今日のナイター練習!!

をする前に、喉の調子が悪くしばらく大声を出せないという診断を受けました。

コーチをやっていて、また自分の特徴を出せない状況になってしまったのは本当に苦しいのですが、これも長い目で見れば変わらないといけないというサインなんだと思っています。人それぞれ何かが起きる時には、それだけの理由だったり原因があると考えています。だから、今自分に起こっている事も『何で俺だけ・・・』じゃなくて自分にとって必要だと考えます。そうするしか前には進めないからです。

声ってその人を象徴する一つの特徴だから、それが使えないというのは非常に辛い。

自分じゃない状態で子供達に接する事はかなり難しいし、だからと言って手抜きをするとか違う方法をいきなりやりなさいって言われても余計に困る。

自分を変えていく事。簡単じゃないだろうけど、やるしかないんだと思います。

今日のトレーニング前の風景・・・。

完全に3年生は『浮かれている』状態。一つ勝利しただけで前日の無様な事すら忘れてしまうぐらいにもう浮かれている。雰囲気を高める、と調子に乗るは全く違う事を未だ理解出来ず・・・。

最高の自分をいつでも出せるように日々『最低限を磨く』事が大切なのだが、そういう気も見受けられない。

当然その雰囲気に1,2年生も流される。。。チーム全体に締まりがない状態。

ずっと考えている雰囲気の事をずっと3年生と遠征から向き合ってきたのだが・・・良い雰囲気は自分が周りの事を思って動く、言葉を掛ける事から生まれている『要因』にまだ辿りつけていない様子・・・。身勝手に、自分のその場の感情だけに流されて周りに当たるからそら雰囲気が壊れるのは当たり前。

その事に壊れてからでも気付けば良いのだが、未だにそこへの気付きよりも『あいつが悪い、チームが悪い』みたいな外部への不満をさらに募らせる始末。

こういう現状、こういう日々なんだという事を知っているのはコーチをしている自分にしか分からない葛藤がものすごく大きい。

当日だけ、その場だけの何かを求められると本当にしんどくなる。吐き出してから変わる、変えようとする行動を待てない大人がいると子供はどうしてもやる気を失い、アクションそのものをしなくなる。その事にまた腹を立てる大人、の繰り返し。

子供が持っているもの、子供が持つべき責任を整理し、その上で一緒になってやるべき事を見つけていく方法を全ての大人がしなければならないんだと改めて思う。

子供の『先』を考えれば『今』掛ける声も随分違うだろうし、出ない事だってあるはず。
子供の『過去』を観て『今』掛けるから何も変わらないし、何も始まらない事を大人が気付いて変える必要性を考えたい。

大声を出せないからこそ余計にそこを考える。自分が嫌われたくないから言わない。無責任に誉める。『今』しか見ていない。

大人の責任を再確認したい。無責任な声掛けはしたくない。今が何かを変える時なんだと自分に言い聞かせる!!