[ 15:28 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年10月16日(金)13時~14時30分
 めずらしい女性講談師のお話しを聴かせていただく場があり
ました。
 講談はもともと「平家物語」や「太平記」等の軍記物語をその
中心として起こったものの由。
 講師は「修羅場読み」に興味があって、若い時に講談塾に
入ったのだそうです。 その中で・・・
 (1)講談のリズムが好きになった。
 (2)歴史に興味がわき出した。
 (3)勧善懲悪がここちよい。
 (4)中国の韓非子に共感をおぼえた。
・・・等々により、正式に講談の道を歩むことになったのだとか。
 講談で使用するものに、しゃく台・張扇・子拍子・扇子・手ぬぐい等があり、早速聴かせていただきました。
 第1席は、「明智左馬之助の湖水渡り」で、光秀が本能寺で信長を討つも、山崎の合戦で秀吉に敗れた時、左馬之助は安土城で留守役をしていたが、光秀の敗戦を知って居城・坂本城に帰るため、馬で琵琶湖を渡ったという話し。
 第2席は、「秀吉と易者」で、秀吉が信長に仕える前にある易者(後の安国寺恵瓊)と出会い、三公(左大臣・右大臣・太政大臣)になる相だと言われる話し。
 第3席は、「宇治川の一番渡り」で、平家物語から佐々木・梶原が宇治川の一番渡りを争う話し。
2020/10/15のBlog
[ 18:10 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2020年10月15日(木)14時~15時
 新型コロナウイルスの感染が未だ終息をみないなか、私達の
生活様式も変化しつつあります。
 そのような中で、ウイルスや薬局について講演会がありました。
 まず新型コロナウイルスですが、これは2019年12月に中国
湖北省武漢市で発生した原因不明の肺炎について、「SARSー
COV-2」というウイルスが原因と判明したものがスタートだとか。
 この新型コロナウイルスは主として「飛沫」「接触」により感染する
と言われています。
 (1)飛沫 ⇒ 感染者のつば等と一緒にウイルスが放出されて感染する。
 (2)接触 ⇒ ウイルスのついたものに触れ、その手で口や鼻を触ることにより感染する。
 なお新型コロナウイルスの症状ですが、多くの場合は発熱・咳・頭痛・倦怠感で風邪に近いものです。
 また他にも下痢・のどの痛み・嗅覚障害・味覚障害を訴える事例もあり、多くの場合は軽症ですが、高齢者や基礎疾患のある人については重症化することもある由です。
 なおマスコミ等で「濃厚接触者」という言葉をよく耳にしますが、これは「陽性患者と同居あるいは長時間の接触があった者」「手で触れる距離で予防策なしで患者と15分以上触れた者」とのこと。
 そこでまずかかりつけ薬局を決めておくことが重要なことで、1つに決めておくことにより薬をまとめて管理が出来、複数の医療機関からの薬のダブリ等にも気づくメリットがある由。
 その中でかかりつけ薬剤師を決めておくと、治療のサポートにもなるとのことでした。
2020/10/14のBlog
[ 17:58 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年10月14日(水)11時~12時30分
 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀の謎につつ
まれた前半生(特に、生年や出生地等々)についてのお話しが
ありました。
 まず生年の謎ですが・・・・・
 (1)享禄元年(1528)生まれ説:「明智軍記」による。
 (2)永正13年(1516)生まれ説:「当代記」による。
 (3)天文9年(1540)生まれ説:「江戸時代の川柳」による。
・・・・・等々がある由にて、(2)の説をとりますと「本能寺の変」
の時には光秀はすでに67才であったことになります。
 またいづれの説をとりましても、光秀は鼠年生まれでした。(織田信長は午年生まれ)
 次に出生地候補ですが・・・・・
 (1)岐阜県恵那市明知町;光秀産湯の井戸、光秀供養塔、明知城跡等々あり。
 (2)岐阜県可児市瀬田:明知荘、明知城、光秀産湯の井戸等々あり。
 (3)岐阜県山県市:光秀の母が懐妊の折、「たとえ3日でも天下を獲る男子を授けたまえ」と祈った場所。
 (4)滋賀県犬上郡多賀町佐目:光秀の父が住んでいた所。
・・・等々がある由です。
 なお光秀は「本能寺の変」「山崎の合戦」の後も生存していたとする説もあるようでした。
2020/10/12のBlog
[ 18:42 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年10月12日(月)14時~15時30分
