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自分らしく生きるために,・*’☆from kirala
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2010/01/05のBlog
[ 21:29 ] [ 子どもの虐待、性暴力被害、予防法 ]
性教育バッシングが言われて久しいですが、たぶん、世間ではバッシングがあったことさえも記憶のかなたなのでしょうか。
学校だけでなく、社会内の公的機関でも、性教育だけでなく、「ジェンダー」「セクシュアリティ」「性の健康・権利」などの啓発に対して、ここ数年、激しいバッシングがあり、危険思想として弾圧され、男女共同参画政策の予算も年々削減されていると聞いています。


幸いなことに、キララには、非難・中傷は、これまでただの一度も届いたことがありません。
「幸い」といっていいのか・・・業界内の混乱ぶりや先人の方々が個人的に中傷を受けているのを見ていますので、心を痛めていたのは私も同じです。キララの性質上、非難・中傷の的にならなかっただけというのもありますが、それ以上に、地域の皆さんに守っていただいていたのが何より大きいです。それについては、本当にありがたく、感謝の言葉もないくらいです。


ここ数年、とにもかくにも、業界内の混乱ぶりは相当なものでした。
「踏み絵」があちらこちらにあり、露骨な弾圧が繰り広げられていました。そのさなかにいるたくさんの仲間や学校現場から、キララに悲鳴が届いていました。


ところが、昨年あたりから、少しずつ変化を感じています。
風向きが変わってきているようです。
政権が交代したのも大きな影響があるのでしょうが、どうやらそれだけではないようです。
「『バッシング』にひるんでいる場合じゃない!」という声を、よく耳にするようになりました。子ども・家庭が危険にさらされているのに、何も手を施さないことに、もう我慢ならないという人が、一人また一人と立ち上がってきているような感じを受けるのです。


キララにも、講師依頼が入ってきますが、その依頼の内容にこれまでと違いがあります。これまでは、どのテーマであれ、基礎知識を学習できるような、つまりは一般ウケするような内容の依頼が多かったのですが、昨年あたりから、具体的に踏みこんだ内容を依頼されるようになったのです。
たとえば、「性暴力(DV・セクハラ含む)」については、これまでは「予防」という観点が中心でしたが、今は「対応」を重点にした話の要請へと変化している、といった具合です。
それはどういうことを意味するかと言うと、性暴力を「対岸の火事」から、「自分の問題」として捉えるようになってきたということです。
天の声に恐れおののいていたら、足元が危なくなっていた、ということなのでしょうか・・・。


それだけ、「性暴力」が身近になりつつあるということの表れなので、喜んでいられる状態ではないのは言うまでもありません。ことはより深刻になりつつあります。


今、子ども・家庭にどんなことが起こっているのか、どんな問題が取り巻いているのか、次回以降、報道より拾っていきたいと思います。
2010/01/03のBlog
[ 11:24 ] [ 理事長のつぶやき ]
とても久しぶりの更新となってしまいました。

すっかり放置状態のブログと化してしまっていますこと、まずはお詫びいたします。

昨年は、私個人は、まさに「忙殺」の一年でした。
世間では、いろんな事件や出来事、社会変革がありましたので、考えること、発信したいことは山ほどありましたが、考えをまとめることさえも出来ない状態でした
どうかお許しください。

昨年のキララは、相談業務、講演等、細々と活動を行っていました。
講演については、学校、男女共同参画センター、大学などに招かれてお話をしました。

本年も、あまり大きなことはできませんが、地域の要請に可能な限りお応えしたいと考えています。
今年も、昨年同様、地道・着実に活動をしていく予定です。

ブログについては、気まぐれ&思い付いた時更新が続きますが(改善する気持ちナシ)、のんびりとお付き合いくださいますようによろしくお願いいたします。


2009/06/14のBlog
[ 18:37 ] [ 事件について思うこと ]
前回にも「二次被害」について書きましたが、今回は気付かないうちに与えてしまう「二次被害」について書いてみたいと思います。

 わたしたちが知らないうちに与えている「二次被害」

性暴力の被害に遭った人は、性別にかかわらず、年齢にもかかわらず、その後の生活に、確実に何らかの影響を受けます。被害の程度や状況によって、影響の大小に違いがあるのは否めません。年齢が低いほど影響は重大になりやすいと一般的には言われています。
でも、最も大切なのは、被害に遭った人の受け止めがどうなのか?ということです。
つまり、その人の受け止めが基準になるべきで、一般論や第三者の基準を被害に遭った人にあてはめてはいけないのです。その人にとってのその時の状況、加害者との関係性、感じた恐怖や無力感など、全てが絡み合って、被害に遭った人がその事件についてどのよう認知するかが基準になることであり、一般的にどうとか、他の事件と比較して影響が大きいとか小さいなどと言うのはもってのほかです。第三者がその事件の被害を見積もったり、基準を設けることはしてはいけない、ということです。
被害に遭った人に対して、上記のような一般論や第三者論を押し付けることは、本人の声(感情や意志)を奪うことになり、ますます生きている価値を奪い、被害からの回復を妨げるどころか、二重三重に傷つけることになります。
これらは、実は知らず知らずのうちに周囲がしてしまっていることがとても多いのです。


