10号 機関紙を振り返って

「認知症予防ネット通信 No.10」 2007,10,1発行 A3両面刷 二折

この号から、慣れ親しんだ「ちよネット通信」改め、「認知症予防ネット通信」になりました。
痴呆⇒認知症と名称が変更になり、NPO法人名も2006年第二回通常総会で承認され変更になりました。痴呆の「ち」、予防の「よ」から、「ちよネット」という愛称で呼ばれていましたので、機関紙名も「ちよネット通信」でした。未だに、ちよネットと呼んで下さる方もいらっしゃいます。

1ページは、
* 木津教室から新たな目標へ
<2005年4月に開設されたNPO法人独自の木津教室は、2007年7月に最終教室を終えました。木津教室を基礎に、八幡市委託の本格的教室が始まりました。木津には遠近各地からのお仲間さんが集い、教室の実際が知りたいという研修生の受け入れ、我々自身の勉強の場となりました。しかし教室運営と講演・広報活動は活動メンバーが少ないこともありメンバーへの負担となりつつあり、ここを閉じる勇気は大きなものでしたが、「発展的解散ですね!」とのお仲間さんから嬉しい言葉を頂いての終了でした。>

* 祝NPO法人誕生!
<NPOの前身のグループ活動時代、2003年3月「増田先生講演会「ボケない老後のために〜親も自分も〜」を開催したのがご縁の始まりで、ミニ講演会、木津・八幡教室へ実習、静岡のスリーAも研修会受講されて、“NPO法人認知症を学び介護する会ほほえみ”の誕生です>

* 予告 スリーA予防ゲーム講習会
<ミニ講演・講演会、ゲーム体験をしていく中で、予防ゲームを習いたいとの声があちこちから聞こえてきました。心が決まったのは、交野市からの「元気アップサポーター養成講座4回」、京都府からの助成金のお話があったのです。メンバー総力を挙げての取り組みで月1回、10〜3月の5回講習会の予告。ゲームテキスト作成の基礎となりました。>

2,3ページは、
各地に開く教室〜兵庫・大阪・京都市で〜

* スリーAこれだと思った!
(兵庫県川西市から)
<静岡スリーA指導者研修会を受講されての感想と、一緒に行った仲間で試行的に予防教室開催を計画していると書かれています。最後に、全国で予防教室や予防サロンが開設されて、認知症の入り口で立ち止まっている方が行けるようになることを願っています、と纏められています。>

* 特定高齢者向け通所型認知症予防教室を実施して
(大阪府堺市から)
<地域支援事業を市から受託された報告です。教室の卒業生と電話で話されたことが書いてありました。A氏は教室に通っていた頃は、うつ状態だと思っていたが、皆さんから元気を一杯貰ったので、自分も何かをしなければいけないと、仕事を探したら、69歳なのに、笑顔が気に入られて就職できたと、明るい声で話されていてびっくりしました。続けて“「優しさのシャワー」には包まれる側、包む側ともに癒され、何かを生み出すパワーを感じます”とありました。>

* 古川町商店街「認知症予防教室」の啓発活動を終えて
(京都市で)
<シャッターを降ろしたままの商店が散見される中での試験的活動>

〜京都府南部特定高齢者教室〜

* 城陽市の物忘れ予防教室
(NPO法人友愛ホーム様の独自予防教室は、市の認めるところとなりました。)
<市の事業としての「物忘れ予防教室」で、特定高齢者の希望者を募られた教室で、レベル混合教室の報告。雨の日も暑い真夏も「だって楽しいんだもん〜指折り数えていて忘れないわよ〜」とお休みすることなく通われる。認知症予防教室はどんな方を対象としても皆さんが驚くほど明るくなられ、教室の意義があることを強く感じていると締めている>

* 八幡市のあたまの体操教室
<2005年7月本格的な予防教室をNPOが受託してよい成果をあげたので、八幡市社会福祉協議会が受託事業として地域に根付き「あたまの体操教室」が続いている。その報告>

広報活動
<ポスター展示や、ステージ発表の報告>
* 人権フェスタ2007in鴨川納涼に参加して
* 宇治市文化センターで

4ページは いつもの事務局からのご案内
会員募集・購読者募集・編集後記
コラム「元気アップサポーター養成講座」
* 活動報告
 ・教室運営:宇治市月2回 木津OB会2回
・教室派遣:城陽市毎週1回
 ・ゲーム指導:交野市4回
 ・広報:1回、展示2件
 ・講演:17回
* 今後の予定
 ・教室運営:宇治市2回、派遣京都市1回
 ・講演:5回
 スリーA方式予防ゲームリーダー養成講集会を宇治市で開始:月1回5回シリーズ

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講演活動が主だった私たちの運動の転換号になりました。交野市からの「養成講座4回」を頼まれた時は、私たちにそのような力があるのか?!と、皆で話し合った。テキストも要請されたので、理事長がねじり鉢巻で順番を考え、理解しやすいようにと頑張っていました。養成講座の初経験、テキストのお陰で、自分たちのゲーム指導も使命感が芽生えました。
次々と入る教室運営の話も 飛び火のように思わぬところにも拡がり、ポストの数ほどに広がるのも夢でないかも知れない…と思えます。
(文責:福井恵子)