福島原発事故で思うこと

66年前の8月、日本は世界で初めて「原子力」爆弾の投下を受けた。66年後の今年、「原子力」発電の事故が起きた。『核兵器の恐怖と、原子力の管理の困難さという人類に対する二つの警告が日本から発せられた。』 『原爆による被爆と原発被曝の両方の「負の遺産」を抱きしめて、日本自身が日本のあり方、国際社会での日本の役割を考え、行動する他ない。』(朝日新聞7月17日 ザ・コラムより)正にそのとおりだと思う。

 先日、福島での合同慰霊祭の様子がTVで流れていた。 防護服に身を包んで営まれていたその映像を見た時、私は言いようのない戦慄を覚えた。死者を弔う儀式でのまるでSF映画のようなその異様な光景は、瞼に焼き付き、なんともやりきれない気持になった。
 
 [安全かつ廉価でクリーンな原子力発電は未来のエネルギー」、そんなキャッチコピーに慣れ親しんで、電力を享受してきた私たち。「安全」という情報を今までのように鵜呑みにするのでなく、何が「正しい情報」かをキャッチ出来るよう学んでいくことも大事なことだ。
 価値観の多様化とi言われて久しいが、何を選択し、未来の暮らしをどのようなものにしていきたいのかを私たち一人ひとりが、今こそ考える時ではないだろうか。
 それは小さな事かも知れないが、無関心でいるよりは、余程大きな力に成り得ると信じたい。
(高上馬 悦代)