 中国・明時代に登場した処世訓「呻吟語」について学ぶ機会が
ありました。
 「呻吟」のもともとの意味は、「苦しみあえぐ声」だそうですが、
内容は決して堅苦しいものではありませんでした。
 すなわち日々に役立つ知恵が満載で、たとえば「人間の品格
とは」「暮らしの心がけは」「世の中の流れへの対処は」・・・等々。
 著者は呂坤(1536~1618)という人で、実に30年の歳月を
かけて書き上げたと言われる処世訓の傑作だとか。
 冒頭の「性命篇」は陽明学の最重要テーマであった人間の本性や運命について、また続く「存心篇」は心の在り方についての言葉を集めている由です。
 日本での高名な愛読者のひとりに大坂奉行所の与力であった大塩平八郎が居り、1837年の挙兵の思想的背景に陽明学があったとのことでした。
 具体的に名言集の一部をご紹介しますと・・・・・
 ・人の最大の過ちは自分だけが正しいとし、自分だけを守ろうとすることだ。(修身篇)
 ・うわついた議論が横行する風潮に心が痛む。(世運篇)
 ・多くの人が言っているから正しいとは限らない。(治道篇)
 ・あの世へ持っていくものは「物」ではなく、「心」である。(存心篇)
 ・才能と学問は剣のごとし。(問学篇) ・・・・・等々
2020/09/24のBlog
[ 13:09 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年9月24日(木)10時15分~11時45分
 戦国時代の覇者・徳川家康の後半生の講座がありました。
 1598年に天下人・豊臣秀吉が逝去し、その後秀頼の後見人
前田利家が1599年に死去しますと、家康の一人勝ちとなり、
五大老の前田利長、続いて上杉景勝へ謀略を仕掛けます。
 やがて石田三成が西国大名を中心に挙兵しますと、これとの
合戦に切り替えます。
 家康は関ヶ原の合戦に当たっては、いろいろと手を打ちました。
 (1)北政所の甥・小早川秀秋の寝返り工作
 (2)黒田官兵衛・長政父子ら、秀吉子飼いの武将の取り込み
 (3)京極高次が居城・大津城を死守し、立花宗茂をくぎ付け
 (4)毛利一族は吉川広家との約束で結局動かず ・・・・・・・・・・ 等々
 家康は関ケ原の勝利後は大名の配置換えを行い、大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼしてしまいます。
 家康は征夷大将軍に就任して江戸幕府を開きますと、豊臣家の滅亡を見届けて征夷大将軍の位を秀忠に譲り、大御所として浜松に隠居いたしました。
 大御所とは摂政・関白や征夷大将軍等の実父の尊称で、第一線を退いても影響力を持つ長老の意。
 そして家康は1616年に75才で駿河城において永眠いたしました。 辞世は・・・
 「嬉しやと ふたたびさめて 一眠り うき夜の夢は あかつきの空」
 「先にゆき あとに残るも 同じこと つれて行かぬを 別れとぞいう」
2020/09/18のBlog
[ 18:03 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年9月18日(金)11時~12時30分
 ヴァイオリンと音楽史にまつわるトークのコンサートがあり
参加してきました。
 私たちの音楽は原始時代からあったとかで、古代の遺跡
や古墳の壁画からも明らかであるとか。
 ただ学術的な音楽史ということになると、西暦800年頃の
グレゴリオ聖歌あたりからである由。
 このグレゴリオ聖歌は、カトリックの僧侶(グレゴリア1世等)
が教会で日頃から歌われていた讃美歌をまとめたものとの
ことで、どこで歌われても同じメロディーになるよう、五線譜の原形が出来たのもこの頃だそうです。
 そして中世に入りますと、宗教色の濃い教会音楽から王侯貴族のサロン等で食事やお遊び時のBGM的な役割を担う深みがあり静かな宮廷音楽へと移っていきました。
 それが1300年頃のルネサンス、1500年頃のバロック、1700年頃の古典音楽です。
 まず演奏の1曲目は土着の音楽から「ユダヤの母」、続いて「アイリッシュ」(民族音楽)を聴かせていただき、これら市井の音楽をサロン風にすれば・・・と、バッハの「メヌエット」をご披露くださいました。
 やがて各地で革命の風が吹き荒れ、貴族が衰退し庶民が歴史の舞台に躍り出ると、音楽も地域性のある華やかなものへと移行し、ショパンがポーランドのポロネーズを、ブラームスがハンガリアン舞曲を、ドボルザークがチェコのメロディーをひっさげて登場いたしました。
 最後の演奏は、「ハンガリアン舞曲・第5番」、「チゴイネルワイゼン」でした。
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