「民主主義と市民自治」 *後半* *2*

発表の仕方として、まず市民教育に関してはいくら話しても、結論がでない、後に残るのは絶望ばかりだ、と言い、観衆のこうくるだろうとの予想を裏切り少し驚かしました。笑いの見地から言うと、裏切りの笑いというやつで、少し深刻に滑稽に言ったのでほんの少しうけました。
 
 そして近頃の若者は無気力で何もやる気がない、と誇張を交えて話しました。若干笑いがおこりましたが、これは若者が若者批判をすることに対する面白さからでしょうか。はたまた年配の方が多かったので意見に対する共感の笑いと若者に対する多少の蔑みと優越感の笑いでしょうか。(どうしても芸人癖からか笑いの分析をしてしまいますがお許しくださいm(__)m)
 
 まあ小笑いですが、作戦通りツカミは少し成功したので(失礼!)、次は他の参加者の話を引用し、果たして若者だけがそうなのか、という点に着目しました。

 具体例から、例えば介護のサービスをNPOから受けているご老人たちは、サービスを受けるのが当たり前になり、文句は言うが出来る限り積極的に市民活動や社会活動に参加して、自分たちの環境を改善しようとはしない。主婦たちはボランティアに参加する際に育児サービスが無料でついていないと文句を言い、これは権利だからといって、NPO団体の事情も考えずに育児サービス料の六百円を払おうとしない。まだ地域によっては地域のドンと呼ばれる人たちが、いい大人なのに既得権益と自分たちの意地のために、変化を望まず、地域の市民自治の流れを阻害している。
 
 こうやって見るとひょっとすると日本全体が自分のことばかりを考え、他者を思いやらず、「市民」という感覚が欠けているのではないか、という論調になり、ではそういう状況においてどういった市民教育が必要でまた効果的なのかという話になってきます。

 その前に、笑いの山場を作っておこうと試み、日本人皆がそうだ、というのを表現するのに、かの有名なドリフの大爆笑のテーマをオマージュし、♪じぃさん、ばぁさん、パパにママ♪みんな人任せだ、といったのですが、ちょうど痰が詰まってしまいあまり声が出なかったのと、少し観衆の予想を裏切り過ぎたこともあって、笑いがおきなかったことが心残りです。
 
 ただその後に、皆自分の権利を主張するクレクレタコラだ、と発言したところ、意外な笑いがあったので、クレクレタコラが一般的に認知されている(多分)ことを発見しました。しかし笑いの世界は深いです。(後で調べてみますと、ご存知の方もおられるかもしれませんがクレクレタコラは昔のテレビ番組でした。私はある社会学者が言っていたのを聞いて引用したのですが、彼もまたその番組がら引用したのですね。)

 本当に色々話し合ったのですが、短い時間では市民教育をどうするのかという結論が出なかったので、とりあえず市民の日常生活とより結び付いた市民教育や、質やレベルを下げずに、面白くて分かりやすい市民教育の構築が必要だとまとめました。この経験を活かして、次回からセッションの段階から意識を変えて、より良いプレゼンが出来ればと思いました。笑いの面でも納得がいかなかったので磨いていきたいと思います。

 自治の学校に関してはまた報告します。(%晴れ%)

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