優しさのシャワーと意図的働きかけ
「優しさのシャワー」は耳に快い響きがあります.
意味は、対象となる高齢者への関わり方をまとめていう形容詞的表現です。
是を高齢者に優しくすることと解釈してしまうと、いわゆる甘やかし、とか、いわれる溺愛のように、べたべたと抱え込むような関わり方をする人が出てきます。その方法は相手の目を見てとか、目線を同じ高さにしてとか、そっと触れるとか、必要ならば抱く場合もあるでしょう。施設や家庭の中では良いのです。
しかしゲームの中での優しさのシャワーとは、言葉かけの仕方、即座に感謝の言葉を言う、共感をしめす、褒める、などが理解しやすい説明です。なにか失敗された時は、場合によっては「見てません」とばかりに知らん顔をするのも大事な優しさのシャワーです。これは見えない優しさのシャワーです。
「私もまちがえましたわ」などと、嘘でもいうことが大事になる場合もあります。言葉に表す優しさのシャワーです。相手との関わり方は、福祉の世界ではどこでも大事な基本として教えられます。
認知症予防教室では、優しさのシャワー一辺倒ではうまく運ばない場合があります。
衆人環視の中で、もし一人の人にかまけて、丁寧な愛撫と言葉で時間を費やすと、その他の人達が、冷たい視線を注ぐという悪循環が起きます。これは厳に戒めなければなりません。
どちらかと言うと個別対応的な関わり方が優しさのシャワーとするなら、私のいう「意
図的働きかけ」は計画的・意図的なゲームの進行方法です。
どういう場面で発揮するかと言うと、一次予防の教室、一般高齢者のための集まりの中に、認知症を発症した人が混じる場合に実行します。レベル揃えをした本格的な教室ではこの工夫は出番がないでしょう。
医療・福祉の専門教育を受けていない私のような無資格者に許されるのは、一次予防に限定された中での予防ゲームのリードです。その場合、一次予防のサロンと言っても、ご家族同伴で認知症を発症した方が参加されることも少なくありません。
そのような中でのゲーム進行は、優しい関わり方だけではなく、理性的なとっさの判断で、計画性をもって、健常者と衰えた人と一緒に、もろともに興味を持たせるという工夫で乗り切らないと、発症者を淋しくさせるか、或いは多数の健常者から「つまらない、退屈なゲームだ〜」というような冷たい風が教室内に満ちるのです。
ですから、脳機能のレベル揃えをしない教室は難しいのです。そこで意図的働きかけの出番となります。いざと言う時に、楽しいムードで全員、健常者も発症者ももろともにリズム感にあふれたゲームを、楽しめるようにしたいものです。グーパーのゲームや、でんでん虫のゲームでの「コツ」は、講義録に載せています。HPでも見て頂けます。お手玉回しのゲームの文字化はむつかしいので、本当は実演でご理解いただきたいのです。
リズム感を失っていく認知症の方は少なくありません。そういう人は、リズムのゲーム(その1,その2)では、無表情と言うよりも「出来ない」という不安げな表情を浮かべられます。声には出ないSOSの発信なのです。即座に対応しなければ、という緊急事態なのです。しかもゲームリーダー、インストラクタ−に必要になるのは、一次予防教室という大多数の健常者の中で、リズム感の衰えた人のプライドを守りつつ、如何にして目立たないようにリズム感という“命の源”の取り戻し効果をあげるかが、大きな課題となります。
こういう混合教室で、対症療法的なゲームの進行をするのですから、大勢の参加者・健常者にも退屈と思わせないで、好奇心と興味で、一緒に“楽しいゲーム”を進めねばなりません。レベル揃えをした教室にはない、特殊な難しさがあるのです。
その秘策としての一つが、お手玉回しの導入部分でのロボットのようなギクシャク・超スローモーでの進め方や、「替えて」をリズムから意図的に切り離して浮き立たせるような言い方をする、などの工夫で対応します。是が意図的働きかけの代表的な計画性です。
リズム感を失って「ついて行けない。出来ない」というSOSを声無き声で、弱く発信している人が、リズムに乗って、楽しさを感じとられる時、その瞬間が自立の第1歩であり、それは表情の変化と体の弾みに現れます。
とにかく「全員に楽しんでいただきながら」が一番で、そのように持っていく瞬間的発想による、ゲームの進行方法の転換は、“抱きしめ”には無い効果をあげます。スキンシップなどはこの場合は無用で、離れた位置からで充分です。
専門職によるケアする側からの、確信に満ちた浴びせるシャワーではなくて、本人も気づかないような、介護家族のような、必死さを籠めた願いが伝わり、全員の共感を呼び起こすのです。全員の「ロボット流って面白い」という“楽しさ二乗”の共感が効果を後押しするのです。
整然と並べたお手玉を見た途端に「あら〜 キレイ」と思っても言葉に出せない人も、多くの健常者の声にさそわれるからこそ自分でも感嘆の声を挙げるように変わられます。だからこの計画性は“優しさのシャワー”とは質的に異なるのです。
「序破急」を用いて“いざなう”全員への「意図的働きかけ」。それによって、リズム感を失った人がリズムに乗られる、その時のイキイキした嬉しそうなお顔、人間性の回復と言っても過言でない瞬間を間近に見るときが、「ゲームの中に仕組んだ働きかけと弱いSOS信号の融合の瞬間」と言えるのであり、SOSに即座に対応できた、協働効果となります。