昨日は朝からファルコの練習をやりました。メインは紅白戦という事だったのですが、今は多くゲームをさせる、という事よりも、もっと大事な事に気付いてもらわないと進めないという段階にいます。

練習前の風景・・・・

すごい違和感ばかり。。。

練習に来る目的がうまくなりたいとか、サッカーをやりたいという事ならばボールを触ろう!触って、触って、習慣にしよう!そういう話、その意味、大切さを先週ずっと説いてきました。みんなもそれを一旦理解はしてくれたのですが、やっぱりこの子供達って自分の中の『新鮮さ』だけで何かをする。継続が苦手。

同じ事も数回やれば『やらされる状態』に戻る。

みんなそれぞれにボールを触っているものの、半分ぐらいは『やらされている感』があり、もっとひどい事にコートの隅っこ、端っこ、みんなに背中を向けてコソコソとやる選手まで・・・。

身なりを整えてもらってサッカーが出来ている事、一緒に出来る仲間がいる事、彼等にとっては『当たり前』なんだという感覚。だから甘え、だから自分中心になる。何度もその話はしてきたが、なかなか浸透しないものだ。

仕方がない。みんな家に帰り、完全にリセットされるから。

家が憩いの場であり、安らげる場であるのは良い事。それが正しいし、それで良いとは思う。ただし、『躾』って何?誰がするの?常識って何?誰が教えるの?が『前提』であってほしいのです。子供にとってうるさい事でも、大人にとっては教えないといけない事が山ほどある。それが社会を経験している者とそうでない者との差。

子供が困る前に大人が困り、子供が行動する前に大人が助ける。

そんな人が多すぎるんだと痛感する。そして、子供に問題が起きた時に、『しまった〜・・・』と気付けば変われるが、それすらも『この子は悪くない』と思ってしまう。絶対に、きっと、多分、『何かが悪い』と思ってしまう習慣。圧倒的に良くない。

変わろうともがく選手も出てきた中で、そういう子が家でリセットされすぎないか?が心配。

大人も、子供に変わってほしい、成長してほしい、前に進んでほしいと聞かれれば思っているはず。でも、自分が関わっている行動、言葉、態度を今一度見直してもらいたい。

やりすぎていないか???

って事。人間は楽を覚え、甘えを知るとすぐに流される。大人が一緒に、少しでも、ちょっとずつでも、変えようと思う気持ちがない所の子供は残念ながら変化はしないと思う。全てを外部のせいにする大人の下では子供は確実に育たない。一緒に成長したいと思う気持ち、それを行動で示す事がないと『成長する環境』とは言えない。

『家庭だけ』『学校だけ』『塾だけ』『サッカーだけ』の場所では人は成長はしない。どこかできっかけを得る事はあってもそれは場面場面で起きた事の一つであり、大事なのはその一つ一つを全ての場所に繋げる事。それが出来た人間が成長するって現象になる。

どこかの場所でだけ優等生のように振舞うなんて事、ごまかしに過ぎない。それにまた一喜一憂し『あの子は○○の時はしっかりやっているのに・・・。他でしないのは他の場所が悪いのでは?』って疑いをすぐに持つ。そうではなく、本当にしっかりとやれる場所がある、見えれば他でも出来ないといけないって事を大人は教えないといけないと思う。子供よりもそういう事に疎い大人が増えているような気がする。

そして、自分もその疎い大人の一人として毎日変えようとあがいている。

同じ場所では気付かない、慣れる、安心をする弱さがあるから外に出て自身を確認する。大切な子供を預かっている立場上、おかしな事が出来ないし成長のきっかけを常に与えたいと思うからです。自己満足と言われようが、自分は預かっている事に感謝を忘れた事がないし、だからこそ感謝を返すには自分が良い指導者になるしかないと考えている。その覚悟を持って毎日グランドに行くし、行く前から『メニューの組立、準備』をする訳です。

みんなにとってファルコという場は『好きなペースでボールを蹴っているだけの場』なのでしょうか?残念ながらその理屈でも許している所が多いようです。『預けているから』という言葉も勘違いしないでください。責任を自分で取れる子にしているならばそれで通用しますが、そうではない状態で『預けている、任せている』は預けている側にも責任があるという事です。

大人が環境をうまく整えれば子供の心は変化します。便利にしたのは大人、楽を教えたのも大人。だったら・・・苦しい事も、がんばる事も、大変な事も教えるのは大人です。我が子に起きるそういった事を『あなたすごいね〜・・・』と同情の目で観るよりも『それがあるから楽しい事があるんだよ』って事を言えないといけない。これだけ便利にしてしまった大人の責任。

昨日は午後に『学ぶ大人の姿』も帯同して観れた。

自分の時間と体、お金を削って学ぶ事に費やしている。正直楽しそうとい言うよりもきつそうでした・・。講習会は『35歳以上と女性』というカテゴリーだった事もある。体力的にハードだったと思う。でも、子供の為に学びたい気持ちがそれを越えているからがんばれているんだと思う。この人達を偉いとか思うではなく、『子供を教える立場としての責任』なんだと思う。分からない大人が教える事は出来ないし、分からない事をごまかす大人からは何も得られないという事。

まずは『分からない』から始まると思う。そこからどうするか?で決まる。『聞ける』大人になるか、『どうせ・・・』と諦めるか?だ。

幸いにも、昨日はファルコを今中代表に後半任せてその結果と報告を後で聞いたら『やろうとした子、変わっている子もたくさんいたよ』との事が聞けた。自分がいなくなってから出来たという事は間違いない事実。自分がうるさい、自分がうっとうしいからいなくなって喜んでいるならばそれでいい。それでもいい。だって、自分の役目は『自分が好かれる事』ではなく『子供を育てる事』だから。

電話しながら、報告を受けて思わず顔がほころぶ。たとえ自分が嫌われているからとしても、子供が変わる為のアクションを今中代表という『自分以外の人』に伝わったという努力という事実は本物だから。その成果とそのがんばりはその子にしか出せないものだから。大人が踏み台になるなんて当然の事。むしろ、自らその役目を引き受けるのが指導者なんじゃないか、って思う。嫌われろ、って事ではなく『必要な事を教える』のです。その場で嫌われたとすれば、それは嫌う側の感性と常識が育っていないから。自分を良くする為に『誉められに行く人間はいない』という事。自分の出来ない、足りない、知らない、分からない部分を埋めたくて行くのだから『指摘、注意、改善』をさせられに行くのです。

良くしたいから逆の言葉を受ける。
右に抜きたいから左のアクションを入れる。

ファルコのみんな!大人だって同じだって事です。だから、今そうやってやる意味をよく考えてほしい。コーチの言葉なんかに負けないで、『どんなもんだ』とコーチを見返してやりなさい。

どうか覚悟を持ってグランドへ来てください。。。