ただ一重に.

昨日、やっとカフェの売り上げが戻った.
それまで、立て続けに伸び悩んだ

本当はかなり焦ってた.
追い込んでた.
不安だった.

大丈夫といいながらも、
すごく、色んなこと見失いかけた.

なんだか、帰ってから初めてお客さんありがとうな気持ちで涙が出た.
昨日、満席のとき、
知ってる人も初めてのお客さんも自信まんまんなシェフの顔もみながら心底
うれしくて

お客さんなしには成り立たず、
お客さんなしには、CASAが成し遂げたい女性たちのエンパワメントと自立だって成り立たたない
それが働く場所づくり、商売という手段の可能性を選んだCASAだから

ケータリング、屋台、ついにはレトルト.
めまぐるしい毎日の中で、守るべき場所を守るためにいくらバタバタしても、動いていたって

結局自分自身がはっきりしなきゃ
気持ちを明確にしないと
それは表面に、なにかしらの形であらわれるから

病は気から

の発想で.

泥水飲んで、血を吐く思いをしながら経験積んで商売をやってきた、今でもやってきている大人の方々が言う事は何にも変えられない貴重な貴重なアドバイス.

スキルなし
やる気だけ、想いだけな私達に対して必至で自分たちが培ってきたもの無償で伝えてくれる人がいる

ただの大学生が、一見かっこいいこといって、大人のまねごとをしている
って思われても当たり前だ

毎日店を切り盛りしながら知恵を振り絞って生きるために商売をしてる人はいっぱいいる
並み大抵のことじゃない

甘いとかを超えて、
その人たちに対して失礼だ、って言われるのも当たり前.

学生ノリと言われるのが1番つらい.

それでも、この場所でやり遂げたいことはある

だからこそ中途半端じゃいけない.

ここでできることが必ず次につながる.
というかここでできないと次に進んでもできないことが目に見える.

「もっと恥をかきなさい」

って言われた.

「高くなった鼻は他人に折られる前に自分で折りなさい」

なにより「腹をくくりなさい」

とも.

腹をくくる、2年生のときに腹をくくったつもりでいたんだけど、
また段階が違う.

本当に腹をくくりきらなきゃ、
半端な迷いがある時期ではもうないから

でないと、本当にやれない

CASAは形にならない

意地も、想いも、プライドも…

全部全部おいて.

とにかくやりきる毎日を送って、自然とついてくるスピードにのりながら

もっと頭ひねって
恥かいて
転んで
壁にぶつかりながら

もう、
自分にできるんだろうかとか
本当にこの生き方でよかったのかとか、
きれいに生きたいとか
「迷い」とか

いらないな.

CASAの女性たちのためにも
まだまだ見過ごされる人たちのためにも.

形に、結果ださないと何も意味がない

懲りずに、いつも私達に気づきを与えるために
厳しくも、やさしくも、全力で応援してくれる人たちがいるから

その人たちにできる最大の恩返しはCASAを形にすることだ.

焦らず、と言われても、
焦れ、と言われても.

自然とやれば出てくるスピードにのっかって

自分を捨てるわけでは決してなく、
自分は最後で、

やりきろうと思ったことをやりきりたい.

たくさん仲間がいるからこそ
それができる環境にあるからこそ
やらないといけない.

まだまだだ.

この夏、今のカフェで行列つくるぐらい、
それだけの人たちにCASAのことを伝えるぐらいのことをやろうと思う

テコ入れとはCASA全体、
でも手っ取り早いのは
CASAの代表と名乗る私自身のテコ入れからだ.

そのために恥でもなんでも
プライドも捨てて

やりきる .

それもこれも、CASAを応援してくださる数え切れない方々が
いるからこその気持ち.

そしてただ一重に、感謝の気持ちと女性たちのためにという
基本的なことにつながる気持ちなのです.