東北支援に行って

H23年4月4日から9日まで、日本社会福祉士会からの要請で宮城県東松島市の地域包括支援センターのお手伝いに行ってきました。

 ※東松島市⇒人口約42.000人、市の海側四分の一が津波で壊滅的な被害を 受け、4月1日の時点で、死者1.000人、行方不明者400人

 「地域包括支援センター」は地域の高齢者の方々の相談窓口としてH18年に介護保険制度下に設置されたものですが、現地では職員の方々自身も被災され圧倒的に人手が足りず行政の組織が機能できない状態でした。

 そこで私たちは応援部隊として、地域包括に持ち込まれる多くの相談を聞き取り、課題を整理し職員に引き継いだり、避難所を巡回し皆さんの要望をお聞きしたり、自宅にとどまっている方々の様子を確認に行ったり、というようなことから始めました。また一般の避難所では受け入れが困難な高齢者や障害者を対象としている「福祉避難所」の聴覚障害者の方の「帰宅支援」として東北電力に通電を依頼し自宅まで付き添ったり、夜間に状態が急変した高齢者の救急搬送に付き添ったりとめまぐるしく一日が過ぎていきました。
ただ他の組織への応援は、いわば「よその家のお手伝い」のようなもので、組織の形や地域特性等、相手の状況に応じて臨機応変で柔軟な対応が必要で、最終的な判断や対応は現地の方々にお任せするという日頃の業務とは異なるスタンスを取らざるを得ず、戸惑いも感じました。

やがて後任の社会福祉士も到着し引き継ぎを終え、明日は現地を離れるという夜、震度6弱の余震に遭遇、ものすごい揺れに飛び起きました。津波警報まで発令され、福祉避難所に避難されていた高齢者を総がかりで車椅子に移乗、マイクロバスのエンジンをかけっぱなしにして何時でも津波から逃げられる準備をする等、一時は「もうダメか」と覚悟もしました。(家人に無理やり持たされた頭につける懐中電灯が大活躍!)
幸い津波警報もすぐ解除され被害も大きくは無かったのですが、ライフラインがまたストップ。(水道が止まると水洗トイレが使えない!)現地の職員の方の「あーあ、また振り出しにもどった・・・」との嘆きは切実でした。この経験で、やはり被災地に赴くという事は再度の被災への準備は周到にするべきだと痛感しました。

 日本社会福祉士会では継続して東松島市のほかにも、石巻市、南三陸町、盛岡市、大槌町、山田市、陸前高田市にも二人体制で継続して会員を派遣しています。復興までには長期の支援が必要です。一人ひとりが自分の出来る範囲で、息の長い支援を続けて行きたいと思います。(社会福祉士 高見則子)