 大学や学校が与える「二次被害」

大学や学校の友人や先輩から性暴力被害に遭った場合、通学すれば加害者と会う機会が多いのは言うまでもありません。被害に遭った人は、事件後、加害者と接触したくないという強い思いになるであろうことは、経験がない人でも容易に想像つくことだと思います。
ところが、大学や学校が被害に遭った人が安心して登校できるように配慮をしようとすると、加害学生に対して行動制限(場合によっては出席停止)などをし、権利を剥奪する必要が生じてきます。大学や学校は、非常に難しい判断を迫られるわけです。
被害に遭った人に「落ち度がない」と前回書きましたが、落ち度を指摘して被害を軽く見積もり、登校・通学できないことを、その人本人の責任にしてしまい、結果的とはいえ加害者を擁護してしまうことは、往々にして起こりがちですが、そういった大学や学校の対応は、被害に遭った人にとっては、とても大きな「二次被害」になり、本来最も守られなければならない人が、多くの権利や可能性を奪われることになるのです。
ましてや、信頼すべき大学や学校から与えられるわけですから、被害を受けた人は、人や社会に対する信頼を大きく損ないます。ひとたび損なってしまった信頼感を取り戻すのには、一人では難しいですし、時間も要します。


もしも、周囲の人が、これらのような二次被害を与えず、被害に遭った人を何よりも優先に考え、権利を守るための対応すれば、被害に遭った人の回復への早道になります。



2009/06/13のBlog
[ 16:08 ] [ 事件について思うこと ]
本日は、心理的な立場から書いてみたいと思います。。。

 「強姦」に対するイメージ
報道によると、被害に遭った女性は、大学内の大勢が集まるコンパに参加するために居酒屋に行き、そして自分の手でお酒の入ったグラスを口に運び、一気飲みもしたようです。そして、酩酊状態になって、別室に手を引かれて連れて行かれ、そこで6名の学生から被害を受けたということでした。
この状況について、様々な考え方がネット上でも書かれているようです。
かつて、加害者が知り合いであったり、被害者が自分の足でそこに行った場合は強姦罪が適用されなかったり、また自分でお酒を飲むなどした場合は準強姦罪が適用されなかった時代もありました。一般的に強姦とは“包丁などで脅され、暴れ回って抵抗しても抑え込まれて、殴られ、手足を縛られ、強引に性的行為をされるもの”といった印象があるようですが、実際の強姦でそのようなケースは稀です。
抵抗したら殺されるかもしれないという恐怖や、何が起こっているのかわからないと判断力が働かないなどの理由から、ほとんどの強姦や強制わいせつ事件では、被害者は身体に怪我を負うこともないですし、大声を上げて抵抗することもないと言われています。

ではここで、ちょっと考えてみましょう。

 「合意」とは?
被害に遭った女性は、コンパへの参加が目的だったはずで、集団によって性的行為をされるために参加したわけではないはずです。女性が、その時に、第三者から見てどんな様子であっても、性的行為を望んでいたとは誰にも言えないはずです。
上記に書いた一般的な「強姦」というステレオタイプの印象がある限り、そうではない「強姦」を目の当たりにした時、「それは強姦とは言えないんじゃない?」「抵抗していないから『合意の上』でしょう?」と言ってしまいがちですが、被害に遭った人にとっては、周囲のそう言った言動は、受けた被害と同じくらい、場合によってはそれ以上のダメージを受けます。

 お酒を飲んだら何をされても仕方ない?
飲み会の席で受ける被害は、とても多いものです。
酒の席で、手にしたグラスにアルコールが含まれていると分かって飲んだ場合、そこで被害を受けてしまったら「お酒を飲んだのだから仕方ない」という考えが一般的に多いようですが、被害を「酒の席だからそれは被害でない」と言う根拠はどこにもありません。
今回の事件でも、被害に遭った女性が責められることは、未成年であったことを除けば、ないはずなのです。
また、飲酒を目的に参加したとしても、強制的にアルコールを摂取させられていいとは言えません。もしも、周囲から一気飲みを強制されていたとしたら、アルコール摂取についても、強制的と言えるでしょう。その場合は、たとえ自分の手でグラスを口に運んだとしても、自分の意志とは言えません。そして、その結果、酔って抵抗する力がなくなった状態で、望まない性的な行為を受けたのなら、被害という以外にありません。

 被害に遭った人には「落ち度」はありません

被害に遭った人の落ち度を指摘し、非があるとする言動は、被害に遭った人に対して「二次被害」を与えることになります。

*昨今では、双方知り合いであっても、たとえ夫婦であっても、また身体的暴力を伴わなくても、「強姦罪」「強制わいせつ罪」が適用され、強姦罪の場合有罪になれば実刑になることが多いようです。


2009/06/07のBlog
[ 10:39 ] [ 事件について思うこと ]
久しぶりに更新します。

京都教育大学の集団準強姦事件について思うことを書きたいと思います。
シリーズになる予定ですが、現在超超多忙なゆえ、次の更新がいつになるのかは予定が立ちません。のんびりとお付き合いください。

