愛情をもって尋ね続けることで部下を育成

愛情をもって尋ね続けることで部下を育成

江口 克彦 :故・松下幸之助側近 2016年02月12日

そう聞かれた時の嬉しさを、今でもはっきりと思い出すことができる。嬉しかった。昨日までの憤然とした気持ちとはうって変わって嬉しかったのである。心躍る気持ちで、おもむろに内ポケットからメモを取り出すと、丁寧に、得々として説明を始めた。

30分ほどはかかったと思う。松下は昼食に箸もつけずにそれをじっと聞いてくれていたが、私の説明が終わると、にっこり笑って「うん、ようわかった、ようわかった」と頷いてくれた。昨日までは1回だった「わかった」が、その時は2回「ようわかった、ようわかった」である。表情も満足げだ。その1日、私は嬉しく思いながら過ごした

夕方になって、松下が帰りの車に乗りこむとき、私は吹きこんでおいた録音テープを手渡した。「今晩、時間があればどうぞお聞きください」

「ああ、そうか」と松下は無造作にテープを受け取ると、ポンと車のひじ掛けのところに置いた。その受け取り方を見て私は、これはたぶん今晩は聞いてくれないだろうと思った。しかしまあいい、報告はうまくできたのだから、と十分に満足だった。

「きみ、いい声しとるなあ」

翌朝、松下の車がやって来た。いつも私が車のドアを開け、顔を合わせて「おはようございます」「おはよう」という会話になる。ところがその日、松下は何も言わずに黙って車を降りた。今日は機嫌が悪いのだろうか。仕方がない、今日1日付き合わなければいけないなと思った。

しかし、そういうことではなかった。車から降りると、私の立っている真ん前に立ち、松下は私の顔をじっと見つめた。ほんの10秒ぐらいの短い時間のはずだが、それは15分間以上にも感じられる一瞬だった。私は当惑して、いったい何だろうか、何を言われるんだろうかといぶかった。その一瞬の間をおいて松下は私にこう言った。

「きみ、いい声しとるなあ」

その言葉を聞いたとき、私は不覚にも涙のでる思いがした。

「聞いたよ」とか「わかったよ」ではなかった。「きみ、いい声しとるなあ」という言葉には「よく気がついた」「よくやった」「よく内容もちゃんと報告してくれた」というすべてが含まれていた。そのようなことは以心伝心、はっきりとわかるものである。私の吹きこんだテープを聞いてくれていた。聞いてくれただけではなく、その努力を、熱意を認めてくれたのだ。それだけではない、内容も評価してくれた。「きみ、いい声しとるなあ」という松下の言葉から、それだけの意味と心が自然に伝わってきた

感激した。大仰な言い回しになってしまうが、「この人のためなら死んでもいい」という気持ちになっていた。

しかし、私はここで感激したということだけを申し上げたいのではない。松下が同じ質問を繰り返し私にしているということは、すなわち部下の答えがいいか悪いかよりも先に、「この社員を育ててあげよう」ということを優先させているのである。だから「そんな答えでは中途半端だ」とは言わなかった

同じ質問を繰り返す。繰り返しながら、部下が自分で気がつくまで根気よく待つ。

「それは駄目だ」「そんな答えは答えになっていない」「お前は役に立たない」。松下は、22年間をそばで過ごした間、1度もそういう言葉は言わなかった。本人が気がつくまで、自覚するまで、根気よく尋ね続ける。その松下の姿勢には、若い者や部下を、育てたいという愛情があることを私はつねに感じていた。