私の弱さ強さを知ってくれている人を持っている幸せ

県事務所が交通費負担すると連絡があり授賞式へ行きたいから、私と2人しかいない話し手の片方に、19日の啓発の講話役を代ってほしいと頼んだが、断られた。

「その日は大切な会議がある。どうしてもというなら代わってあげてもいいけれど、20日の大事な準備の仕上げがあるだろうし、どうしてもというなら代わってあげてもいいけれど日帰りで体調を壊したら大変だ,.東京行きは断わって万全を尽くしたらどうなの」といくら食い下がってもダメだった。

パネルなど提出するものや準備するものは早く仕上げて、ほかの会の準備を先に手伝うことで、19日準備を任せれれば、授賞式に出てとんぼ返りすれば間に合うと欲をかいていました。 けど、自分の責任だから仕方がないと、県事務所にもお断りした。

でも違う方向から聞こえてきた。
彼女の属する会の畏怖してやまない会長とご主人が彼女の大役の就任を祝って、調理室の空いている日に定例会を移して調理実習をして、会を挙げてお祝いしてくれたそうです。うれしかっただろうな。

言いにくかったのだろうけれど、気を持たせておためぼかしを言うより、理由を言ってくれれば食い下がらず、私もお祝いしできたのに。

泣き言を聞いてくれる仲間にこの愚痴は言いにくい。だからと言って親友に電話でこぼしていると料金がかかりすぎるので、30年ぶりに半日高速に乗って親友の家に泊まりに行った。
お神酒徳利と言われた高校生時代にすぐに戻れる有難さ。気遣いや余計な説明のいらない愚痴は、短時間でほぐれてくる。
仲間もだが、私の弱さや強さを知っていてくれる人を持っているという幸せは格別だ。