その前に、私が記事を書く理由を書いておきたいと思います。
基本的に、当ブログでは、特定の事件について書くことはしていません。
その理由は、1つは事件に何らかのかかわりがある場合があること、そして2つ目は、報道(個人のブログの記事も報道のうちと考えます)は、どんな内容であれ、被害者の方々に対して二次被害を与えることになるからです。

では、なぜ書くことにしたのか、ということについてですが、理由は3つ。
1つは、事件のたびに思うことですが、被害者の立場を考慮することがあまりにもないと感じることが多いためです。
2つ目は、ご承知のとおり、昨今同じような大学内の性暴力が続いていること。
3つ目は、性暴力という問題を、根本から考えようとすることが少なく、だから事件の反省が生かされていないと感じるからです。

前置きが長くなりましたが、被害者の方の立場に極力配慮しながら、書き進めていきたいと思います。読む人も、被害者の方を思いながら、お読みくださると幸いです。





 大学側の言う「教育的配慮」とは?? <記者会見の報道から>
大学の記者会見の報道では、報道側は「大学の対応が悪い」という批判的立場をとっていました。
「本来、強姦罪は親告罪ですが、集団準強姦は親告罪じゃないので、すぐに通報すべきだったのに、大学側はそれを怠った」という主張でした。また、大学が「公然わいせつ」と発言したことも、かなり問題視しています。大学と文科省との対立も報道されていました。

それに対して大学側は「教育的立場を優先した」「教育的配慮をした」と説明し、かといってこのままで良いとは思っていなかったとし、「(通報するには)被害者の同意が必要と考えた」と答えています。

この一連の報道から、私は、大学側が言う「教育的配慮」について、「誰に対しての教育的配慮なのかな?」と感じました。
被害者の女性が、事件後に通学されているかどうか分かりませんが、集団から強姦をされて、その加害者に会うかもしれない大学に通学するのは、相当に無理があります。もしも通学されているなら、かなり無理をしているでしょうし、通学していないなら、当然のことでしょう。
被害者の女性の教育を受ける権利を第一に考えての「教育的配慮」だったのでしょうか。そうではなくて、加害者への教育的配慮が優先されていたとしたら、それはやはり、大学として誤った対応だったといわざるを得ないと思います。

性暴力の被害を受けた人は、その後の生活が一変します。
それまで普通にできていた、仕事や学習はできなくなります。恐怖から、外出することもままならなくなります。
事件の後に、味方になってくれる人が、被害者の方の意に沿う手伝いをしてくれ、心のケアをはじめとした支援を受けられれば、徐々に回復し、社会生活も元に戻っていきます。でも、それには、かなりの時間を要します。
反対に、味方になってくれる人がおらず、それどころか今回のように、被害者の言動が責められたり、加害者に対して何らかの対処してくれないと、ますます被害者を取り巻く環境は悪化し、回復は遠のき、傷を深めてしまいます。
大学側は、被害者の女性の立場を第一に考え、対応したかどうか・・・?
「公然わいせつと考えている」(つまり、被害者であるはずの女性も加害者と位置づけている)という発言を見る限り、被害者を加害者と同罪という見方をしているわけですから、被害者の女性に対して「教育的配慮」をし、通報に際して女性の同意を必要と考え、細心の配慮をしていたというにはあまりにも矛盾しています。
つまり、被害者の女性を第一に考えて対応されてはいない、「教育的配慮」は加害者である学生達のため、と言えるようです。


 「集団準強姦」か「公然わいせつ」か?はたまた「合意の上」か??

加害学生達は、「集団準強姦」の疑いで逮捕されているということなので、立件されれば、裁判にかけられ、その結果有罪となれば罪名が確定となります。大学側が「公然わいせつ」と考えて、それを主張したところで、あまり意味をなさないでしょう。
ただし、なぜ大学が「公然わいせつ」を考えているのか、率直なところを聞いてみたいものです。

「合意」については、集団強姦が親告罪じゃないことから考えればおのずと分かるはずです。法的には「合意」はありえないということです。
それに、被害者の女性が告訴していますので、現実に「合意」はしていないということになるでしょう。
性犯罪の場合、加害者は「合意の上」ということが非常に多いものですが、加害者側の「合意の上」という主張は、信用できないということです。


 大人として考えなければならないこと

今回の事件を「大人」として考えた時、大学という集団あるいは組織の中で起こった悲しい出来事について、大人側の都合で、あるいは認識不足によって、被害者を被害者として認定しなかったり、被害を軽く見積もったり、あるいは被害者を加害者と同罪とする発言(それも公的発言)が、どれほど被害者の女性とその家族を傷つけ、苦しめ、追い詰めているか、ということを、あらためて考えてみなければならないと思うのです。
また、大人として私達は、加害者の子ども達(今回の加害学生は20歳を超えていますが、精神性は子どもでしょう)に何を示したいのか、社会の次の担い手として何を学んで欲しいと思っているのか、問われているのではないでしょうか。




お仲間の皆さん、率直なご意見をよろしく!