「一生を賭けるだけの価値あるビジネス」

(乗客は駐機場に降りて搭乗機まで歩く・クアラルンプール国際空港)
2012年7月2日
「一生を賭けるだけの価値あるビジネス」
<LCCを率いてアジアの空に挑む>

 日本でも今年から、国内の航空路線に格安航空会社(LCC=ローコスト・キャリアー)3社が相次いで就航する。先陣を切ったのは、3月1日から札幌、福岡への運航を始めた全日空系のピーチ・アビエーション。関西空港を拠点に国内線5路線、国際線3路線に就航する。ほかに、エアアジア・ジャパンが8月から、ジェットスター・ジャパンが12年末までに国内線に就航する。

 すでに東南アジアでは、マレーシアのLCC「エアアジア」が既存の航空会社をしのぐ規模にまで成長している。2001年に設立され、安さを売りに急成長した。設立時は2機だったのが、今は100機を超える。年間の旅客数も2003年の148万人から、2010年は1605万人にまで増え、フラッグ・キャリアのマレーシア航空よりも多くなった。

 エアアジアは24ヵ国・地域の80都市に165路線を飛ばす。日本へは羽田空港に週3便、関西空港に週4便を送る。価格は燃油代も含めて片道1万4千円〜7万円。既存の大手航空会社の半額以下。従来、航空会社が運賃に含めていた各種サービス料を「その都度払う」方式に変え、新たな客層を取り込んだ。例えば、食事代は運賃に含まれていない。座席指定も有料。

 コスト削減は徹底している。一度に運べる乗客集を増やすため、エコノミー席は横に9列と1列増やしたので、エコノミー席が狭いなど、乗り心地は劣る。また、空港使用料を節約するために、ターミナルには搭乗橋がなく、乗客は駐機場に降りて飛行機まで歩く。

 一方、乗客にとっては不便な点も多い。LCCは1日でより多くの路線を飛ばすため、空港での折り返し時間が短い。前の便の遅れがそのまま次の便の遅れにつながる。搭乗を始める時間も早くなりがちで、締め切り時間ギリギリだと乗り遅れる可能性もある。

 それでもアジアでは00年以降、LCCの設立が相次ぐ。豪ジェットスター航空やシンガポールのタイガー・エアウェイズなどが生まれた。東南アジアのLCCのシェアは2001年の3.3%から、2011年には32.4%に増えた。アジアで飛行機を庶民の乗り物に変えつつある。

 そのあおりで、既存の航空会社の経営は厳しい。マレーシア航空は、旅客数が2002年に約1600万人だったのが、2009年は約1400万人にまで減った。営業赤字になるなど資金的に追い詰められ、昨年8月にエアアジアの支援を受けた。

(写真はエアアジアの主力機エアバスA320・クアラルンプール国際空港)
 
 さて、この春本格的なLCCとして国内線に就航したピーチ・アビエーション。最高経営責任者(CEO)は全日空を退社した井上慎一さん(53歳)。早稲田大法学部から1982年、三菱重工に入社。中国の発電所建設にかかわった後、1990年に全日空へ。北京支店総務ディレクターを長く務めた。08年1月、当時の社長から、「LCCでアジアの流動を取り込め。3年で飛ばせ」と厳命された。

 香港に居を移し夢中で勉強してみると、「LCCと既存の航空会社は似て非なるもの」と分かった。LCCは客が求めやすい価格を先に決め、そこから利益を引いた残りでコストを賄う。コストを積み上げ最後に利益を上乗せして価格を決める既存の航空会社とは発想が逆。

 仕組みを理解するにつれ、大手航空会社の下では成功はおぼつかないと悟る。全日空と縁を切らなければ、LCCとしてはダメになる。11年2月、自らは全日空を退職して退路を絶った。全日空を辞めるのは大きな決断だった。「オトコが一生を賭ける価値のあるビジネスだと思い、家族の協力・理解も得て、辞めました」。

 今年は「国内LCC元年」と呼ばれている。LCCとしての最大の目標は、これまで飛行機を使わなかった潜在顧客を取り込むことにある。それには何といっても低価格。関西空港のオフィスにはCEOの部屋はない。コスト削減のため井上さん自身も掃除当番に入る。そこで、LCCを率いてアジアの空にも挑む井上さんのLCCに賭ける思いを次に紹介させていただきたい。

