「『失われた20年』という言葉から考える」

ちょっとご報告遅れましたが、

8月1日も、奈良県桜井市にある

「大神神社(三輪大社)」に

一日参りに行ってきました(^^)☆

新しい月が始まる朝に、三輪さんと

地元氏神様へお参りする習慣は

かれこれ6年以上続いており、

自分の人生にちょっとした【節・区切り】をつけるための

よい習慣だと感じています(ー人ー)♪

そんなちょっとした節の時に

ふっと感じたこと、ここで記しておきます。

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「失われた20年」と呼ばれる時代がありました。

未だ現在も含め「失われた25年」とも呼ばれています。

ある国、あるいは地域の経済低迷が

約20年以上の長期にわたる期間を指す語らしいです。

・・・今から20年前、私は大学生でした。

社会人という名の、その次にあるはずであろう

【希望】に燃えて勉学に励み、おかげさまで

大学は主席で卒業することが出来ました。

基本的に地味だったけ

ちょっと華やかで充実した大学時代でした。

が、バブル崩壊&就職難の直撃を受け、

当時大卒の3分の2程しかマトモに就職出来ませんでした、

就職出来たとしても希望の職ではない人も多く、

3年以内に辞める人も多かったです。

私自身、希望するところは新規採用が無く、

大学時代からアルバイトしていたところで契約社員になって、

これからの人生を考えることにしました。

当時「ニート」「ひきこもり」

そして「自分探し」という言葉が

この国に出始めた第一世代でした。

ということで私たちの世代は社会人になってからずーっと不況。

バブリーなエエ目なんて一切していない世代。

ほんと、現在の方が新卒の就職率はずっと高いです。

40歳を目前に控える私はちょっと立ち止まり考える・・・。

・・・果たして、私が歩んで来たこの20年、25年は

「失われたもの」だったのか?

時代の潮目が変わり、

過去の先輩方のやり方あり方が

応用出来なくなった中での自分探しの日々。

その探していた【答え】が、

この歳になって確実に観得て来ました。

失われたもの(時代)・・・

それはきっと、

私自身が「失った」と思えば、そうなのであり、

「得ることばかりだった」と思えば、

そうなんだということが分かった。

だから人それぞれ答えが違う。

そして真の答えはどこか遠くにあるのではなく、

自分の中に存在する・既に自分が持っている!

ということに気づき、それがストンと肚に落ちました。

・・・果たして真に時代は低迷していたのか?

確かに経済の数字上は明らかに低迷・停滞しています。

いよいよ人口減の時代に入り、

このままでは、減退モードが加速することは間違いないです。

しかしながら、【別の方向】では明らかに前に進んでいる・・・

進化しているということを感じています。

で、時代が今その【別の方向】へ向かっています。

そこに真の幸福が存在する。

時代によって真の幸福が変わっているようです。

具体的に言うと、

バブル期までは物カネの充足=幸福だった。

失われた20年が時代の節目・過渡期であり、

心の充足が=幸福へと変わりました。

人の心はひとりひとり違う。

だから幸福の形もひとりひとり違う。

そんな時代に入っています。

心が違うからライフスタイルや価値観・

必要なものや量が違います。

多種多様な価値観を受け入れられる包容力(器)や

強さよりもしなやかさ(柔軟性)が

求められる時代になりました。

20年前、私は正直「時代」を恨みました。

「どうしてこんな時代に生まれて来たのだ」と・・・。

だけど今になって思うことは、

そんな逆境こそが、

今の私の人生の上にある

【幸福の糧】になっているということです。

幸福ではなく、逆境こそがその人の人生を創造し、

陰に陽に強靭にしていっているのだということ。

私が思うこの20・25年の間に得た最大のものは

【自分に対する自信】なんだと思います。

不信でも過信でもない、

自分の今の状態と自分の

これからのあるべき姿(夢)を繋ぐ

一本の道がこの【自信】というものなんだと思う。

この人生の間における数々の

取捨選択の中で得たことを、

これからも大切にし、

残りの人生を懸けて磨き上げてゆきたいです。

この「お朔日参り」で、

いつもふっと立ち止まって考える機会を頂きながら、

今日も我が国日本のもとである

大和國の一之宮「大神神社(三輪大社)」で

ご祈祷を頂く。

また新たな月が始まる。

これからも一月一月、一日一日を一所懸命生き、

昨日よりも今日、今日よりも明日・・・

自分が信じる道を歩み、確実に進歩していきたいです。

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「若さ」というものを

最近、ちょくちょく&どんどん

無くなっているのを感じています。

つまり「老い」というものを感じてきました。

もう私は10代20代じゃないんですよね(笑)★

即ち、確実に「死」というものに

近づいているということが分かります。

おっかなびっくりな「死」というものは、

自分の祖父母・叔父叔母等で感じて来ましたが、

本当のところは良く分からず、

何だか暗いような気もするし、

光り輝くもののような気もします。

老いることは好きではありませんが、

だけど、私は30代以前に戻りたいとは思いません。

その理由は、

定まらない・迷い悩む、未熟過ぎる自分に

戻りたいとは思わないからです。

「若い」とは即ち「無知」「未熟」。

「分からなくて悩む」という時代でした。

だけど今は違います。

「分からない」のは30代までと同じですが、

今は

「分からないけど、

その分からないということが分かったり

(ソクラテスの言う「無知の知」)、

更に何が分からないかが何となく分かって来て、

その分からないことが少しでも分かるように、

それに向かって一所懸命生きて行こう」と

思えるようになったということです。

つまり、大まかな人生の方向性が観得て来たということです。

迷走し、ゴールが観得ておらず、

どこをどう歩いて行けばいいのか

正に暗中模索だった20代、

起業し、お四国参り(真の信仰)&

真の師匠や恩人・仲間たちと出合って、

40代以降の人生の飛躍へと導いてくれた

今の30代・・・。

これからも自分自身の【ありのまま】を

すなおに受け入れられるようになって

自分が目指すゴールを目指し続け、

人生すべてを謳歌し、

そして次のステージに還って逝きたいと思ってます(%笑う女%)(%王冠%)