「繁忙期における観光従事者の罪」・・・あれこれ雑感&ぼやき(笑)♪

田舎(地方)にいると、人があまりいない。

同じような世代や価値観を

持った人しかいないように感じます。

人は人によって磨かれる存在なので、

田舎にいると、なんだか退屈。。。

若者が大志を抱き都会に出たいと思うのがよく分かります。

また人がいない・同じような価値観を持つ人間しかいないと、

多種多様な情報が入って来ません。

だから社会・日本・世界全体の流れが見えにくい。

人が少ない・価値観の種類が乏しい田舎では

情報が少なくまた同じような価値観、

過去の流れに沿った価値観でしか物事が見えず、

その価値観に合わない人間を排除し結果、

時代の変化に対応出来ず衰退してゆく。

一方、都会にいると人が多い。

多様多様な価値観を持った人が集っている。

だから人が集まると情報、物、場所…

多種多様な価値観が一箇所に集まり、

そのるつぼの中から「今」や「これからの時代」流れが見える。

海でいうと、魚の群れの行く先・潮目ということでしょうか?

時代の流れ・潮目が分かると、

人間のマイナス感情に囚われた心が勝手に作り出す、

様々な根拠のない超悲観的や超楽観的未来

(つまり完全なる妄想。不信と過信)に囚われなくなります。

本来の「田舎者」という言葉が指す人間とは、

自らの人生や家系、所属するコミュニティの

【過去の延長上】の価値観(物事の判断基準)のみによって

動いている人間のことを指し、

それに合わない人間は排除してゆく人間・組織体のようです。

つまり田舎に住む=田舎者ではないし、

都会にも田舎者は多数存在するということです。

前・大阪市長の橋下さんのような改革者が

突如やって来てなんやかんやしても、

今の状態ではそこそこ食えてるので、

田舎者たちや既得権益で食っている人間は反発して

排除するのは当然の娑婆法則のようです。

が、橋下さんのやり方は時にはちょっとアカンかったようですが、

行政機関は間違いは絶対に起こさないし、

間違いを認めないという行政神話をぶっ潰したのは

評価出来ると感じています。

先日・13日は香川の「こんぴらさん」に行って来ましたが、

私は全国各地あちこちの観光地【田舎】に行きますが、

そこにどっぷりと「客待ち商売」をしている人たちの多くは、

【人は勝手に沸いて来る】と大なり小なり認識しております。

・・・私が頻繁に行っております吉野山を例に致しますと、

桜の時期に来る観光客に対しての感謝、

そして桜に対して・・・

そして蔵王堂に鎮座される蔵王権現さまに対する感謝つまり

【信仰心】が全体的に乏しいです。

桜の時期に吉野山のお店が並ぶ道を歩くと客引き人間や

私たち観光客に送る視線(気)が不快なので、

私がその道を歩くのは早朝か深夜のみです。

これは全国の歴史ある観光地に共通して言えることであります。

—————————<参考資料>

<吉野山が桜の名所になった理由>

およそ1300年前、修験道の開祖・役行者が金峯山の山上ヶ岳で蔵王権現を感得し、

その姿を桜の木に刻み込んで以来、

この地では桜の木は『神木』として育み、守られてきました。

先人達は、蔵王権現様への帰依の証として、

桜の木を植え続けて来たのです。

昔は「一枝を伐るものは一指を切る」という掟がありました。

以上の歴史的事実を踏まえ、吉野山の桜は、

観光の為に植えたのではなく、信仰の為に植え、守られて来たのです。

その事実を知る観光客は殆ど存在せず、

また、その事実は知識的には知っていても、

それに対する感謝の念が乏しい・無い観光従事者ばかりです。

私はそのあたりの現代人の無知さ、愚かさを猛烈に感じ、

吉野山を守り抜いて来た先人たち・・・そして蔵王権現さまに対して

申し訳なさを猛烈に感じています。

——————-

・・・この吉野山の道が

もしも道頓堀(大阪)などの都会であれば

「しかたない」と割り切るしあきらめます。

どうしてわざわざお金を使い田舎をマンキツしに来たのに、

道頓堀と同じ感情を味わされなければならないのでしょうか?

私は納得出来ません。

だから、大局的に見て吉野山全体においても、

日々様々な問題(苦難)が起こり

(あえて記載致しませんが私は知っています)、

それが陰に引き金になり、山全体の観光産業が衰退し、

恐らく6年後の蔵王堂のご開帳が終わった後はガク。と減ると

私は観ております。

私が一つイマイチ納得し辛いことのが、

蔵王堂は本来60年に一度しかご開帳しないと宣言されているのに、

現在、蔵王堂の仁王門の「大修理勧進」ということで・・・

つまり、仁王門を改築するための資金を集めるという名目で、

2012年から10年間、毎年春と秋にご開帳をしているということです。

—————-<参考資料>

本来、蔵王堂は、60年に一度公開される秘仏だが、

2000年に、15年ぶりに公開されて、仏像ファンを驚かせた。

そして、通常なら次は2045年の公開となるはずが、

・2004年7月1日〜2005年6月30日『ユネスコ世界遺産登録記念』

・2007年10月4日〜8日『世界遺産登録3周年記念』

・2010年9月1日〜平城遷都1300年祭『百日特別ご開帳』

そして2012年から10年間にわたり、『仁王門大修理勧進』として

毎年一定期間の御開帳がある。

—————–

確かにご開帳しますと、強制的に一人千円ずつを徴収し、

わざわざ、たく鉢とか寄付のお願いをしに行かなくても

自動的に仁王門改築の資金は集まってゆくでしょう。

だけど、それは果たして真の信仰に則ったやり方なのでしょうか。。。?