(写真はピーチ・アビエーションの新造機エアバスA320・関西空港)

『<フロント ランナー> アジアの空に挑む低価格戦略』
ピーチ・アビエーションCEO 井上 慎一さん(53歳)
2012年3月24日付け朝日新聞より引用
 
 関西空港と福岡を最安値3780円、札幌まで4780円。長距離バス以下の運賃で3月1日に運航を始めた格安航空会社(LCC)を率いる。5月には国際線に就航、アジアの空にも挑む。

 客室乗務員が神戸の女性から手紙を渡された。年に数回、札幌に住む息子を訪ねる。以前なら、行きは飛行機で、帰りは安いフェリーを使っていた。「気軽に、往復とも飛行機に乗れます。ありがとう」。半月の搭乗率は目安の70%を超え80%超。これまで飛行機を使わなかった潜在顧客を取り込むという目標の達成に十分な手応えを感じている。

 低価格を生み出す工夫は徹底している。機種は一つ。座席間隔を狭め座席を増やす。社員が一人何役もこなす。空港での折り返し時間を短くし高頻度で飛ばす。予約やチェックインの仕組みも簡素だ。代わりに座席指定や荷物預け、機内食などは有料だ。

 欧米や東南アジアでは旅客数の3割を占めるLCC(ローコスト・キャリアー)だが、国内の本格的LCCは初めて。夏には外国勢と組んだ2社も参入、今年は「国内LCC元年」と呼ばれる。

 三菱重工で中国の発電所建設にかかわった後、全日空に入社。営業本部でアジア営業を長く務めた。2008年、当時の社長から「LCCでアジアの流動を取り込め。3年で飛ばせ」と厳命された時、LCCの知識はゼロに等しかった。でも香港に居を移し夢中で勉強してみると、「LCCと既存の航空会社は似て非なるもの」だと分かった。

 LCCは客が求めやすい価格を先に決め、そこから利益を引いた残りでコストを賄う。コストを積み上げ、最後に利益を上乗せして価格を決める従来の航空会社とは発想が逆だ。「スーパーとコンビニのように、ビジネスモデルがまったく違うのです」。仕組みを理解するにつれ、大手航空会社の下での成功はおぼつかないと悟る。全日空の出資比率は半分以下に抑え、自らは退職して全日空と縁を切った。9人の同僚も辞めて設立に参加してくれた。

 集中したのは「キュートでクール」なブランドづくりだ。狙いは家庭の財布を握り感度が高い25〜50歳の女性。社名には航空会社らしからぬ「桃」を選び、機体は安っぽく見えないよう女性の声も聞き、濃いめのフューシャピンクにした。

 安全には十分に気を配っているという。導入予定の10機は安全性に定評のあるエアバスA320で、すべて新造機。機長には、元日本航空の技術指導役や拉致被害者が北朝鮮から戻る際の特別機を操縦した元全日空機長など、「グレートキャプテン」がそろった。

 飛行機にあこがれる少年だった。自宅上を通過する米軍機を自転車で1時間追いかけたことも。三菱重工時代に天安門事件に遭遇、全日空が料金の支払いより搭乗を優先し、「偉い人もそうでない人も公平に先着順で乗せます」と扱う姿に感銘を受けた。航空業の魅力は、「人と人との交流を直接後押しできること」。日本型LCCの経営確立へ、起業家への思いがけない転身も「天命」と目を輝かす。(文・畑川剛毅)

(写真はピーチ・アビエーションのエアバスA320 機内の様子)

◆「全日空と縁切らなきゃダメ。一生かける価値がある」
 ○<手応え上々ですね。>
 ●「電車感覚」が受け入れられていると思います。予約の入り方も特徴的で、前日夜から搭乗直前にかけて増える。当日に値段を見て、「これなら乗ろうか」という「衝動乗り」の方もいるようです。機内食も好調で、就航翌日から搭載量を倍にしたのに品薄です。チケットが安いからその分、財布を緩めようとお考えのようです。

 座席指定が有料など、日本になじむのか、という声もありますが、納得してもらえる安い運賃をいかに示せるかだと思います。既存の航空会社は、お客様全員でコストを負担していただいていた。ベースの運賃は安くして、サービスが必要な人が応分に負担する考え方は公平性があると思います。

