香川県東かがわ市湊にある

「向良(こうら)神社」に行ってきました。

以前『新日本風土記』を見、ずっと行きたいと思ってました↓

<新日本風土記・公式ホームページに飛びます>

ここに祭られている“カミサマ”は

向山周慶と関良助という二人の人間です。

二人の名を一文字ずつ取った神社です。

この「向良神社」が出来た経緯がとても感動的です。

江戸時代、高松藩は財政難に陥り

殖産振興の一環として、

製糖技術の開発(白砂糖の製造)を進めました。

当初、医師の池田玄丈に命じられましたが

道半ばで病死、弟子の向山周慶に

製糖技術の完成を委託しました。

一方、薩摩藩の奄美大島からやって来た、

一人のお遍路さん(関良助)がこの村で病に倒れ

「行き倒れのお遍路さん」になりました。

周慶の兄・向山政久に助けられ、

医師であった周慶が医療を施し、九死に一生を得、

喜んで奄美大島に帰って行きました。

その周慶並びに村民の方々の恩に報いんと

翌年、関良助は薩摩藩の国禁を破り、

サトウキビの種茎を弁当行李に隠して

この地に戻って来ます。

(その後、関良助は高松藩で骨を埋めました。

奄美大島の島民たちは、薩摩藩による

サトウキビの搾取に苦しんでいましたので、

関良助の行動に同情や共感をいたします)

そのサトウキビが讃岐に根づき、

高松藩の白砂糖の製造(殖産振興の成功)に繋がり

「和三盆」になったということで、

それで今も地元の方々の「向良神社」への信仰は篤く、

地元の方々は「サトガミさん」と

親しみを込めて呼んでおられるとのことです。

ま、ちょっと出来すぎた・・・

フェクション的な物語でもありますが(笑)、

いちお遍路さんとして、なんだかほっこり

幸せな気持ちになる伝承です。

純朴な木彫りの仏像的な御神体もステキです!

(『新日本風土記』の動画の中に出てきます)

有名且つ規模の大きな神社仏閣もいいのですが、

この神社のように地元の方々に直接的な恩恵を与え、

愛され続けている独自の御神体を祭り、

小さいしマイナーやけど素敵な場所も

いいなぁ〜と観じております。

神社の境内はとても狭いですが、

とても綺麗に掃き清められていて、地域の公民館もあります。

爽やかな夏の風景と言いますか、

東讃地方はもう稲刈りの風景もあり、

残暑の中であっても、美しい秋の風景を

愛でることが出来ました(=人=)☆