四国遍路2015冬 つれづれ日記 【その5】

「おへんろの駅 こくぶ」

【写真:以前、歩き遍路の時に寄った時に頂いた

折り紙で作られた、お地蔵さんのお守り。

今でも大切に栞に挟んでおります ^人^ 】

80番国分寺の山門側にあります、

精神障がい者の方々が運営する

作業所(喫茶店&お食事処)に寄って来ました。

2年ほど前、

歩き遍路の時にたまたま立ち寄ったこの場所。

その時の出会いや気づきが忘れられず、

今回、お伺いさせていただきました。

ここでは障がい者の方々が

接客をし、お料理を作ってくださいます。

確かに、接客のやり取りに滞りがあったり、

お料理(今回はコーヒー)が来るのが遅かったりします。

だけど、何故か心地よいのです。

建物は古いですよ。

だけど、何か落ち着く。。。居場所があるって感じ。

そして深く、深く考えさせられます。

所謂健常者である私たちが日々追求する

【幸せ】とは一体何だろうか?と、

真っ正面から思い入ってしまう。。。

そりゃー、みなさん人間ですから、

いろいろ悩みや苦労があるかと思います。

思うように話せなかったり、身体が動かせなかったり、

就職出来なかったり・・・。

だけど、ここにおりますと、

果たして、所謂障がい者の方々って、

=(イコール)全員不幸なのでしょうか?

逆の言い方をしますと、

健常者=全員幸せなのでしょうか?!

私は、見方によれば、

障がい者の方々の方が、幸福感で満たされているように感じます。

一所懸命朝から晩まで働き、心身を動かしまくり、

お金も稼いで自立している健常者たち。

だけど、私達健常者たちって、幸福感で満たされているのでしょうか?

障がい者の方々は、

作業所での活動やボランティア、お遍路さんへのお接待を通して、

少しでも社会に貢献出来ることが嬉しい、幸せ!と思っておられるようです。

私からすれば、量的に少しであります。

仕事しているのが当たり前

就職しているのが当たり前

自由に早く動く肉体が当たり前

自由に言葉を操りコミュニケーション出来るのが当たり前

ボランティアするのが当たり前

お接待するのが当たり前

お遍路するのが当たり前

・・・という『当たり前』という名前の心の病に

私達健常者はかかり、

その病が深ければ深い程、

真の幸福感【人生の歓喜】からは遠ざかってしまいます。

次々とカーナビにお寺の位置を入れ、

次々とマッハでお遍路して行く自分が情けなくなりました。

なんでこんなに私は急いでるんやろう。。。?

もちろん、日常生活でも『何か』に追われるように

急いでいる訳です。

この場所にいる方々は、私達よりも社会的困難が多く・・・

そして天性や後天的感性によって、

もう既に真理を掴んでいるように感じました。

だから、私のようにわざわざ厳しいお遍路修行をしなくてもいいし、

娑婆であれこれ苦労する必要も無いのかも知れないと感じました。

(実際はどうかは分かりませんが、、、)

私たちよりもケタ違いの苦難や差別を受け、息を潜め生きておられる。

だけどそんな中でも一生懸命生きている・・・

私なんか散々恵まれているのに、もっともっとと急いで回っている。

ほんと我ながら、まだまだやな。。。と実感。

一見古い建物で、接客もどうしてもスローな感じですが、

だけど、ずっといたくなる場所・・・

その理由は、そこにおられる『人』なんだと分かりました。

純粋むくな方々と同じ空間にいるだけで私は慈愛に包まれ、

神のご加護に私は感動の涙を流す。

まさに癒し。幸福への近道。

「このような人たち(心境)になりなさいよ」と

静かに言われているように感じました。

私は確実に導かれている、このお遍路の道に。。。