おばあちゃんの命日

今日・1月25日は、

生前、バスで2周、四国お遍路さんされていた

(西国33ヵ所も回られたようです。掛軸あるし♪)

父方の祖母の命日です。

確か、15歳の時に、86歳くらいで

あの世に旅立って逝ったので、

ちょうど20年前になろうかと思います。

母方の祖母は遠く(大阪・守口市)に住んでいて、

年に数回しか会わない状態でしたが、

父方の祖母は、近所の母屋に住んでいたので、

とっても親近感がありました。

っていうか、四国遍路行を始めた、29歳の頃から

強烈に親近感を“感じています”。

私にとって、父方のおばあちゃんは、

ワタクシ・大橋良子のご先祖様の筆頭&リーダーのようなもので(笑)、

いつも、いつも、喜怒哀楽を感じる度に、

「おばあちゃん(=ご先祖様全員)、ありがとう!」と祈ったり

お礼を言ったりしています。

四国をぐるりと3周回ってみて・・・

この人生を35年生きてみて・・・

一度でもこの世に存在したもの・あったものは、

見えてたものが、見えなくなることはあったとしても、

永遠に無くならないという“真理”を掴むことが出来ました。

この真理を知る・掴むか否かによって、

この世で生き抜く人生の苦悩の度合いが、

ぐっと変わって来ると私は感じています。

私のおばあちゃんをはじめ、

一度この世にいて、あの世に逝ってしまった人の

目に見える身体はもうありませんが、

“魂”というたぐいのものは、永久にあり続ける・存在し続ける。

その証拠に、私があの世に行った人のことを思い出すと

ニコって笑っている顔が脳裏に浮かび、

時々、声が聴こえてきます。まさに有難い、「天の声」(笑)。

ここまで書くと、私の母(ウチのオカン)みたいに、

「よしこ、アンタ〜、いよいよ気が狂ったか・・・新興宗教にでも入りそうな勢いやな」って

完璧おバカさん呼ばわりされそうですよねぇ〜(%ニヤ女%)(%晴れ%)笑

見えないもの・・・見えないけれど「ココロで感じるもの」を

どう言語化・見える化して、誰でも分かるように図説でもしてご理解して頂けるのか・・・

これは、私の永遠のテーマ・課題ですが(笑)、

これは楽しい趣味&生きがいとして、

今後もボチボチとやっていきたいと思いマス(%ニコ女%)(%星%)

話の方向を変えて・・・

じゃー、こうしませんか♪

例えば、大切な人があの世に旅立ってしまったとして、

大きく分けて、2つの考え方・事実の捉え方があろうかと思います。

①死んだ人間はみんな骨だけになって、全てが無くなる

②身体は無くなったけど、魂というたぐいのものは、永遠に存在し続け、

求めればいつでもすぐに応えてくれる

上記の①と②、どっちが正しい 〜真理〜だと思われますか?

これは古今東西、いろんな人たちがバトルして来た課題だと思います。

ずーっとバトルして来ても、未だに

①だという人もいるし、②だという人もいる。

つまり、①か②か結論が出ていないということなんですね。

こんな時に、人間の『主観』というものが、役立つんだと思います。

(普段は、厄介なシロモノでございますが・笑)

①か②か分からない・人類共通の結論として出ていないのであれば、

自分自身の好きな方・・・

自分が①だと思った方が幸せになったり、嬉しくなったりするのであれば、

①だと結論づければいいし、

②の方が「気分がイイカンジ!」って思えるのであれば、

②でいいんです・・・その人にとってそれが真理・正論な訳です(%笑う女%)(%王冠%)

私は、結論的に②の方が正しいような気が何とな〜くしています。

なんとな〜く、ふっと、そんな世界(あの世〜幽界〜)を感じることがあるからです。

それに加え、②の方が真理だと結論づけた方が、

何だか気分は、メチャハッピーだからです(%笑う女%)(%晴れ%)

①だと主張する人に、②を押し付けたり、

②だと言い張る人に、①だと批判するのは、

主観の世界においては、不毛で無意味な“戦争”だと思います。

思想や思考の世界においては・・・

人様にご迷惑がかからなければ・・・

自分自身の精神衛生にとって良いものであれば、

どんどん主観的に、「こう考えよう!」「ああ思うようにしよう!」と決めてって

ココロ朗らかに安らかに生きていきたいなと

最近、そんなことを感じています(%笑う女%)(%王冠%)