今のご時世、、、仕方が無いと思いつつも、チョット疑問に思っています。

1000円すら出せないけど、信仰心は篤いお金の無い方は、

一生、蔵王権現さまのお姿を見れない・・・ということですもんね。

お金がない人間は、信仰してはアカンのでしょうか?

お金がある人もない人も平等に与えられるのが、信仰なのではないでしょうか。

信仰の世界は損得・上下ではありません。

善悪であり、横横の世界であります。

信仰の世界までに、娑婆法則を持って来てはならないのです。

(このことを一番言いたいのは、京都の『観光寺』です。

拝観料という名目で、べらぼうなお金を要求します。

で、税金は宗教法人なので、払いません。

だから私は京都の拝観料をべらぼうに取るお寺は例外なく

全部大嫌いで、私の人生において近寄ることは一切ありません。

あれらはお寺という信仰の施設ではなく、ただの観光施設であり、

私は絶対に許しません。)

また一方で、蔵王堂にご開帳するようにあおる、

吉野山の観光業界の人間も存在し、

ご開帳をすれば、「蔵王権現さまのお顔をみたい!」と

60年後のご開帳時にはいないご年配の方を中心にどっ!と

吉野山に押し寄せて、それに付随して、

旅館や食べ物屋、お土産屋が儲かるからに他なりません。

ほんと、春に行くと(しかも今、ご開帳中やし)、そんな人間の汚い部分

(穢、罪)【邪気】がプンプン漂って来て、私はとても気分が悪いです。

大峯山を開祖した役行者を始め、

吉野山を守り続けて来た先人たちが

現代のこの人間模様を観たら、どう思われるのでしょうか。。。?

本来信仰対象物である、桜と蔵王権現さまが

【客寄せパンダ化】しているということで・・・

んもー、やり切れません。

絶対に『何か』がおかしい。。。私は許しません。

以上のようなことがあり、また以上のようなことを私は感じましたので、

私は観光客が多い・・・またそれに付随する観光客のカネ目当てに群がる

観光従事者の【邪気】にとうとう嫌気がさしたので

私は、桜の時期には吉野山界隈にはに行かないことに決めました。

(洞川温泉も最も観光客の多いお盆の時期・夏には絶対に行きません)

ほんと、久しぶりに、ハラワタが煮えくりかえりました。

・・・以上、うだうだとぼやかせて頂きましたが(笑)、

観光客の方は、春の吉野山はおすすめです。

桜綺麗ですし、いろんなお店も出てますし。今はご開帳もしていますし。

だけど私のように、信仰を求めて吉野山に行く場合は、

信仰心の無いor乏しい人間が空に【邪気】を放ちまくって

大阪(都会)のように、空気を汚しまくっている春はおすすめ致しません。

こんな空気を吸うくらいなた自宅に篭っている方がマシです。

閑散期の外部の人間が少ない・いない時期をおすすめいたします。

・・・ほんと、吉野山を一望出来る、花矢倉展望台も、桜の風景が綺麗な分、

カメラマンや観光客が100人以上いて、

車も何十台も路上駐車していて、いろんな葛藤や揉め事の火種化をしており、

都会の展望台と同じで、あまり気分がいたしません。

霊峰ならではの静寂や鮮烈な気・・・風の音や鳥のさえずる声が、

人の声や邪気でかき消されて、不快感を感じるのみでした。

さいごに、極めつけ(?)ですが、

私がその展望台に行った時に、

あるカメラマンの人がおっしゃっていたのですが、

そのおじさま曰く・・・

「吉野山観光協会のホームページを見たら

上千本が【満開】と書かれていたので、今日来たら、

(桜が)散っていた・・・騙された!」 と嘆いてはりました。

私はその展望台から帰宅後、

その問題のホームページを見てみました。

そのホームページは一日一回更新しているようでした。

(右上の写真は、4月12日のホームページ画像を抜粋)

で、そこには展望台界隈(上千本)は

「散り始め」と記載されていました。

だけど、私はその展望台に実際は4月11日朝に行き・・・

「散り始め」ではなく、明らかに「落花盛ん」状態でした。

風が吹く度に、激しく花弁が散り、

私の車は40分くらいしか駐車場に止めていなかったのに、

花弁でいっぱいになっていました。

ということで、結論と致しまして、

吉野山観光協会のホームページは、虚実を記載しております。

私は是正を求めます。

ま、「観光協会」なんで、例え観光客を騙してでも、

吉野山に1人でも多く来させて、カネ落として貰おうという魂胆だから、

衰退している吉野山の観光従事者の利益確保の為には仕方が無い・・・

ある意味、その「満開」「散り始め」という言葉の奥にある真意が読めず、

騙されて来てしまう観光客も悪いかなとも思いますが・・・

やはり、吉野山は蔵王堂という「修験道」という信仰あっての町ですので、

吉野山の観光従事者は、

その信仰に基づいて、誠心誠意&正々堂々やって頂きたいものです。

以上、吉野山の観光従事者に対して、

敢えて苦言を申し上げさせて頂きました。