地名の由来を調べるシリーズ(黒川編)

今日は、朝来市の黒川(くろかわ)について書きます! 

黒川集落は、生野銀山から約10㎞、三方を標高700m以上の山々に囲まれ、市川の上流に位置します。

 地名の由来は、川の両岸から大木が枝を伸ばして昼も暗い幽谷で、岩盤が水垢で黒ずみ、水面が黒く見えることによるんですって。黒い川なんですね〜。おもしろい〜。

 「小右記」寛仁三年(1019)一二月九日条に「但馬黒河園等可充内供良円」とあるようです。平安時代から黒川(字は違うけど)っ呼ばれてたんですね。

 鎌倉期には荘園、江戸期には幕府領でした。生野より丹波・但馬方面との交流が頻繁で、文化的影響も大きかったとのこと。産業は農業が主流でしたが、農作は自給の域を出ず、林業も広大な山地を抱えながら、交通が不便なため発展せず、そのような中で製炭・飼牛・狩猟等が盛んでした。木炭は「黒川炭」として評価が高かったようです。

明治7年に奥銀谷小学校の支校が開校。のちの黒川小中学校。昭和60年、統合廃校となりました。現在は「日本ハンザキ研究所」(オオサンショウウオの研究施設)。
 また、昭和49年には黒川ダムが完成。生野奥地観光の中心となりました。

 参考 : 兵庫県の地名ⅠⅡ(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店)