お帰りなさい お千代さん 〜その3“51年ぶりだョ お千代さん”

さて3回にわたってお届けした、養父市明延地区の取組み「おかえりなさいお千代さん 〜明延想い出コンサート」も今回がラストです。(%音符1%)
鉱山最盛期のヤマの象徴となっている島倉千代子さんが51年ぶりに明延を訪れます。島倉さん、当時は20才。全国各地を飛び回っておられたと思いますが、大屋の山奥、明延の印象はいかがだったでしょうか。また、明延には一円電車に乗ってきたのでしょうかね・・・。(%ニコ女%)

島倉さんを乗せた車が姫路を出発後、今どこを走っているかが区内の有線放送で案内され、ちょうどお昼過ぎに到着した際には大勢の住民が島倉さんをお迎えしました。(%ハート%)

さて息つく間もなくリハーサルです。(%CD%)
ステージの状態確認。ひっかかりはないか、早着替えスペースはこれでいいかetc・・・。ここから、おおやホールスタッフ、自然学校スタッフが大活躍。(%ショック男%)(%ショック女%)
自然学校の食堂という既存施設を活用しているため、完璧な舞台とまではいきません。舞台の上手(客席から舞台を見て右側)の袖に着替えるスペースを作っていたのですが、それとは別に下手側に早着替えスペースが必要、とのこと。どこから用意してきたのかあっという間にこしらえました。指示された舞台のひっかかりもきれいに補修。素早い・・・・・。スタッフーの方お疲れ様でした。
リハは続きます。舞台上ではなにやら専門用語が飛び交ってます。
「暗転のきっかけください」「ここ、バミってください、おねがいしまーす」「次のタイミングでピンください、おねがいしまーす」・・・こっちはぽかーんと口を開けて見ていました。(%ショック男%)
そうこうするなか報道の取材もあったりして島倉さんも大忙しです。
15:30開演で30分前から開場予定だったのですが、足元の悪い中、1時間以上も前からえっさほいさと明延の方が集まり始めました。もう、まちきれませんよ。予定の時間をはやめて会場に入っていただきました。あっというまに席がうまります。えらい熱気です。(%ショック男%)

さて、基本的には撮影禁止ですが、事業の記録をする必要もあって撮影を許していただきました。一般の方との区別をわかりやすくするため腕章をお借りしました。うーん、気分は報道カメラマンですよ。(%ニヤ男%)(%ニヤ男%)

まずは広瀬市長のあいさつ。市長も顔がほほえんでいます。次に中尾区長。じーんと来ているようです。お二人とも、住民のみなさんが島倉さんの登場を待っていることを察知し、さらりと挨拶を済まされました。

(%音符1%)さあ、島倉さんの登場です。会場から歓声が上がりました。(%音符1%)
最初は、えんじ色のドレスで登場。曲の合間に舞台上で早着替え、シックな赤色の振り袖。いやー見事。
51年前の明延でのコンサートを思い出す島倉さんの語り。それを聞く住民の方も当時を思い出しているようです。みなさんの顔がとてもやさしくなっています。
「51年前、こちらの明延に来させていただいたとき、私は20才でした。当時のことを思い出して、今日は一番の振り袖を着ちゃいました(^_-)」「誰々、トシ計算してるのは(^^)/」トークもさえています。客席からは笑い声も出てます。
写真の白の着物も似合ってます。(%ニコ女%)
「客席で一番のご高齢の方どなた?」「どうぞ、おかあさん、舞台にあがって」
なんと、舞台で手を握りあい『東京だョおっ母さん』を熱唱。(%CD%)
いやー、もりあがったのなんの。客席をみますとハンカチを目にあててる方もちらほら。

あっという間に1時間あまりがすぎました。
島倉さんは10数曲を熱唱。51年前の明延を語り当時の流行歌をうたう島倉さんに、住民の方もタイムスリップ。歴史有る明延鉱山ですが、閉山後はまちも寂れる一方で、寂しい思いもされてきたとおもいます。そんなことも忘れさせる時間でした。

終了後、住民の方一人一人との握手です。皆さん喜んでます。
「また明延に来たいです。」と島倉さんの言葉。住民のみなさん、その日まで元気で、ご機嫌に暮らしましょう。(%ハート%)
自立計画の次回ワークショップでもしっかりと話し合いましょう。
(%ニコ男%)(%ニコ女%)(%笑う男%)(%笑う女%)

広瀬市長もしっかりと握手。(%笑う男%)(%笑う女%)

今日の島倉千代子想い出コンサートもそうですが、一円電車の復活への取組、ご機嫌暮らし委員会での取組・・・・前向きに進もうとしています。

本日(1/6)の神戸新聞でも『にぎわい運べ一円電車 地元住民ら定期運行へ募金活動』なんて記事を目にしました。

募金のことについてはこちら

明日の明延のために歩んでいきましょう。

くろ