今回の四国お遍路旅 ふりかえり

毎度です〜(%笑う女%)(%ハート%)

おかげさまを持ちまして、先月30日の夜、

無事大阪に生還いたしまして、以後、

ドタバタ・・・と楽しく過ごさせて頂いております(%ニヤ女%)(%星%)

『旅の後始末』ということで、

ここで“旅の振り返り”をさせて頂きたいと思います。

【今回の歩きお遍路さんの日程】

8月23日(木):夜行バスに乗って、松山・大街道へ。

24日(金):
・朝、大街道にある松山全日空ホテルで開催の「松山にぎたつ倫理法人会」の
 モーニングセミナー参加&愛媛倫理の桑原広報委員長などとワイワイお話し♪
・大街道→52番・太山寺(9.3キロ)→53番・円明寺(2.5キロ)を歩く。
・円明寺側の「民宿上松」さん(松山市和気町)で泊まる。

25日(土):
・民宿上松さん→JR大西駅側の「ますや旅館」さんへ(今治市大西町。31.0キロ)。

26日(日):
・ますや旅館さん→54番・延命寺(3.4キロ)→55番・南光坊(3.0キロ)
 →今治駅(0.8キロ)
・特急「しおかぜ」に乗ってしばし、松山に戻る。

27日(月):
・午前中、松山から今治まで戻る。
・今治駅→56番・泰山寺(2.8キロ)→57番・栄福寺(2.6キロ)
 →58番・仏遊寺(2.4キロ) 仏遊寺の宿坊に泊まる。

28日(火):
・58番・仏遊寺→59番・国分寺(6.5キロ)→「栄家旅館」さん(15.8キロ、西条市)

29日(水):
・栄家旅館さん→60番・横峰寺(9.0キロ)→61番・香園寺(9.7キロ)
 →「ビジネス旅館小松」さん(ちょっと足を運んで、近所にある、62番・宝寿寺へ)

30日(木):
・ビジネス旅館小松さん→63番・吉祥寺(1.4キロ)→64番・前神寺(3.2キロ)
 →新居浜駅(16.5キロ。午後2時過ぎ到着、新居浜市)

いやはや。。。

我ながら、よく歩きマシタ・・・(しみじみ。)(%ニヤ女%)(%王冠%)

今回の歩きお遍路さんは、

『夏遍路』ということだけあり、めちゃくちゃしんどかったです。。。

「しんどいめをしにくるのが、お四国や がんばりましょう」

って、60番・横峰寺に登る途中、そんなメッセージが

書かれていましたが、まさにそんな境地です。

「しんどいめをする」という境地に

あえて率先して飛び込むことによって得られることって、

一言では決して言えない、底なしの凄い世界が存在しています。

だけど、なんやかんやと言いながら、ここまで歩いて来て、

感じたことを、あまりまとめることもなく、

ダラダラと書かせて頂きますが(ー人ー)・・・

こうやって、「しんどいめ」を前向きに率先してやっていますと、

どんどん『苦難』がやってきます。

自分自身の思考や価値観をベースとした悪いクセや習慣を

直そう・直そうとして、どんどん苦難がやって来ます。

この四国遍路道の上で、その苦難と対峙し、

率先して自分自身のその「悪いもの」を一つずつ直して行きますと、

遍路道では二度と同じ苦難はやって来ませんし、

今までにない勢いで、スムーズで快適なお遍路旅が出来るようになって来ます。

しかも、私が大阪で歩んでおります「日常」の

“人生遍路道”においても、全く同一で、

過酷な四国遍路行の中で、自分の悪いところを直していくと、

日常の大阪での生活で、苦難がやって来なくなります。

(※より、ハイレベルな自分になるための試練・苦難はやって来ます)

日常生活の中・・・例えば、いつもお世話になっている両親をはじめ、

いろんな方々との人間関係のトラブルや、仕事上でのトラブル等を

一度でも起こしてしまうと、大変なことになって、後始末もかなり大変ですが、

こうやって、先に、非日常空間である遍路道で失敗しておきますと、

日常生活で失敗することがなくなってきます。

以前にも、このことは書かせて頂きましたが、

私をこの現象を 『苦難の先取り』 と呼んでいます。

非日常の遍路道上で大きな失敗をしても、

命さえ取られなければ、日常生活になんら影響はありません。

ほんと、お遍路行、さまさまです(%笑う女%)(%ハート%)

あと、自分自身が変わったところは、

「世の中は全て“善”である」ということが分かった

ということです。

私は今まで、“善と悪”がこの世には存在すると

思っていました。

善人だから、こっちから近づいていく、

悪人だから、こっちから離れていく。。。

ま、それも自己防衛的には重要かと思いますが、

その人・物・情報・・・この世に存在する全ての事象には

必ず「善と悪」の両方を持っているという真理が分かりました。

ですので、目の前に悪人がいたとしても、

その悪人の中にも、必ず一つは「善」がある訳です。

だから、いくら悪人であっても、自分自身がその人の中にある

「善」を引き出して(惹き出して)差し上げる・・・という

思考(又の名を『慈愛の精神』)が必要なのではないか?