 ○<初めはLCCのなんたるかも分かっていなかった。>
 ●漫画みたいですね。シンガポールで開かれたLCCの経営者が集まる会議に出て、名刺を配って突撃取材を試みました。その中の一人が、ライアン航空元会長のパトリック・マーフィーさん。今、社外取締役をやってもらっていますが、話しているうち、「メーカの発想と同じだ。先に売値と利益がある。これならコストが下がる」とピーンときた。衝撃でした。

 もう一つの驚きは、安全以外は失敗を恐れない、新しい試みをやろうという気概に満ちた連中が担っていることでした。会議では馬鹿にされました。LCCは大手航空会社を「レガシー(過去の遺物)キャリアー」と呼びます。「レガシーの社員に分かるか」とはっきり言われました。

 ○<最初は海外に設立する予定だったそうですね。>
 ●煩雑な規制とか高い着陸料とかでコスト高になる日本では成り立たないと思っていたけれど、海外だと株の過半は握れないし、思う通りの運営はできない。下手したら単なる投資家で終わってしまう。思い切って日本で日本人がやった方がやりがいがある。

(写真はマレーシア・クアラルンプール国際空港のメインターミナル)
◆競合こそ利益
 ○<結局、全日空の出資比率は39%で、関連会社に。>
 ●LCCの歴史は死屍累々。特に大手航空会社が作ったものはほぼ全滅です。子会社だとレガシー化してコストが上がり、運賃は下げっぱなしだから倒産。全日空にも出資比率には議論がありましたが、成功させないと意味がない。なら、成功の蓋然性を高めるため子会社にせず、役員も出資比率に応じて出してもらうことにした。

 ○<社名も斬新です。>
 ●社員が出した五百数十の候補は面白味がなく2回ダメ出し。問われて、例えばと出したのが桃です。桃太郎があり、中国では不老長寿の象徴で、韓国では桃の夢は子宝を授かる吉兆。なじみがあって、しかも他社と差別化できる。

 ○<全日空は大手と組んで2社目のLCCを作りました。>
 ●驚きましたね。でも、1997年に欧州の空が自由化されて10年で旅客数は倍増。レガシーの客数は横ばいでLCCが倍にした。これこそ潜在需要を掘り起こした証拠です。我々が狙う国内、日本とアジアの間で潜在需要がどれだけあるかを考えれば、2社や3社で埋めきれる大きさではありません。逆に日本では、LCCへのなじみが薄い。実績のある他社が参入してくれた方が理解の助けになる。

 ○<なぜ関空を拠点に?>
 ●狭い座席間隔の3列並びの真ん中席で我慢できるのは4時間が限度。自分で実験して確かめました。関空は東京より1時間アジアに近く、4時間圏内に中国沿岸部の主要都市、台湾、韓国、香港が全部入るぶん、有利です。

 24時間空港で発着枠に制限がなく、高稼働運営ができます。LCC専用のターミナルも出来ます。関西はダメと言われてきましたが、後背地人口は2千万人を超え、域内総生産は韓国一国に匹敵する。ダメなはずがない。

 ○<羽田空港への発着は。>
 ●当面飛べません。1機が1日に飛ぶ時間を最長にし、1便当たりのコストを最小にする。全日空が国内線で8時間、我々は12時間を目標に、折り返し時間は30分と短い。発着枠に余裕がなく、飛ぶ時間に制約のある羽田のような混雑空港は高機材稼働が担保出来ません。

◆全部入札に
 ○<マーフィーさんにずっと師事されているとか。>
 ●メッセージが明快です。コストがかかることは考えるなと。収入は火山の噴火とか戦争とかで乱高下する。管理できるのはコストだけだから。もう一つ、物事を決めるプロセスは全部入札にしろと。井上の友人だから頼むではコストが上がる。しがらみを断ち、意思決定の透明性も担保できると。

 ○<全日空を辞めたのは大きな決断だったのでは。>
 ●「全日空と縁を切らなければLCCとしてダメになる」と言っている自分が、出向で縁が繋がっていたら矛盾します。正直、悩みましたが、男が一生をかける価値のあるビジネスだと思い、家族の協力・理解も得て辞めました。

 ○<夏には2社が参入します。差別化のポイントは?>
 ●2社は成田が拠点で、それぞれ豪州、マレーシアの大手との合弁。こちらは100%日本の運営で、日本ブランドが使えます。日本人は「もてなす」感覚に優れています。その強みを前面に押し出していきたいと考えています。(了)