社会起業を再定義?

さて、お疲れさまです。

またまた、更新です。
いやぁ、何人か元学生の方が気づいてくれて嬉しいですなー!

ってことで、第二弾として今回は「社会起業」という言葉について考えてみます。

このCOCOCHIも含め、最近「社会起業」ってよく言いますよね!

よく言われる社会起業の定義は…
ビジネス的手法を用いて社会問題を解決させる仕組み
ってとこでしょうか?

ただ、僕は福祉専攻で大学・大学院で勉強しているので、このビジネス的手法っていうのが、イマイチ分かっていません。やから検討違いの事を言うかもしれませんがご勘弁!!

でも、多くの事例を見ていて思うのは、「これって本当にビジネス的手法?」っていう印象です。

社会起業の財源確保は補助金など+事業収入って感じかな?
まぁ、いうまでもなく補助金っていうのは非営利の部門ではかなり大きな財源になっているからこれはビジネス的手法ではないと思います。
事業収入って話聞いたら、ビジネス的なのかもしれないけど、この内訳って何があるかなーって考えたら、例えばホームレス支援の場合は生活保護費の一部が収益になるし、介護保険や障害者自立支援法の事業の場合はその補助金が収益になります。ってことは間接的に考えれば国からの委託金って感じだよね。

それ以外の事業収入って意味では、支援を受けてた人がものづくりしてる場合の収益とかかな?でも、これって多くが「障害者が作りました」とか、「この製品はフェアトレードです」とかっていう販促でやってるよね!
これって海外大手のNGOが寄付金集めるときにやる「寄付いただければ、アフリカの子ども○人がワクチン接種されます」ていうのと変わらなくないかと思います。
製品を通じたらビジネスってことなのかな?でも、その売り方って本当の意味でのビジネス的手法なのかなっていう疑問があります。

自分の研究関心のフェアトレードに関して言えば、フェアトレードって「支援じゃない」っていう誘い文句で製品売ってるけど、今、世間ではそういう社会貢献ブームだから製品売れてるだけだし、製品買ってる人ってビジネス的な視点とは別の角度から製品買ってると思います。
まぁ、フェアトレードをブランド化したらそれは立派なブランド戦略っていう考えでビジネスだと考える人もいるかもしれないけど、それって、製品の生産者に「私は、貧困問題の犠牲者です」っていうスティグマを持たせる意味合いもあるし、第一、貧困から脱却しようとしてる人が社会起業によって「自分が貧困である」ことを再認識させられてしまうこと、また、今のブームの中でだけ、生活が改善される「一発屋」になりかねないんじゃないかな?

で、僕が何を言いたいかというと…、「今の社会起業的な活動はビジネスと縁遠いからもっとビジネスライクにしなさい!」とかではなく、

むしろ、みんなのいう社会起業って結局のところ、ビジネス的手法で社会問題を解決させてるんじゃなくて、福祉や開発の旧パラダイムに代表されるような慈善っていう
援助者→クライエントっていう一方通行性を

援助者←→クライエントっていう双方向性にした、

そうすることでクライエント自身のエンパワメントを助長する他、援助者の見返りを多少考慮したっていう点が少し変わったって事じゃないのかなと思います。その双方向性をwin-winっていうビジネスで見られる関係性と合致したから、社会起業っていってるんじゃないのかな?

だから、ビジネスなんて言葉にこだわらず、こういった活動を進めていく事が良いんじゃないかな?

だって、80年代のグローバリゼーションの中で世界の貧困問題を悪化させ、南南問題を生み出したのは、ビジネスだよ!
その原因は情報の非対称性であって、これは人々の持つ力や市場にアクセスする力に差があった事なんですって!

正直、僕はこの情報の非対称性が世界70億人でその差がなくなるとは思えないです!
だから、社会問題解決にビジネス的手法を用いすぎるのはどうかと思います。

以上!調子乗った更新でした!