って思いました。

人様や万象の「善」を引き出して行く為には、

まず己自身の心が「善」で満たされていなければ

出来ない凄伎だと思います。。。

なんとか、88番・大窪寺に行くまでに、

遍路道のどこかでその術を拾いたいと思います(%ニコ女%)(%星%)

・・・それから、

世の中とは、対立した存在(例えば、AとB)が合一し、

それらが化学反応を起こして、最強のCという物質に変わり、

世の中が全てよい方向に行くんだということが分かりました。

分かりやすい事例を言いますと、

「男(A)と女(B)が出会い、合一をすると、子供(C)が生まれる」

ということです。

Aという1のエネルギーが、Bという1のエネルギーが合一して

ABという2のエネルギーになるという足し算ではないんです。

1(A)+1(B)=2(AB) ×

1(A)×1(B)= ∞ (C) ◎

2ではなくって、無限大(∞)なんです。(しかも足し算でなく、掛け算です)

合一という化学反応を起こし、爆発すればする程、

人間の左脳的思考・想定の範囲を超え

(正に天文学的な『天の領域』に入る)、

物事は無限大に生成発展するということが分かりました。

「自分が正しい」とか、「あの人が間違っている・・・賛同できない」とか、

そうやって自分自身の自己主張(ある意味「わがまま」)の衝突によって

対立(・・・といいますか対立を深めている)してますと、

物事が永遠に成就・完結しないどころか、

逆に対立している双方が、どんどん不幸の落とし穴に

堕ちていってしまうかと思われます。

最も重要な真理は、

「自分が正しい」「相手は間違っている」という白黒の対立の世界ではなく、

相手に合せる・・・つまり、 “合一させる(和を築く)” ということです。

その合一度合いが増す程、効果は無限大に現れ、

逆に対立すればする程、その人の心の中や、その人が属する組織は

崩壊の一途を辿ります。

・・・世の中の人や物・・・万象って、全て違う・・・対立するように

出来ているようです。

違うから、補い合えるように出来ていて、助け合うことが出来るように

なっているようです。

もしも一人の人間が完璧であれば、何か・誰かと合一する・取り込む必要がないので、

その人間には成長も発展も出来ない訳です。

そう思いますと、私たちが毛嫌う「悪」も全て、

「コインの裏表」であり、「善を味わう為の糧」であり・・・

「善」ということになります。

また世の中には、主観的に見て「いい人」「美味しい料理」とかありますが、

それは“比較物”があるからそう認識出来、感謝出来るんだと思います。

「わるい人」が「まずい料理」等があって始めて、

「いい人」や「美味しい料理」の有り難味を感じることが出来る・・・

苦難やわるい人・ものとは、人生における、「スパイス」であり、

幸福感を味わう上で、必要不可欠なものだということを

私はこの遍路行で、掴んだ気がいたします。

となりますと、いいことにも、わるいことにも、感謝、感謝・・・

更に突っ込んで言いますと、

「生きていること、全てに感謝」

ということなります。

生きているから・・・命があるからこそ、

幸せも不幸も感じることが出来ます。

心身魂・・・これらが全て揃っている・・・からこそ、今こうして生きていけるんです。

そのような“大局的視点”を手に入れますと、

ありがまま・なるがままに、全てを受け容れて

いつもいつまでも幸せに生きて、そして逝ける・・・そんな心境です。

遍路旅から、帰って来て、かわったこと・・・。

とにかく汗っかきになりました(笑)。

ほんと、今まで汗はかかない人間だったんですが、

横峰寺の山に登ってから、

とにかく気持ちわるい&いいくらい、どんどん汗をかきます。

いままで、詰まっていた汗腺が、ズボン☆と抜けた感じ(笑)。

ついでに?涙腺もかなり緩んだ気がします。

西田敏行さんバリに些細なことでもウルウルしてきます。。。

キレイなものをみても、汚れたものをみても、

何だか感動、感動です。。。

全身や肩の力も、緩んで来たように思います。

生きることに対しての恐怖心や、警戒心が薄れて来たように思います。

また、日常の何気ない風景が、

こんなにカラフルで、輝いて見えるなんて、

本当に感動的でドラマティックな変貌です。

今まで、グレーがかって見えていたんですが(笑)。

だんだんと大局的に物事・人を観れるようになって来ましたので、

意見・価値観の違いのある人に対しても、

責め心なく、すぐに相手の立場・見方に回って

物事を総合的に捉えることが出来るようになってきて、

対立することなく、その人たちと共に、

大目標(なんのために、それをやっているのか?)という根本を見失うことなく、

楽しい時間を過ごさせて頂いています。

・・・四国お遍路行は1200年、続いてきた修行の道だけありまして、

歩けば歩く程に底なしにすごいものを感じます。

四国4県に、88ヵ寺があって、ただひたすら歩くという行は、

実にシンプルで奥が深い・・・そして全てが「うまく出来ている」

修行の道だと思います。

阿波、土佐、伊予、そして讃岐。

全て重要な『意味』があり、レベルがケタ違いに

ぐっと上がっていきます。

今回、歩き遍路行を歩き切ることによって

何らかの『ものすごいもの』を体得出来るような、

素敵な予感がしています。

88番・大窪寺に、「本当の自分」(本来あるべき自分)が

待っているように思うんです。

その「本当の自分」と「今の自分」が出会って合一した時、

全てがケタ違いに生成・発展して行くんだという

手ごたえが今、私の心の中であります。

次回・10月末からの歩きお遍路行では、

愛媛最後の札所、65番・三角寺と、

その次の66番・雲辺寺は、標高500〜900メートルで

四国遍路最大の難所となっています。

10月末は、新居浜駅から、香川県にある丸亀駅まで歩き、

そして12月末に丸亀駅から、88番・大窪寺まで歩き切ります。

「本当の自分」に出会う旅は、まだ苦難続きですが、

必ず掴むんだという確信・信念を持って、最後まで貫き通したいと思います。

・・・大窪寺で「本当の自分」に出会ってゴール!

ではなくって、そこからが私の人生の「スタート」だと捉えています。

今年末に結願(けちがん)して、

そして来年、“イチ”から人生、やり直します。

2013年以降・・・

ますます人生、楽しみな、よしこちゃんです。

今回の四国遍路旅でお世話になったみなさま、見守ってくださっていたみなさま、

本当にありがとうございました。

そして10月&12月もどうぞ宜しくお願いいたします(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)