福知山市認知症予防の会 その1

福知山市に「スリー増田方式認知症予防教室」の導入を目指して
—プレシンポとゲーム指導者養成講座 始末記—

 (福知山市認知症予防の会 村岡洋子)

第1章 シンポジウム

漸くスタートラインに

 漸く、福知山でスリーA増田方式認知症予防教室を開く可能性が出来てきました。NPO法人認知症予防ネットの端っこにつながる一員として、スリーA認知症予防教室を福知山にも、というのは長い間の私の悲願でしたが、高林理事長のように自分で同志を募って予防教室を立ち上げる能力も基盤もない私は、ひたすら、市の高齢者福祉課に取り上げてほしいと要求するだけに終始していました。

17年改定で設立された地域包括支援センターの運営協議会の委員にも自ら志願して、そこでも機会あるたびに提案し続けてきましたが、「認知症予防」が地方行政に義務づけられて、ようやく地域包括支援センターが、事業としてとりあげるように風が変わりました。遅まきながら、時至る、です。

 
その昔、私と高林さんは、親の介護を通して、認知症の方でも、何にも理解できないわけではない、人格が崩壊しているわけでもない。落ち着いておられるときには、それなりにいろんな話も出来るし、ときには、こちらをいたわってくれるような、優しさも示すことがある、と感じていました。世間の言う痴呆老人像と何かがちがっているのでは、と、当時の法令や、新聞記事を集め、そのことに付いての大論文を書こう、と意気込んだこともあります。何より、自分の症状に気付き、不安に駆られ、治して欲しいと願う気持ちがひしひしと感じられることが、何も出来ない家族や介護者である私達を苦しめていました。 

しかし、大論文が出来る前に、認知症の方に関わり、その介護をしている専門職の方から、介護の方法によっては、その症状を改善し、人間らしくその人らしい「自立した生活」が可能になる、という報告が相次いで発表されました。

心を傾けて、その方のこれまでの暮らしを全面的に受け止め、残っている諸機能を探り出し、活性化させて、プライドを取り戻すことが出来るような環境を作り出すことで、認知症につきものの属性のように考えられていた、周辺症状——徘徊、弄便、異食、暴力といった行為は殆ど影を潜め、穏やかに楽しく生活することが出来るのです。現在の苦しさから逃れるための過去への遊出も消えて、今ここで、自分の居場所を確保できるようになり、何より大切な他人との人間関係も回復できるようになります。

私達は、いろいろな文献をあさり、そのような介護の可能性を探して、あちこちと訪ね歩きました。そして、スリーA増田方式認知症予防教室に辿り着いたのです。予防教室の方法、効果は、このブログの中でも高林理事長の記述に詳しく述べられているので、そちらに譲ります。

せっかく、導入の機会が得られたのだから、出来るだけ正確な形で教室を本格的に福知山に根付かせたいと思いました。そこで、「教室を実行するには、認知症に対する正しい理解と優しさのシャワーを実行できるボランテイアの養成が必要」であると地域包括支援センターを説得して、まず、ゲームリーダー養成講座を開くことから始めました。

養成講座の費用は、京都府の「地域力再生プロジェクト支援事業」を申請してまかなう事にしました。

全く予備知識のない地域の人にいきなり5回の養成講座への参加を呼びかけてもと、社会福祉協議会や、地域包括支援センターの協力を得て、ボランテイア団体や、老人会、などでお話しする機会を作って欲しいと頼みました。高林理事長と松島運営委員にお願いしてプレシンポも企画しました。福知山市老人連合会で1人、高林さんに協力してもらった、ボランテイア協会の指導者研修会で10人あまり、25年の歴史を持つボランテイアクラブ「いずみ会」で話したときには、驚いたことに22人の申し込みがあり、予定の30人を超えてしまい、認知症に対する人々の関心の高さを思い知りました。

 養成講座を午前と午後に分け、同じプログラムを2回行うこととし、一般募集を行ったところ、プレシンポを実施する、6月27日を俟たずに満杯になってしまいました。あちこちに置かせて頂いたチラシの裏面を利用した申込用紙がFAXで届くたびにお断りの電話をするのが申し訳ない日々でした。
 (福知山市認知症予防の会 村岡洋子)

 福知山市認知症予防の会 「その2」につづく